「日韓文化交流作文」で毎日新聞表彰 | 「日韓次世代映画祭」「下川正晴研究室」「大分まちなかTV」ブログ

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下川正晴(大分県立芸術文化短大教授、shimokawa502@gmail.com 携帯電話090-9796-1720、元毎日新聞論説委員、ソウル支局長)。日韓次世代映画祭は2008年開始。「大分まちなかTV」は、学生と商店街のコラボ放送局です。

大分発!「日韓次世代交流映画祭」公式ブログ毎日新聞社と在日韓国大使館が募集していた「日韓文化交流作文コンクール」で、応募していた県立芸術文化短期大学2年の赤池すずかさん(19)の作品「日韓次世代、映画を通じて交流する」が、毎日新聞社大分支局長賞を受賞することが分かりました。

毎日新聞社から連絡があったもので、近く、芸短大で表彰式が行われます。

赤池さんは昨年12月に別府市行われた「第2回日韓次世代交流映画祭」で、1年生ながら学生管理委員として、上映日程やゲスト動きに対応する綿密な「行動予定表」を作成するなど、映画祭運営のカナメとして活躍しました。

以下、赤池さんの応募作文(全文)を掲載します。

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初日の夜。映画上映を終えて、JR別府駅近くのビジネスホテルに着いた。午後10時半を過ぎていた。学生スタッフ約20人が、ここに2日間泊まり込んだ。重い荷物を持ち、重い足取りで部屋に入る。和室に敷かれた布団に倒れこむ。「はあーっ、疲れた」。しかし、まだ終わらない。会場で撮影した写真を切り張りして、パネルを作るのだ。

「学生管理」が私の仕事である。ボランティア学生のまとめ役だ。「お風呂に入ったら、部屋に集まってください」とメールを送信した。プリンターとパソコンを取り出し、作業を始めた。静止画担当の学生から回収したメモリーをパソコンで読み込む。一枚一枚見ながら印刷する写真を選ぶ。アン・ソンギさんとツーショット写真を撮った学生もいる。「ちゃっかりしてるなあ」。作業が終わったのは、深夜3時だった。起床は6時半だ。睡眠時間は3時間しかない。トップスター並みのスケジュール。しかし、写真パネルを作った甲斐は十分にあった。

翌朝、会場入り口に飾られたパネルに、”韓流スター”を見に来たお客様たちが食いついた。「イ・ボムス氏、かっこいいわね」「アン・ソンギさんもいるわよ」。楽しそうな会話が聞こえてくる。「よかったね」。私はスタッフと目と目で合図した。

「日韓次世代交流映画祭を、別府と韓国の交流のシンボルにしたい」。私たちは温泉マーク入りのTシャツを着込んで、会場受付や上映係、通訳、ゲストの案内など多様な役割を果たした。別府には年間20万人近い韓国人観光客が訪れる。別府大学や立命館アジア太平洋大学(APU)は韓国人留学生が多い。そんな街にふさわしい文化交流イベントにしようと、私たちはがんばった。
 
先輩の松尾美幸さん(県立芸短大2年)は、第1回映画祭で司会を担当した。今回の開幕式では学生スタッフを代表してあいさつした。「映画祭をきっかけに韓国に興味を持つようになった。夏休みに3週間の短期留学をした。韓国の文化や歴史が肌で感じられ、貴重な経験になった」と述べた。

私自身も今年の春休み、初めて3泊4日のソウル旅行に出かけた。東大門のパン屋さんで陽気なアジョシ(おじさん)と出会った。韓国語で話しかけられ、言葉がわからない私は戸惑っていた。授業で韓国語を習っている友人が「チョヌン イルボンサラム イムニダ(私は日本人です)」と言うと、「こんにちは。日本のどこから来たの?」と片言の日本語で話してくれた。それがとてもうれしかった。

映画祭ではアン・ソンギさんが主演した映画「ギャグマン」(1980)を日本で30年ぶりに上映した。ソウル留学中の日本人大学院生たちが、日本語字幕を制作した。「人情事情お構いなし」(1999)の韓国版DVDは、日本語字幕が少し変だったため、APUの韓国人留学生が中心になって修正作業をした。

韓国語を勉強しているクラスメートはいま市民参加の研究会で、創氏改名をテーマにしたイム・グォンテク監督の映画「族譜」(1978)の新しい日本語字幕作りを始めている。こういった作業も、私たち若い世代が日韓の先輩たちの素晴らしい業績を受け継ぎ、文化交流の道を発展させる一つの方法ではないかと思う。

映画祭は私たち一人一人にとって、一生忘れがたい経験になった。

「韓国と日本がさらに一歩近づいたのは間違いない。これからも韓国映画が永遠に輝いてほしい。(APU/チェ・ウンジ)。「案ずるより産むが易し。本番が始まると、その言葉が頭をよぎった。落ち着いてできた気がする。そりゃ幾らか失敗はあったけれども」(芸短大/中村早希)。「1960年代の作品とは信じがたい衝撃の韓国映画「下女」。女の強さと怖さを見せてくれた。韓国映画ってやっぱりすごい」(大分大/松島文子)

 日韓次世代による映画交流は今年11月、大分県竹田市の長湯温泉で開かれる初の「日韓短編映画祭」でも再現される。日韓の若手監督15人ほどを招待し、その作品を上映するのだ。私たち日韓学生スタッフは、芸短大竹田キャンパスに2日間泊り込んで、運営をバックアップする。竹田キャンパスは、2年前廃校になった小学校が校舎だ。過疎のムラに日韓の若者たちが集まって、映画を通じた文化交流を重ねる。次世代による国際交流が、新しい形の地域おこしになれば、さらに楽しさは増すだろう。