「殺しが静かにやって来る」~白銀を血で染める戦慄のラスト | じろう丸の徒然日記

じろう丸の徒然日記

私こと、じろう丸が、日常の出来事、思うことなどを、気まぐれに書き綴ります。

私が小学6年のとき、担任の先生が授業の合間の雑談で、昨夜テレビで観たある西部劇映画の話をしてくれたことがある。
何でも先生は、この映画を観たことを、とてもとても後悔しているらしかった。はっきりと「観なけりゃ良かった。」と言い切ったほどである。
 
先生が話してくれた内容によれば、ある雪の村に流れ者のガンマンがやって来る。
このガンマンは幼い頃に両親を目の前で悪党に殺され、彼自身もそのことを誰にも話せないよう、喉をナイフで切られてしまった。だから彼は口がきけない。声が出ないのである。
彼は長じて殺し屋となったが、悪党だけを専門に殺す正義の人であった。
言葉の話せない孤独なガンマンは、村の美しい黒人女性と恋に落ちる。
ガンマンがやって来た村は賞金稼ぎの悪党どもに事実上支配されていた。新任の保安官賞金稼ぎの男を逮捕し町へ護送しようとしたが、途中でこやつの罠にかかって殺されてしまい、悪魔は再び村に舞い戻った。
ガンマンは村で自分の両親を殺した男と再会、舞い戻った悪魔のような賞金稼ぎと戦うが、けっきょく敗れ、恋人の黒人女性ともども殺され、村人達も皆殺しにされてしまう、というものだった。
 
私は大人になってから、ぐうぜんこの映画がテレビで放送された際、観ることができた。
ストーリー展開といい、登場人物の設定といい、たしかに小学校時代の恩師が話してくれた映画に違いなかった。
ただし、ラストが違っていた。最後は口のきけないガンマンが賞金稼ぎの男に勝利し、他の悪党どもも全滅させる。そして恋人の黒人女性とめでたく結ばれる。
実はこの映画は、あまりの非情なラストにプロデューサーが仰天し、もうひとつのハッピーエンドに終わるラストを監督に命じて撮らせたのだそうだ。
私がぐうぜん観たテレビ放送では、このハッピーエンド・バージョンが使われていたのだった。
2002年だったか、DVD化されたので、さっそく購入した。
じろう丸の徒然日記-殺しが静かにやって来る

 
1969年イタリア、フランス合作作品。
監督:セルジオ・コルブッチ
脚本:セルジオ・コルブッチヴィットリアーノ・ペトリッリマリオ・アメンドーラブルーノ・コルブッチ
撮影:シルヴァーノ・イッポリティ
音楽:エンニオ・モリコーネ
 
1898年の冬、ユタ州の僻地にある村スノーヒル。深い雪におおわれたこの村に、ひとりのガンマンがやって来た。
幼い頃に賞金稼ぎに両親を殺され、自らも口封じのために喉を裂かれた過去を持つこのガンマン、サイレンスジャン=ルイ・トランティニアンは、凄腕の殺し屋であった。
殺す相手は悪党に限られ、依頼主はサイレンスと同じように悪党に身内を殺された人々がほとんどだった。
サイレンスの愛用の拳銃は、オートマチック式のモーゼル銃(この時代にそんな銃が本当にあったのか疑問だが、まあここは「あった」ということにしておこう)。
サイレンスは早撃ちの名手であり、どんな悪党も彼を怖れた。西部広しといえどもサイレンスほど速く拳銃を抜ける者はいないのだ。
だがサイレンスは、相手が懺悔して許しを請う場合は、殺さず、親指を吹っ飛ばすだけで許してやるのだった。親指さえ失くせば、もう武器を持って悪事をはたらけないからだ。
 
サイレンスの両親を殺した悪党は何とこの村の判事になっていた。しかも判事の立場を悪用、村人達から仕事を奪い、村人達がやむなく盗みをはたらくと、それを理由に彼らに賞金をかけ、賞金稼ぎの餌食にしていた。
その元・賞金稼ぎ悪党判事ポリケットと手を組んで荒稼ぎしているのは、現役の賞金稼ぎのロコクラウス・キンスキーである。
ロコに夫を殺された黒人女性ポーリンヴォネッタ・マギーは、サイエンスロコの殺害を依頼、依頼を受けたサイレンスロコに酒場でわざとケンカを売る。
アメリカの法律では(少なくともこの時代のユタ州では)、争い事の際、相手が先に銃を抜いてからその相手を射殺した場合は正当防衛が認められ、罪に問われないのである。だからガンマン達はあらゆる手を使って相手に先に銃を抜かせようとする。サイレンスも例外ではなかった。
だが狡猾なロコサイレンスの考えを見抜き、素手で殴りかかってきた。サイレンスは薪でロコをぶん殴り、店の外までぶっとばす。
居合わせたロコの仲間達がそれを見て拳銃を抜きかけた瞬間、サイレンスの連続早撃ちが全員を斃(たお)した。
ロコサイレンスを後ろから撃とうとして(これは違法なのだ)新任の保安官フランク・ウォルフに逮捕され、町へ送られることになった。
だがロコは護送される途中、小便をするふりをして、あらかじめ雪の下に埋めておいたライフルを掘り出すと保安官に発砲、彼を凍った川の底に沈めると、再び村へ戻った。
 
サイレンスは親の仇であるポリケットを殺すが、その仲間に右手を焼かれてしまう。
酒場では村人達ロコの仲間達に捕らえられ監禁されていた。サイレンスをおびき出すための人質なのだ。
右手が使えなくなったサイレンスロコ1対1の決闘を持ちかけるが、卑怯にも仲間の助けを借りてサイレンスを撃ち殺す。
サイレンスとのあいだに愛が芽生えていたポーリンは泣きながら彼の亡骸にすがりつき、やはりロコに撃ち殺される。
犯罪者に仕立て上げられ賞金をかけられていた村人達もその場で全員が射殺され、かくして
この村は全滅した。
 
現役の判事が元は賞金稼ぎだったり、一般村民凶悪犯と捏造され全滅させられたり、
「アメリカの正義」に対する不信感がここまであらわにされた作品も滅多にない。
 
(もうひとつのエンディング 私がテレビで観たバージョン)
右手が傷ついたままロコとの決闘に挑んだサイレンスは、ロコの仲間に残る左手をも撃たれてしまい、絶体絶命のピンチに陥る。
だがサイレンスの闘志は萎えることなく、彼の眼光は鋭くロコを見据えていた。
ロコはあざ笑うかのように拳銃をゆっくりとサイレンスに向けた。
そのとき、死んだはずの保安官が馬に乗って駆けつけ、馬上からロコにライフルの銃撃をあびせた。
ロコは斃れ、サイレンスの左手を撃った男も続けて射殺された。
サイレンスは包帯の巻かれた右手にモーゼル銃を持つと、店の中に飛び込み、残った悪党どもを残らず始末した。
保安官ロコに川に落とされたが、すぐにたまたま通りかかった人に救助され、身体を温めて体力を回復させると、すぐに村へ戻ったであろうロコの後を追ったのである。
ポーリンサイレンスの右手の包帯をほどいて、新たに傷ついた左手に巻いてやった。サイレンスの右手は金属製の籠手で補強されていた。だから拳銃を持つことが出来たのだ。
保安官ポーリンに言った。
「奥さん、その男は正義のためとはいえ多くの人間を殺した殺し屋だ。だが今回私に協力してくれたので、これまでのことは目をつぶろう。
だから奥さん、あんたがその男と所帯を持とうとどうしようと、あんたの自由だよ。」
思わずとまどうポーリンに、サイレンスはにっこりと微笑みかけた。この男が初めて見せた笑顔だった。
暗く長い夜が明けた。保安官はふたりにウインクして去っていく。
開放された村人達は朝日の中を、それぞれの家へ帰っていくのだった。