●卒業研究~映画『族譜』(イム・グォンテク)を原作(梶山季之)演劇(ジェームス三木)と比較する。 | 「日韓次世代映画祭」「下川正晴研究室」「大分まちなかTV」ブログ

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下川正晴(大分県立芸術文化短大教授、shimokawa502@gmail.com 携帯電話090-9796-1720、元毎日新聞論説委員、ソウル支局長)。日韓次世代映画祭は2008年開始。「大分まちなかTV」は、学生と商店街のコラボ放送局です。

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昨日、芸短大を卒業した吉弘梓さん(情報コミュニケーション学科)は、その研究会の一員でした。彼女が「卒業研究」としてまとめた映画・原作・演劇の比較研究(要約)をご紹介します。

彼女は今春、国立4年制大学に編入学します。今後、ソウルの大学に1年間留学の予定です。健闘を祈ります。

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ゼミの指導教員から韓国映画「族譜」の研究会を紹介してもらった。「族譜」の日本語字幕制作や「族譜」の歴史的背景などを研究している。私はこの研究チームの一員として、映画「族譜」の監督であるイム・グォンテク監督の作品と、小説「族譜」の原作者である梶山季之氏の作品の比較研究を行った。

映画「族譜」は日本が太平洋戦争に突入する頃の時代を背景にした映画である。

朝鮮総督府は、朝鮮人の人名を日本式の氏名に変えさせるという「創氏改名」の政策を進めていた。京畿道庁の官吏として働く日本人青年の谷六郎(河明中)は、「族譜」(家系図)を守ってきた大地主の薛鎭英(朱善泰)に創氏改名を迫るよう上司から命令される。薛は強く抵抗したが、家族たちへの圧迫が強まり、最後には「草原」を名乗った。彼は自責の念から服毒自殺する。

創氏改名は朝鮮総督府が本籍地を朝鮮に有する日本臣民に対して実施した政策であり、「内鮮一体」の統治政策の下で「皇国臣民化」を推進するために、朝鮮式の姓名を日本式の氏名に変更することを奨励し、強制ないし半強制的に行われた。

私自身が映画と原作を比較して感じた差異点は、(1)ストーリーの進行する時間(2)ラストの葬礼シーン(3)薛鎭英という人物の3点である。

イム・グォンテク監督は、全羅南道長城で生まれ、光州市で育つ。家族に左翼運動家がおり、周囲から差別された。1962年に映画監督としてデビュー。101本の映画を監督し「韓国の黒澤明」と称される。3つの差異は、監督自身が次のように明らかにしている。

「原作の小説では滅亡に向かう朝鮮を既成事実化しつつ、日本人の非情さと韓国人の悲痛を描きました。反面、韓国人である私が見る視角は、その反対でした。私は演出家として、この小説を私なりに解釈して、自分自身を犠牲にしつつも、韓国文化を守ろうとする強い意志を持った韓国人を中心に、映画の中に当時の時代を映し出した。滅亡して行く民族が帯びた黄昏の悲哀ではなく、反対に、民族文化を守ろうとする韓国人の強い意志と衿持を盛り込んだわけです」(民音社「イム・グォンテク監督の映画演出講義」韓国語)

昨年11月25日に大分市牧にある大分県芸術会館で脚本・演出=ジェームス三木による演劇「族譜」の公演があり、参観した。日本人青年の谷に対する薛鎭英や薛鎭英の娘玉順の態度から、日本人の極悪・非道な行いを告発する調子が映画、小説より強いと感じた。

映画と原作、さらに演劇を比較研究することによって、イム・グォンテク監督の日韓両国に対する和解の想い、民族主義者としての強い想いが感じられた。

イム・グォンテク監督が「族譜」を映画化しようと決意したのは、当時、“日韓和解ドラマ”を多く手がけていた脚本家の韓雲史氏が「族譜」をテレビドラマ化したことがきっかけだった。韓先生は「どこの民族、国にも悪いヤツといいヤツがいる。お互い人間として見ようじゃないか」というのが口癖だった。イム・グォンテク監督が日韓和解を強く願う理由は、幼少時代に植民地時代を生き抜き、映画監督として日韓文化交流に携わった経験があるからではないかと思う。

映画「族譜」研究会に参加して、「族譜」という映画に出会えて本当によかった。正直なところ、この映画を初めて見たときは、辛かった。歴史問題による日韓の深い溝を感じ、日本人として悔しく、どうしようもない気持ちで一杯だった。

「族譜」の研究を進めていくと、イム・グォンテク監督は梶山季之の原作よりも、日本人青年の谷を好感のもてる人物として描いていることが分かった。1個の善良な青年に描いたということは、イム・グォンテク監督自身が良好な日韓関係を望んでいたからだと確信する。

これからの日韓関係を良好にするためには、両国の歴史問題をしっかりと把握し受け入れ、歩み寄ることが重要である。お互いの文化を理解し、日韓の懸け橋となっていきたい。