10年前の今日(2002年10月2日):宮城県登米郡登米(約0キロ:歩:晴れ) | 佐々木健二ブログ「ジンケスパイダー2」

10年前の今日(2002年10月2日):宮城県登米郡登米(約0キロ:歩:晴れ)

岩手→東京 徒歩による路上ライブツアー600キロ(2002年9月10日~12月8日) その15



 台風一過。きれいな青空が広がり、その中を無数のトンボが舞っている。今日は登米で知り合った方が人を集めてくれるというので、ライブをすることになり日中はオフとなった。お昼、ツイストアゲインの塚本さんが日中働いている店に行く。「佐々木君、登米丼、食ったことあるか?ごちそうしてやっから」とそれを出された。油麩を卵でとじたもので、椎茸のだしがしみこんで、醤油とまざるから香りがいい。油麩の周りがしっかりしているから崩れることもない。見た目はシンプルだがなかなかヘビーで毎日体力を使い切るツアーにはちょうどいいように思えた。うまいメシをごちそうになった後、北上川に行って、川の様子を見た。昨日の台風で増水していて茶色く流れが速い。こんな状態の日、昔なら蒸気船が盛岡まで行ったのだろう。


 登米の街を散策した。明治時代の警察署がそのままの状態で残っていて、木の床の階段は明治時代の警察がびょう付きの靴で登り降りしたせいで、真ん中がすり減っていた。数名が入る雑居房も当時のまま残されており、狭い部屋にはゴザが敷いてあるだけ。奥には床に穴が空いていだけのトイレがあった。穴の下には瓶があったので臭いがひどかった。その臭いを嗅ぎながら3食、食べるので「くさいメシ」と言われるようになったという。


 国指定重要文化財「登米高等尋常小学校」である教育資料館に行く。コの字型の2階建て木造建築で中央には白く塗られたテラスがある。大きく立派な学校だ。中に入ると黒光りした床や雨で光沢の無くなった窓ガラスのさん、歩くたびに「きゅっ」と鳴る音。教室には幻灯機があり西日をうけて光っていた。誰もいない教室の椅子に座り机を枕にする。木のぬくもりを味わいつつウトウトしていると、観光客だろうか、オルガンの音が流れてきた。空気の量が安定しないので、フワフワした音だが、むしろそれが懐かしい。やわらかい音色の伴奏に合わせて誰かが「お馬の親子は……」と口ずさんだ。その音の発信源である教室を覗くとおばあちゃん達だった。やがて合唱は大きくなり、お互いに笑い合っている。その音を聞きながら2階の窓から外を眺めていると、本物の小学生が全力で走っていった。


 外に出てぼんやりしていると小学生の女の子が寄ってきた。カメラを向けるとサッとしゃがんで逃げる。僕が構えるのをやめると、また寄ってくる。それを何度も繰り返して遊んだ。制服を着た教育資料館の管理人がやってきて「そろそろ閉館です」と言って門にひもを取り付けると、まるで口うるさい担任の先生に見えた。子供の頃、なにかを強制終了されると嫌だったな。つきあって遊んでくれる大人は憧れのアイドルのような存在だった。僕はあの頃描いた理想の大人になっているのだろうか。


 夜、ツイストアゲインに行くと数十名の人が集まっていた。塚本さんが「あー、この佐々木健二君というのは、……なんだっけ。歩いてるんだっけ?昨日、登米に来たんだよな?ま、いいか。とにかく、旅してCDを売ってるんだと。買ってやってー。」と適当な紹介をしてくれた。ギターを弾くとアンプからデカイ音が出る。マイクを通すから声もデカイ。ビックリして「ずっと、田んぼや山の中でライブやってたもんで。電気があるといいっすね」とMCをする。「こいつは電気も知らないくらいの貧乏だがらさあ。だがら、CD買ってやってー」と塚本さんがヤジを入れると、みんな笑った。1時間ほど演奏し、その後はカラオケ大会になった。たくさんビールを飲んだ。僕はすっかり酔っ払ったようだ。気がつくとラーメン屋の中林の2階にの布団に倒れ、そのまま眠ってしまっていた。




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画像:警察署




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国指定重要文化財「登米高等尋常小学校」




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