10年前の今日(2002年11月25日):栃木県大沢町~宇都宮駅、宇都宮駅~雀宮駅 (約28キロ | 佐々木健二ブログ「ジンケスパイダー2」

10年前の今日(2002年11月25日):栃木県大沢町~宇都宮駅、宇都宮駅~雀宮駅 (約28キロ

岩手→東京 徒歩による路上ライブツアー600キロ(2002年9月10日~12月8日) その49


 車中泊、5時30分起床。外はまだ暗く、夜中に雨が降っていたせいか窓からアスファルトが濡れて光っているのが見えた。体が冷え切っている。セブンイレブンに寄り、歯を磨きお茶を飲んで体を温めた。外に出てきた店員が話しかけてきたので京都から東京、岩手から日光まで歩いてきたと言うと驚いていた。


 セブンイレブンの駐車場で、しばらく津島とビジネスとはどういうことなんだ?と言う話しをした。彼はフリーカメラマンで自分の力で金を得ている。僕は一年前までバイトで金を得ていたが、今年は路上ライブをやってCDを売り、投げ銭をもらって金を得ている。1日、数千円の儲けだが、自分の力で「生活している」と言う気になっていた。その観点から見ると後輩の津島は偉大な先輩に見えた。自分の力と実力で生活している津島の話を感心しながら聞き入った。


 大沢町の交差点から再び杉並木に入る。突然、車が横付けしてきて中の運転手が話しかけてきた。菊池さんという男だった。菊池さんはバイク好きで家族から白い目で見られているが、最近は子供のために自粛しているらしい。彼の自宅に行きコーヒーをいただく。 「行動するか、しないか。それが大事ですよね」
と、自慢のバイクを眺めながら菊池さんが言っていた。なぜ、彼がそんな風に言うのかよく理解していなかったが、いずれ自分の好きな事をやめてでも家族を守ると言った気持ちととれた。


 先ほどの場所に戻り歩き始めると、菊池さんから電話がかかってきた。聞くと娘に「なんで、CDを買ってあげなかったのか」ととがめられたという。しばらくして菊池さんはバスケットボール部の娘さんを連れてやってきた。娘さんは僕のプロフィールを聞いて信じなかった。菊池さんは、僕を紹介しながら
 「いいか、人は行動するか、しないかなんだ。お前も考えないと」
 「また、言う……」
と言って娘は呆れていた。菊池さん親子の前で歌を歌い約束通りCDを買ってもらった。


 菊池親子に別れを告げ宇都宮駅を目指した。アスファルトにもみじの葉っぱが落ちていて、雨でもみじが濡れていたせいかキャリアのタイヤにくっついてキャタピラのようになっている。タイヤにくっついたもみじがクッションになって、振動が手に柔らかく伝わってくる。上を見上げると葉っぱが落ちた細かい枝が、血管のように空に分かれている。人からも注目されなくなった寂しい木はこれから厳冬を迎えじっと耐えるのみとなる。やがて春になり、時期を見て木は花を咲かせ緑の葉をたたえ人々や動物の役に立つ。その繰り返しをしながらやがて枯れていく。彼らのサイクルを見て、僕はあと何回、春を迎えれるのだろうかと考えた。今、33才で、めいいっぱい動ける年齢の期限を53才だとすると、あと20年。つまり20回しか迎える事ができない。その20回を全力で過ごそう。ふと、菊池さんの「行動するか、しないか」という言葉を思い出した。


 翌日、25日。土砂降りの中、雀宮駅まで歩いた。駅で歌うとタクシーの運転手が雨宿りをしながら静かに聞いていた。どういう境遇か聞かなかったが彼は「僕も夢にむかってがんばってます」と言って仕事に戻っていった。


 不思議なもので、ツアーを始めた頃の自分は気持ちに余裕が無く、自信も無し。イライラと絶望が入り交じっていて、その頃だったら「僕も夢に向かって……」等と言われてきたら受け入れることができず「勝手に向かってくれ」と思っていただろう。しかし、今は「そうだな」と思えるようになった。同時に「続けていれば、夢がかなうかもしれません」と言えるようになってきた。人というのは気持ちひとつで心持ちが変わるもんだ。津島の車に戻り宇都宮の健康ランドに向かう。道中、助手席からあらためて津島がいてくれることに気がつき感謝した。仲間、家族、つながりってーのは、かけがえのないものであり大事にものなんだ。



佐々木健二公式ブログ「ジンケスパイダー2」

画像:菊池さんとの出会い



佐々木健二公式ブログ「ジンケスパイダー2」

画像:菊池さん親子と



佐々木健二公式ブログ「ジンケスパイダー2」

画像:寒い日は福島県瀬上の阿部さんからもらったフリースを着て歩く



佐々木健二公式ブログ「ジンケスパイダー2」

画像:雨の中を歩く時はポンチョがいいかなと購入したが、動きづらかった



佐々木健二公式ブログ「ジンケスパイダー2」

画像:雀宮駅にて