日本を第二の故郷と言ったリカルテ将軍。
$かつて日本は美しかった

 フィリピンは長い間スペインの植民地でしたが、1898年米西戦争が始まるとアメリカがフィリピンに極東艦隊を派遣し、デューイ提督はマニラ湾に入ってきて、「我々はフィリピン独立軍を援助する」と宣言しました。この頃、フィリピン独立の指導者にリカルテ将軍とスペインの策略によって香港に亡命していたアギナルド将軍がいましたが、アメリカの言葉を信用してしまいました。米西戦争の講和会議でフィリピンの特使は出席を拒否され、フィリピンのアメリカ領有が締結されました。アメリカはフィリピン革命軍を掃討しました。サマール島やレイテ島では二十万人を虐殺したといいます。このときのアメリカの司令官はアーサー・マッカーサーであり、あのダグラス・マッカーサーの父です。フィリピン人はこれによってアメリカには勝てないとあきらめました。

 しかし、リカルテ将軍はあきらめず、ボンセ外相を日本に潜入させ、日本のアジア主義者を頼って、犬養毅らに相談することに成功し、参謀総長であった川上操六が極秘にフィリピン独立支援することを決断します。そして兵器を民間に払い下げてドイツの商社に売り渡すという形をとってフィリピンへ送ることにします。しかし、この船「布引丸」が暴風雨にあって沈没してしまったのです。しかし、この善意はフィリピン人には通じており、大東亜戦争後、フィリピンのマルコス大統領は「布引丸」の犠牲者で増田忍夫という人の遺族を二度もフィリピンに招待しています。また、この「布引丸」に先立って先発した一行が犬養毅からアギナルド将軍へ黄金造りの太刀一振りが託されており、これは無事、将軍に渡り、現在はアギナルド・シュライン記念館に展示されているそうです。

 1900年、武運つたなくリカルテ将軍とアギナルド将軍はアメリカ軍に捕らえられ、軍事裁判にかけられグアム島に流刑となります。アギナルド将軍はアメリカに恭順の意を表したため、翌年には釈放されますが、リカルテ将軍は拒否しました。それで香港に追放とします。そうしているうち日露戦争が勃発し、リカルテ将軍は密かにフィリピンに帰国。フィリピンでは日本の勝報が続々と寄せられフィリピンの民衆がそのたび歓呼していました。再び、リカルテ将軍はフィリピン独立の地下運動を拡大させますが、アメリカの知るところとなり今度は根こそぎ壊滅させられてしまいました。(マリベレス事件)

 アメリカに捉えられたリカルテ将軍は香港のラマ島に流され、その後、上海の監獄に入れられます。ここで日本の志士、頭山満、リカルテ夫人が協力し、将軍を脱獄させ、日本に亡命させます。そして将軍は横浜の山下町に長く住むことになります。

 リカルテ将軍が再び祖国の地を踏んだのは大東亜戦争・日米戦が始り、日本軍がフィリピンを占領したときでした。既に75歳でした。フィリピンでは「リカルテ将軍帰る!」のニュースが広がり、フィリピン国民は歓呼・発奮したといいます。
 大東亜戦争末期、劣勢となった日本軍はラウレル大統領とリカルテ将軍に日本へ亡命するように勧めましたが、将軍は「わしはフィリピン人です。米比戦争で降伏していない、唯一の将軍です。わしは祖国に踏みとどまって、最後の一人になるまで、アメリカと戦う覚悟です」と答えました。

 リカルテ将軍は日本軍、山下総司令官と行動をともにし、1945年7月、山岳の中で太田謙四郎副官に看護されつつ、80年の生涯を閉じました。

 リカルテ将軍の遺言。
「わしの墓は第二の故郷である日本に建てて欲しい」

 将軍の遺骨は小平霊園の「大田家の墓」に葬られています。



参考文献
 「アジアに生きる大東亜戦争」ASEANセンター編
 週刊新潮2009.7.30変見自在「マッカーサー道路」高山正之
 「フィリピン少年が見た カミカゼ」ダニエル・H・ディソン著
参考サイト
 WikiPedia「アルテミオ・リカルテ」
添付画像
 英雄墓地にあるリカルテ将軍の墓(PD)

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山下公園にあるリカルテ将軍記念碑の碑文
【リカルテ将軍記念碑】
アルテミオ・リカルテは一八六六年十月二十日フィリピン共和国北イロコス州バタック町に生る。一八九六年祖国独立のため挙兵、一九一五年「平和の鐘の鳴るまで祖国の土をふまず」と日本に亡命、横浜市山下町一四九に寓居す。一九四三年生涯の夢であった祖国の独立を見しも、八十才の高令と病気のため一九四五年七月三十一日北部ルソンの山中に於て波乱の一生を終る。リカルテは真の愛国者であり、フィリピンの国家英雄であった。茲に記念碑を建て、この地を訪れる比国人にリカルテ亡命の地を示し、併せて日比親善の一助とす。

昭和四十六年十月二十日

財団法人 フィリピン協会

会長 岸 信介