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しかし、1991年に亡くなっていますから、すでに20年近い。うちの学生たちは知らないでしょうね。なにせ18、19歳なんですから・・・。彼らが生まれたころに、監督は亡くなっているのです。
全共闘世代の僕は、映画「橋のない川・第二部」(1970)が部落解放同盟から批判を受けたことを記憶しています。今井正は共産党員でしたから、アンチ日共の解放同盟とは折り合いが悪かった。李承晩ラインと在日韓国人の確執を描いた「あれが港の灯だ」(1961年)は隠れた名作です。ぜひ見てください。水木洋子の脚本が素晴らしい。
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例によって、全文を引用します。ちょっと、長いです。
<アメリカ映画の「ボー・ジェスト」を下敷きにして、満州と朝鮮の国境を舞台に、匪賊の来襲を防衛するために日夜活躍している国境警察官を描こうっていう話なんです。当時は、ロケハンに行くったって、汽車で下関に行き、関釜連絡船で釜山に渡る、それからまた十何時間か汽車に乗って鴨緑江の先端にある新義州という町に着くんです。この鴨緑江が凍結すると、匪賊が河を渡って襲ってくるという設定なんですよ。ひどい寒さでね、風呂に入ると流れた湯がすぐ氷になってタイルにこびりつくほどだった。>
<このロケハンの間に、太平洋戦争が勃発したでしょう。戻ると撮影所も戦時色一色になってね、満浦鎮という鴨緑江の中程にある、平壌から汽車で20時間もかかる国境の街に、翌年の三月に、原節子や高田稔の俳優も一緒に出発したわけです。でも、美術部が苦労して作った望楼が春になって地盤が緩んで、くずれちゃった。結局、セットを建て直して11月に撮影再開になったわけです。朝鮮側からは、浮浪児問題を扱って「家なき天使」ていういいシャシンを撮っていた崔寅奎という監督が全面的に協力してくれて、そのおかげで朝鮮の映画スターがずいぶん出てくれたわけです。>
とりあえず、ここまで。「ポー・ジェスト」という映画は西部劇かと思っていたのですが、いま調べてみると、ちょっと、違うようですね。満浦鎮はいまの北朝鮮慈江道にある満浦市。対岸は中国吉林省の集安市です。川幅が狭く、いまも中朝国境地帯の取材で再三取り上げられる場所です。
崔寅奎(チェ・インギュ)は、韓国の解放前後を代表する監督です。この文章で詳細に紹介する女優・金信哉(キム・シンジェ)のご主人です。「家なき天使」は韓国映像資料院から復刻版のDVDが出ています。私どもが何回か上映したので、ご覧頂いた方もおられるでしょう。警備隊長役の男優・高田稔さんは、今井監督が崔寅奎監督と共同演出した「愛と誓ひ」(1945)にも出ています。感じのいいハンサムな俳優さんです。
崔寅奎監督は、解放後には「自由万歳」(1946)という名作を作ります。ピストルのアクション劇があったりして、面白い作品です。韓国のDVDで出ていますが、残念ながら、日本語字幕が付いていません。監督は朝鮮戦争の際、北朝鮮に拉致されて亡くなりました。彼の人生そのものが、映画みたいに劇的です。
蛇足気味の注釈は、このあたりにして、今井正監督の証言の引用を続けましょう。