この呪縛から解き放たれたとき本当の実習指導の楽しさがわかるのかも | 実習記録に振り回されない看護過程の学び方

この呪縛から解き放たれたとき本当の実習指導の楽しさがわかるのかも

いつも、ありがとうございます。

ローザン由香里です。

 

 

 

 

いろんな指導があっていいと思う。

 

 

だから、これがたった一つの正解だとして、提案してるわけではないことを前提で。

 

 

これまでの、いろんな実習を思い返して、「あの実習、もう一回やりたいです」と言われたことはないけど(笑)、「あの実習、すっごく楽しかったです」と、泣けちゃうぐらいの笑顔で言われたことはあるんだよね。

 

 

っで、その実習に共通点があることに、気づいたんだ。

 

 

【学生と、一緒に学んでる】

 

 

学生と一緒に学ぶ謙虚な姿勢、というよりも、本当に実際に、一緒にいろんなことに気づいたり、驚いたり、感動したりしてた。

 

 

先生、とか、指導者っていう立場になると、「教える人」=「正しい知識を与える人」みたいな印象になりがち。

 

 

私は、指導を始めたばかりの頃、こんなふうに頭でっかちになってて。

 

 

「なんでも知ってないといけない。学生からの質問には、正しくキチンと答えないといけない」って。

 

 

そんなこと、誰が決めたんだろうね〜。

 

 

でもね、多分気づく。

どこかの段階で。

 

 

「そんなこと、無理っす」って。

 

 

あきらめざるを得なくなったというか、正しくは「なんでも知ってない、そんな自分」を認めざるを得なくなった、かな。

 

 

知らないことがある指導者って、頼りないんじゃないか、がっかりされるんじゃないか、バカにされるんじゃないかってビビってたけど、思い込みって恐ろしいね〜。

 

 

頼りないぐらいが、ちょうどいい。笑

 

 

聞かれて答えられないものは、一緒に調べたり、場合によっては「調べたら、私にも教えて〜」とお願いしたり、一緒に指導者さんに聞いてみようって、2人で指導者さんに聞きに行ったり。

 

 

結果、学生が自立する、という。笑

 

 

 

 

呪縛から解放されてから、「与える」教え方をやめました。

 

 

一緒に考える。

一緒にやってみる。

一緒に振り返る。

 

 

もちろん、主役は学生。

学生なりの答えが出せるように、伴走するのか私の役目。

 

 

これが、私にはぴったりで。

 

 

この方法が定着するにつれて、「実習が楽しかった」と言われる回数が増えていったように思います。

 

 

 

 

指導の経験が浅いと、実習がうまくいかないことで、自分を責めることがあります。

 

 

学生想いの先生や指導者であればあるほど、もっと適切な指導ができれば、学生たちにとってもっと充実した実習になったのに・・・と。

 

 

私も、そうでした。

 

 

ただ、ずっと指導を続けてきて思うんです。

 

 

実習がうまくいくかどうかに、指導技術って関係ないことはないと思います。ただ、指導技術が実習の成功要因として占める割合は、そんなに大きくはない、と。

 

 

・看護の専門家であること

・学生(指導の対象)を把握していること

 

 

指導技術にこだわるよりも、この2つのことにフォーカスする方が、ずっと実習はうまく行くような気がします。

 

 

実習指導を担当する方は、すでに看護の専門家。

 

 

だとすると、つまり、実習がうまく行くために、力を入れたいのは、学生とのコミュニケーション。

 

 

学生は、どんなことを考えていて、どんな実習をしたいと思っていて、どんなことに興味があって、どんな風に取り組んでいて。

 

 

学生の頭の中が見えるようになる、そんな関係をつくることが、何よりの成功要因になるんじゃないのかな、と。

 

 

これが、指導技術なのかも。

 

 

たかが、コミュニケーション。

されど、コミュニケーション。