嫁がいない寂しさよ | 徐裕行のブログ

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徐裕行の周辺で起きたことを
無理にでも拉致問題の解決に結びつける
うまく、落とせない時もあるけどね。

ブログアップがすっかり途絶えてしまって久しい。
せっかく読者登録していただいた皆さんも、当ブログのことを忘れてしまったのではないだろうかと心配する今日この頃。

ところで、7月1日から嫁が一ヶ月間の里帰り中で、ぼくは自分の仕事の他に普段嫁がやっている衣類の通販の仕事を手伝い、家事もこなしている。
嫁が居ぬ間に羽を伸ばす意欲も盛んで、日常生活の四、五倍の過密スケジュールをこなしている感じだ。

だから食事も基本的に外食勝ちとなってしまう。嫁は料理上手で、毎晩いろんな料理でぼくをもてなしてくれる。手作りのおかずを肴に晩酌をするのが何よりの楽しみで、独身時代はあれほど飲み歩いたぼくが、いまではあまり外食しないようになっていた。

しかし、やはり一人の食事は味気ないものだ。飯を炊くのもおかずを作るのも何やら億劫になり、ついつい外食で済ましてしまうようになる。

嫁と二人で家で食事をする時は、せいぜい350mlの缶ビール一本と焼酎の水割りをグラスに1~2杯で晩酌も終わりだが、家に嫁がいないと思うと、帰っても面白くないので、深酒をしてしまいがちだ。いまでは若いホステスがいる飲み屋など行く気にもならないし、9-10時には眠くなってしまうしで、ひとり家で寂しい日々を送っている。

嫁と一緒になって、はや三年。普段は尻に敷かれっぱなしでも、絆は深まる一方で、いなければ生活が空虚に感じる。
家族がいつでもそばにいる当たり前のありがたさをいまさらながら実感するのだ。

大切な人が失われる寂しさは、当人にしか理解できないものだが、自分の生活に照らし合わせて想像することはできる。嫁がたった一か月里帰りしただけで、これほどまでに寂しいのであるから、拉致被害者本人やしに家族はどれほどまでに寂しい思いをしていることだろう。

みなさんにも、大切な人がいることと思います。その人が突然いなくなってしまったと想像してみてください。あなたならどうしますか。ただ、漫然とそのひとの帰りを待ちますか。
ぼくなら、探します。その人の行方をいつまでも探します。そして、もし、ぼくの大切な人が拉致犯罪の被害者であることがわかったなら、絶対に追求することでしょう。

ぼくが、拉致問題に取り組むのは、そのような拉致被害者家族の思いを忖度した結果です。
みなさんが、同じ気持ちを感じることがあったら、どうか朝鮮総連に拉致問題の解決を求める署名にご協力ください。

よろしくお願いします。

署名フォーマットの貼り付け、拡散にご協力いただける方は、以下のURLをご使用ください。

http://my.formman.com/form/pc/1ETseQLRiBve8CTd/











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