千葉戦跡を訪ねて | jkl-furukawaのカレイドスコープ

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千葉県旭市塙地区と三川地区にトーチカがある情報がありましたので、こちらの所に行ってきました。

最初飯岡漁港から飯岡駅に向けて歩くのですが、タクシーのおじさんに聞いた話で、東日本大震災での津波被害の話を聞き当時、千葉県の旭市で津波の映像をyoutubeで見たので、それを思い出しました。

聞けば、地形的な影響で銚子は被害が少なく旭市にその被害が集中したとか。
死者19名との事です。ご冥福お祈り申し上げます。

ルートを飯岡での津波の被害地域も含めながらの戦跡めぐりとなりました。

https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=202698983281270757287.0004f05fbf7cff74c776a&msa=0&ll=35.704844,140.735207&spn=0.056385,0.057764

写真のとおり、更地になっている場所にはかつて家があったそうです。
それ以外が新築住宅なのはおして知るべしですね。

困ったことにこの話題は、当時から東北の被害の規模が大きかった為にニュースなどであまり取り上げなかったですね。
実際にタクシーの方も報道陣はあまり来なかったとの事。

しかしですね。天皇陛下はこちらへ被災地への慰問なされています。

http://www.youtube.com/watch?v=2_yv5fjmYF4

この様に、東北だけでなく千葉の飯岡地区にも、ご心配されているありがたい存在なんですよね。
涙がでます。

そして、地形的にかここには沢山の神社寺院があります。
もしかするとその地形の影響で津波などの災害のお納めの意味合いもあったのかもしれません。

タクシーの中で動画をとりましたが、「言葉にもなりません」と言いながら、なんだかんだおっちゃん喋っていたりしてカナリ間抜けな事になっています。
実際に地元の人に何を言っても当時の苦労は計り知れませんのでねぇ…

塙地区のトーチカを特定するのがとても時間がかかり、内部まで調べることができませんでした。
また、今後塹壕などもありますので、ライトや鉈なども必要な気がします。

藪をこぐのも一苦労ですからねぇ…

コンクリートの厚みは当時の艦砲射撃に耐えうる仕様だったのでしょう。
たのブログでは、他に複雑な構造になっているらしく次回は、ここも多く調べて行きたいですね。
そうなると車での移動になるでしょうね。

また、現地の方の話によれば、八木地区にも終戦直前までトーチカの工事をしていたとのおじいさんのお話を聞きました。
まだまだ、現地の方の話を集められそうです。

三川地区のトーチカも見たいとおりとても頑丈なつくりでこちらは浅間神社から内部の立ち入り禁止になっていました。

周辺を写真と動画で収めました。

実際他にも飛行場跡などもありましたが飯岡駅についた時にはタイムアップ。

帰宅がそれでも午後8時を迎える状態です。
本来なら宿などとって地元にお金を落とすような支援もありなのかもしれませんね。

それといつも歩いて思うのが駅周辺がどこも寂れている事ですね。

これは、かつての大型店舗が参入できるような事ができてから拍車がかかったような気がします。
今後もショッピングモールなどの郊外型の大型店舗と通販などで商店街が寂れていくような気がしますね。

それは、私達の生活には大きな影響はないのかもしれません。買い物的にはね。むしろ便利になっている。

しかし、地域のコミュニティの断絶は、その後の有事などで深刻な影を落とすような気がしてなりません。

最後に戦跡を訪ねている最大の理由は平成32年(2020年)のオリンピックまでに再開発による史跡の上書きがある可能性を含んでいる事です。

できるだけ多くの関東圏内のアーカイブをこれからも進めていきたいと思います。