オオカミ少年と『ミサイル』 | 徐裕行のブログ

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無理にでも拉致問題の解決に結びつける
うまく、落とせない時もあるけどね。

12月12日。北朝鮮が打ち上げ延期を発表したばかりの『ミサイル』を打ち上げた。
直前のニュースでは、打ち上げ台に設置されたミサイルが解体作業に入っているのを確認、などと報じられていて、しばらくは大丈夫だなと安堵していた矢先の騙し討ちにあった格好だ。

 科学の進歩は日進月歩であり、遥か上空にある軍事衛星から地上の様子が映像として確認できるのだという。ニュース番組などでは毎日のように北朝鮮のミサイル組立の状況を映像付きで報じてきた。人は目に見えるものを信じる傾向がある。日米韓をはじめ、世界中が軍事衛星の映像が示す状況分析を信じていたに違いない。北朝鮮は周辺諸国が自分たちを監視していることを承知の上で、トリックを仕掛け、世界中が裏をかかれてしまった格好となってしまった。
 北朝鮮は今回のミサイル打ち上げに成功しただけでなく、西側諸国の情報管理能力の実態を暴く実験にも成功した。

 昔のことだが、総連の某機関の禄を食む友人と北朝鮮がノドン(まだテポドンは開発されていなかったと記憶している)の打ち上げ実験を敢行することに対する是非について議論したことがある。ぼくが、「世界の批判を浴びながらも軍事利用可能なミサイルを日本(海)に向けて発射するのは認められない、ましてや、日本には多くの在日が暮らしているのに、その日本に向かってミサイルを発射するのは、北朝鮮がわれわれ在日に対して何とも思っていない証左ではないか」と非難したのに対して、彼は、「母国北朝鮮の科学技術が向上することは国益に適うことだ。また、平和利用のために北朝鮮が(原子力)発電や人工衛星の打ち上げを研究開発することに、日本が徒に避難を繰り返すのは内政干渉であり、北朝鮮を貶める謀略だ」と反論した。

 北朝鮮に限らず、世界中の国々が平和的な科学技術の恩恵を受け、生活が向上し、豊かで安定した暮らしができることになればいいと言われれば、そこに異論を挟む余地はない。しかし、ひとたび技術や知識を得たものが、それを平和利用するか、兵器として利用するかは、その者の意思に委ねられてしまうのだ。少なくとも、日本においては北朝鮮が国際的なルールに従う平和国家という認識はないだろう。したがって、北朝鮮が長距離ミサイル技術を開発、実用化することは周辺諸国にとって杞憂であるはずがなく、危機そのものである。

 さて、難しい話を続けてボロが出ては困るので、話題を少し変えることにする。

 先日、朝のラジオで、「日本のマスコミが一様に北朝鮮の『ミサイル』と表現していることは間違いである」と訴えている方がいた。つまり、打ち上げ台に設置された、あの円柱形の細長い飛翔体は正確には『ロケット』であり、アメリカでも今回のニュースを取り上げる際には『ロケット』と正しく表現されているという。その、『ロケット』に弾頭が取り付けられて初めて『ミサイル』というのだともいっていた。

 たしかに、正しい言葉の表現としては『ロケット』と『ミサイル』には大きな意味の違いがある。そして、なぜ日本中のマスコミが一様に『ミサイル』と報道しているのかはわからない。何らかの政府の思惑がそこにあるのかもしれない。その是非はともかく、そのコメンテーターの話を聞いていて、ふと、思ったことが二つある。

①『ロケット』と『ミサイル』の相対性
 『ロケット』とは自らの質量の一部を後方に射出し、その反作用で推進する装置の名詞であり、そこに弾頭を搭載しなければ『ミサイル』とは呼ばないとするコメンテーターの主張は正しいが、それを発射する側と、発射される方向に位置する国とでは、その呼称にすら相対的な相違があるのではないか。
 つまり、発射する側は、『ロケット』には人工衛星が搭載されていると知っているが、発射される側は『ロケット』の中に何が搭載されているか未知なのだから、打ち上げが終わってみないことには実質的に『ロケット』と『ミサイル』の判別ができない。宇宙の彼方に飛んでいけば『ロケット』であり、どこかに落ちて爆発すれば『ミサイル』ということになる。
 だから、自分の国には飛んでこないと高をくくっているアメリカのマスコミは、飛翔体を称して『ロケット』と正しい表現で報道していても、自国に落ちてくるかもしれない危機感を抱いている日本にとっては『ミサイル』と表現することになるのかもしれない。

②オオカミ少年と『ミサイル』
 日本はこれまで、北朝鮮が打ち上げてきた『ロケット』を総じて『ミサイル』と報道してきた。このような事件が勃発するたびに、日本中が危機感に包まれ、どこに『ミサイル』が落ちるかわからないと恐怖する。ところが、実際にはどこにも落ずに、実質的な被害を受けたことがない。
 今後、仮に北朝鮮が『ロケット』を打ち上げ続け、日本に『ミサイル』被害がない状況が続くと仮定した時に、日本国内の『ミサイル』に対する恐怖心や危機感は薄れてくるのではないかと思うのだがどうだろうか。まるで、童話のオオカミ少年が「オオカミが来た、オオカミが来た!」と騒ぎ立て、実際にオオカミが来た時には誰も信用してくれなかったように。

 ぼくには、日本国内において北朝鮮が打ち上げる飛翔体を『ロケット』と呼ぶべきか『ミサイル』と呼ぶべきか判断できない。ただ、頭に思い浮かんだことを記してみたくなっただけだ。

 さいごに、今回の打ち上げ騒動の最中に北朝鮮が、不具合を修理するため発射時期を延期すると発表したとする報道に触れ、北朝鮮が金正恩体制に移行してから情報を公開する体質に変化してきたようだと、内心好ましく思っていた。日朝の国家交流と信頼の構築なくして拉致問題の解決は覚束ないと思っているからだ。そのためには、情報開示は不可欠であり、北朝鮮がさまざまな変化を示すことで期待が持てるとも感じていた。その意味では今回の騙し討ちは極めて残念だが、それ以上に日朝間の局長級会談が再開された矢先の『ミサイル』騙し討ち事件で、また一歩拉致問題解決が遠のいたのではないかと心配している。

 われわれ一般人ができることは声を上げることぐらいしかありません。拉致解決を望む声を大にして、朝鮮総連や北朝鮮に訴えようではありませんか。

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