【本編】L.S.A.G.S.F. その12 | 魔人の記

【本編】L.S.A.G.S.F. その12

L.S.A.G.S.F. その12

「…ん…?」

征司の中にいるヴァージャが、ゆっくりと目を覚ます。
それは、深い眠りに落ちていた彼を、征司が起こしたということと同意である。

起こすタイミングとして、ヴァージャは征司に「家に帰ってからでいい」と言ってあった。
そのため、彼は当然のごとく征司に言う。

「家についたのかよ…?」

目を覚まし、征司の視界の中できょろきょろと辺りを見回す。
だがそこに色のあるものはなく、全てが黒く塗りつぶされている。

「…」

そのことに少しばかり驚くヴァージャだったが、すぐに落ち着きを取り戻す。
征司に向かって、さらにこう言った。

「目ェ開けるか、『手』の視覚を貸すか…どっちかしてくんねーかな。わざわざ俺を起こしたんならよ」

「…」

ヴァージャの言葉に従い、征司はまぶたを開くことを選択した。
ここでようやく、彼は自分たちがいる場所がどこなのか気づく。

「おい…セェジ、なんでお前ここにいる?」

「ヴァージャ、お前には見えなかったんだな?」

「…」

征司の言葉は、ヴァージャの問いに対する返答ではなかった。
そのことに一度彼は閉口する。

その上で周囲を見渡し、しっかりと現在地を確認した。
もともと気性の激しいヴァージャだったが、今回は征司の言葉を優先してやることにした。

なぜかといえば、征司の言葉を聞けば自ずとこの場所…椎葉宮の林の中にいる理由もわかると判断したからである。

「…ああ、見えなかったぜ。何にもな」

「オレには見えてる。目を閉じると、ルサグスフの正体が見えるようになったんだ」

「なるほど。だが俺には見えねぇ…俺とお前の間には、深くて大きな溝があるわけだ」

「そんなんじゃない。ただ別人っていうだけだ…それで」

征司は林の中で、木の根元に座り込んでいた。
参道からは見えず、まだ夜が明けていない現時点においては、闇に隠れることができている。

ヴァージャと会話するには征司も声を出さなくてはならないが、林の中を吹き抜ける風のおかげで、小声程度なら周りに響くことはなかった。

「それで…なんだよ?」

そのためヴァージャも、言いかけてやめた征司に尋ねる。
今の状況なら、小声の会話を止める必要はなかった。

「…」

それなのに征司は、なぜか悔しげに唇を噛んでいる。
だが言わねばならないと思っているのか、吐き出すようにヴァージャにこう言った。

「オレは間に合わなかった…母さんたちは、もう家にいる」

「…!」

ヴァージャは一瞬だけ、驚愕した。
だがそれこそが、征司をこの場所に来させたのだなと納得もした。

そのため、驚愕の表情は一瞬だけだった。
ゆっくりと言葉を続ける征司を、何も言わずに見つめることができている。

「…タイミングが悪かったんだ…」

「…」

「ルサグスフの正体がわかったのと、電車が来たのがほぼ同時だった。目が痛くてたまらなくなって、目を閉じてたら正体が見えてきたんだ」

「…そうか」

それを証明するかのように、征司の目元には涙がある。
何より、征司がヴァージャに嘘をつく理由もなかった。

そして征司は、自分と同じようには「見る」ことができないヴァージャに、ルサグスフの正体を告げる。

「ルサグスフの正体は…博潮の教師だ」

「博潮? あの、緑の制服のか」

「ああ…そこの陰気そうな社会の教師だ。オレが見たのは、日本史を教えてるとこだった」

「教えてるとこ、ってお前…どういう見え方だったんだよ? まるで動いてたみてーな言い方じゃねーか」

「いや、動いてない。その逆だ…写真みたいな感じで見えるんだ。授業中の写真、って感じでさ」

「写真…ほぉ…」

「その中で、教師だけデコに『F』って書かれてたんだ。だからその教師がルサグスフで決まりだと思う」

「F…ルサグスフの『F』ってわけか」

「他にそのクラスの連中もいたけど、どれだけ細かく見ても『F』ってデコに書かれてるのは教師だけなんだ。だから間違いない」

「そうか…なるほど」

ヴァージャは腕組みをしつつうなずいた。
その後で征司に尋ねる。

「で…お前はどうする気なんだ?」

「…」

「こんなとこに隠れて、俺をわざわざ起こしたってことは…『そういうこと』なのか?」

「…ああ」

「作戦はあんのかよ?」

「作戦も何も…あとは博潮に行って、探し出せばいい。まともに戦えば、負けるわけがないんだ」

「…セェジ、ちょっと戦略的なことを言っていいか?」

「説教ならお断りだ」

征司はそう言って、林の中を移動し始める。
方角的には北西、家の最寄り駅である貝塚方面である。

時刻は6時半すぎ。
空はもう明るくなっていたが、参道付近を走る車はない。

人通りもほとんどないが、道を掃除する老婆がいた。
征司は見つからないように木々の間を歩き、草ではなくところどころに見える土を踏むようにする。

「…俺を起こしたのは、意見を聞きたいんじゃなく…体を軽くするためかよ」

「ああ」

ヴァージャが完全に目覚めた今、征司の体は細身に戻っていた。
一度太い体になったためシャツは少し伸びていたが、格好が悪くなっただけで肌が見えすぎて着られないということはなかった。

「…しょーがねぇな、バカセェジが…」

ため息をつきながら、ヴァージャは腕組みを解く。
ふわふわと宙に浮き、征司の左上へ移動する。

征司は林から出て路地に入っていた。
黙って進みつづける彼に、ヴァージャはこんな言葉をかける。

「…俺には、お前のように映像でルサグスフの野郎を見ることができねぇ。だが、だからこそわかることもある」

「…なんだよ?」

「お前が見たのは、授業中のシーンなんだよな? クラスの連中もいて、普通に授業してるシーンってことだよな?」

「さっさと要点だけを言ってくれないか。気が散る」

「ほう…言うじゃねーかよ、余裕なくしてるだけのバカセェジがよォ」

「なんだと…!」

悪態をつくヴァージャを、征司は今までにないくらい鋭い目でにらみつける。
だが彼はそれでおびえたりはしない。

「セェジ、なんだその目は? この俺に向かって、よくそんな目ができるもんだな、おい」

「うるさい…オレはもうやるしかないんだ! ヤツが来るまでに学校に入り込んで、来たところをすぐに…」

「…」

「……」

「すぐに、なんだよ?」

「た…」

「…」

「たお、す…」

「それじゃ無理だぜ、バカセェジ」

「う…うるさい! とにかくオレはやるんだ! オレがやるしかないんだ!」

征司は、ヴァージャのいる方へ手を伸ばして大きく払ってみせた。
だがヴァージャには届かないし、触れたところでそれは空気をかくだけにすぎない。

征司にはヴァージャが見えていて、声が聞こえても、他の者には見えも聞こえもしない。
現実には、そこには誰もいないのである。

「チッ…」

小さく舌打ちをして、ヴァージャは征司の進行方向を見る。
住宅街特有の狭い道を、征司はまた走り始めた。

彼の顔には、ルサグスフの正体についてヴァージャに説明した時のような余裕はもうない。
そこには、走り出したらもう止まれないことを知っている人間の形相がある。

(やるしかない…! もう家に帰ることはできない! とにかくヤツだけは! ルサグスフだけは…!)

強い決意はあるが、そこから先は言葉が続かない。
ある言葉を思い浮かべようとすると、なぜか腹の中が寒くなるのを感じる。

それでも必死に、その言葉を思い浮かべることが決意の証だと言わんばかりに、征司はただひたすらそのことだけを考える。

(こ、ころ……!)

心臓が高鳴る。
だがそれは走っているから、というだけではない。

肩に力が入る。
だが征司はそんなつもりはなく、勝手に体が緊張している。

全身が、なぜかこわばってきている。
それは走る動きを不自然なものにし、何もないところで征司を転倒させそうになる。

「くっ…!」

だがそれをどうにかこらえ、征司はさらに走った。
そんな彼の様子を、ヴァージャはいら立った表情で見ている。

「クソが…家に帰るのが間に合わなかったからって、やけっぱちになる必要なんかねーのによ…だが、今の状況じゃそれを言ってもしょーがねぇ」

いら立ちはあるが、説教で今の征司を止められるかといえばそうではない。
どうせ止められないのなら、より効果的な言葉を言ってやる必要があると彼は考えた。

「セェジには野郎の正体が見えて、俺には見えねぇ…だが、だからこそ見えることはある。ヤツはとんでもなく抜け目のねぇ野郎だ。それだけはセェジに思い知らさねーとな…!」

征司を一度倒し、1億もの金をものにしたというルサグスフ。
だというのに、普通の授業風景が征司には見えたのだという。

仕事が教師で、普通の授業風景の中にいたということは「普通に仕事をしている」ということである。
1億もの大金を得た後でも、全く誰にもそれを気づかせていない。

「1億手に入れたくらいでさっさと仕事やめるようなバカなら、このままバカセェジに任せても問題なさそうだが…どうやらそうじゃねぇみてーだしな。だが、それを長々と説明したところで今のセェジは聞きゃしねーだろう」

効果的な、それも短い言葉で、征司の注意を喚起させなければならない。
ヴァージャは、今の征司を冷静にしようとはあまり考えていないようだった。

虎の頭を持つリアライザはともかく、人面虎のリアライザとの戦いは精神的にとても負荷の高いものだった。
それだけならまだしも、大量の血を浴びた上に警察に追われる事態となっている。

「ヘタにいつものセェジに戻しちまったら、追われてるってことにビビって自首するとか言い出すかもしれねぇ。それはマズい…ルサグスフの野郎をぶっ殺すまでは、俺らがやられる可能性の方が高いんだからな」

それについては、Y.N.から何度も告知されている。
次のリアライザが現れるまでに、征司たちはルサグスフを倒さなければならないのだ。

「だが、今のセェジではまだ覚悟が足りねぇ。でもって覚悟ってのは、やけっぱちでどうにかなる代物じゃねぇ…そこんとこ、どうにかしていってやらねーとな…!」

ヴァージャは、「倒す」とは別の言葉でルサグスフをねじ伏せるという意味の言葉を使っている。
それは相手の息の根を止めるという意味の言葉。

他愛ない話でも出てくる言葉ではあるが、それを口にして実行するにはなみなみならぬものが必要となる。

それは強大な殺意だったり復讐心だったり、あるいは好奇心かもしれない。
だがそのどれも、征司はまだ持っていないのだ。

「なあ、セェジ…」

「…」

ヴァージャが征司に言葉をかける。
だが征司は無視し、ひたすら博潮高校へと向かう。

そんな彼に、ヴァージャはこう続けた。

「後戻りはもうできねーんだろ? 言ったよな、やるしかねぇって」

「うるさい…!」

「それが本気なら、付き合ってやる」

「…えっ?」

「その代わり、お前も覚悟を決めてみせろ!」

「!」

ヴァージャの言葉を聞いた征司の中に、びりびりと響くものがある。
恐怖からの自暴自棄に染め上げられていた顔に、別の色が挿し込まれた。

そのタイミングを狙ったかのように、ヴァージャの言葉はさらに征司の心に突き刺さる。

「必要なのはやけっぱちな根性じゃねぇ、覚悟だ…! お前の覚悟ってのを、バシッと決めてみせろ! そしたら作戦のひとつくらい、教えてやるからよ」

「…」

「…返事は?」

「…ああ、わかった」

征司は、顔をしかめながらもそう答えた。
この時彼は、自分の中に自暴自棄な気持ちしかないことに、ようやく少しだけ気づいたようだった。

やがて彼は、博潮高校周辺に到着する。
裏道を通ったおかげか、警官にはひとりも会わなかった。

征司がいる場所からは大きな門が見える。
どうやら正門側に来たらしい。

数年前に、大きな木製の正門を作り上げた椎葉高校とは違い、ここの正門は重厚な金属製だった。
そこから少し離れた自販機に向かい、正門に向かって背を向ける。

その後で「第3の手」で見ることで様子をうかがった。
JR椎葉駅からはかなり離れているので、ここに警官は来ていない。

その代わりなのか、それともいつも配備されているのかはわからないが、制服姿の警備員がいた。

「…真正面からは無理そうだ」

「当然だな…ちょっとは頭冷えたか? バカセェジ」

「その呼び方は止めろ。今は本当にイライラする」

「へいへい…で、どうするつもりだよ?」

「もちろん裏手に回る」

「定石通りか。よし、まずはそっちに回ってみようぜ」

「ああ」

そして征司は、学校の周囲を大回りで回っていく。
時刻は7時になろうとしており、ちらほらと学校へ入っていく生徒や車が現れてきていた。

(とにかく…早く、早くルサグスフを見つけないと!)

「第3の手」を伸ばし、意識を集中させる。
博潮高校へ入っていく車の運転席を注視する。

だが、裏門に到着するまでにルサグスフを見つけることはできなかった。

(いない…!)

「カリカリするんなセェジ。それより見ろ、裏門には誰もいねーぞ」

「まだ先生が挨拶運動に立つには早い時間なんだろうな。うまくすれば入れるか…?」

「お前、その格好で入って、見つかったらどーすんだよ」

「どっちにしても入らなきゃ見つけられないんだ。だったら、人がいない今の方がいい…!」

「お、おい…ちょっと待てって!」

ヴァージャは制止しようとするが、征司は聞かなかった。
素早く裏門まで走り込み、そのままの勢いで校内にまで入ってしまう。

「はあ、はあ…!」

息を切りながら校舎の裏側へ向かう。
まずは誰にも見られず、隠れられそうな場所へ入ることができた。

位置関係的には、椎葉高校で待機していた「喫煙所」と同じである。
ただし博潮高校の場合は、そこで行き止まりにはなっていない。

(先へ、先へ…!)

征司は、胸の中で心臓が踊るのを感じながら、校舎と校舎の間を走っていく。
これにはヴァージャも舌を巻いた。

「なんなんだセェジ、お前…ビビったりヤケクソになったり、かと思えば大胆不敵ってか? 覚悟が必要なんだか必要ねーんだかわかんねぇ野郎だな、おい」

教室のある校舎を3つ抜けると、実習室や職員室がある棟がある。
なぜそれがわかったかというと、4つ目の校舎を窓から覗き込んだ時に来賓用の入口を見つけたからだった。

「…」

遠く、運動場からは朝練をしているらしい生徒たちの声が聞こえてくる。
征司は緊張しつつ靴を脱ぎ、渡り廊下から校舎内に侵入した。

その後、来賓用入口に向かってスリッパを履く。
すると、入口の隣にある事務室から事務員が出てきた。

「!」

ドアの音に、征司は慌てて靴箱に背を押し当てて身を隠す。
事務員は、来賓用入口とは逆方向に歩いていった。

「…」

どうやら階段を上がっているようである。
自分もそこを上がるつもりだったため、征司は思わず唇を噛んだ。

(くそっ、どうする…? あの人が戻ってくるまで、ここにいるわけにもいかない…)

「なにやってるセェジ、出ろ。そこから出て、さっきのを追いかけろ」

「えっ?」

「早くしろって! さっきの思い切りのよさはどうしたんだよ!」

「わ、わかった」

ヴァージャに促され、征司は来賓用入口から離れた。
事務員が上がっていった階段まで来ると、上で用を済ませたらしく事務員が下りてくる。

「階段の陰に入れ!」

(あ、ああ!)

声を出さずに返事をし、階段の陰へ身を隠そうとする。
しかし今は来賓用のスリッパを履いていた。

どんなに静かに歩いても、スリッパ特有の床を叩くような音は漏れてしまう。
慌てて隠れようとしたのならなおさらである。

「…! 誰か、いるの?」

(ま、まずいぞヴァージャ!)

「スリッパを投げろ! 向こう側に投げるんだ!」

「!」

征司はとっさに体をかがませてスリッパを手に取り、階段を越えるように投げた。
事務員は慌てて階段を下りてきて、階段の陰とは逆方向、突き当たりの教室のドアにスリッパが当たる音を聞く。

「あーっ、もう! 誰よスリッパで遊んでるの!」

「…!」

事務員の声に肝を冷やす征司だが、どうやら彼女は投げたスリッパの方向へ向かったようだ。
この時、彼とヴァージャの声が見事にシンクロする。

「今だ!」

投げなかったもう片方のスリッパも手に持ち、陰から出た征司は階段を駆け上がる。
靴下は床との接触で少し滑るが、音が出るよりはマシだった。

征司たちは2階に到着すると、左方向の突き当たりに職員室があるのが見えた。
ゴールまではあと少しだった。

「よし…あそこにさえ入れれば」

「それと、ヤツが来るまで隠れて耐えきれば…だな」

2階の廊下には誰もいない。
征司たちの行く手を阻むものは何もなかった。

(行くぞ…! 何がなんでも職員室に入り込んで隠れてやる! そしてルサグスフを…)

短い時間で数々の感情に翻弄されてきた征司。
しかしその経験が逆に、彼に強い覚悟を決めさせる。

(ルサグスフを、オレは…オレは…!)

その覚悟は、およそ普通の人間が持つべきものではなかった。
だが彼は、自らが生きるためにそれをついに手に入れる。

(殺す…! そうだ、オレはルサグスフを殺す!)

戦うしかない相手、話し合いなどでは解決できない相手というものが、現実には存在する。
征司はそれを嫌というほど知らされた。

だが、嫌でも何でも…
自分が生き残るために、やるしかない。

(やってやる…! 必ず…必ず!)

征司は、それを強く意識した。
それと同時に彼の足は素早く動き、その体を職員室へと運ぶのだった。


>L.S.A.G.S.F. その13へ続く