二日目は土曜日のため、視察が組めずタイで観光です。

カズヤくんらはアユタヤ遺跡を見にいきましたが、私は行ったことがあるので、戦跡のある国境に近い町カンチャナブリーにきました。

大東亜戦争当時、日本軍はタイ王国と協定を結び、イギリス領を攻めるために、ビルマに侵攻。

その際にタイービルマ間に輸送ルートをつくるために、全長415キロの泰緬連接鉄道を敷設しました。

その鉄道の中心都市の一つがカンチャナブリーです。

映画『戦場にかける橋』でも舞台になったため、現在では観光地にもなっています。
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橋を含むこの線路の建設には、

日本軍12000人
連合軍捕虜62000人
アジア系労働者20万人

が動員され、たくさんの方が亡くなりました。
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イギリス人、オーストラリア人、アメリカ人、オランダ人といった 捕虜も鉄道工事でなくなり、線路近くに埋葬されましたが、戦後共同墓地や本国に移されたそうです。

橋の近くには日本人の慰霊碑もあり、毎年三月に在タイの日本人の方々が慰霊祭をして下さっています。

東南アジアにはどこにも日本人の足跡があります。
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また慰霊碑のとなりには、
第二次世界大戦博物館があります。
入り口には大戦当時日本軍がもってきた機関車が。サビサビですf^_^;
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博物館の中には旧日本軍の備品や、
日本軍が捕虜を働かせる展示などがありました。
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戦争中に日本軍がどんな捕虜の扱いをしたのか?また機会があれば勉強してみます。

アメリカでの日系人の扱いや、ソ連のシベリア抑留などとも比較してみないといけません。

戦争は残酷です。

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かつての鉄道は戦後タイ政府により整備されましたが、ミャンマーまでいく利用者が少ないので、今は途中で切れています。

しかし、かつて日本人がひいた路線が途中までは残っているので、電車に乗ってさらに山の中まで入りました。
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車窓からは農地やジャングルが見えます。70年前まで日本人がこのラインを通りビルマまで移動してたのかと思うと、感じるところ大でした。
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また、山の中にかけた橋などは70年前の技術では、相当な死人もでたとのこと。

戦略なき戦線の拡大で、こんなところで橋をかけ亡くなった方もいるかとおもうと、こみ上げてくるものがあります。


今日は随分バンコクから離れましたf^_^;
今から三時間半バスに揺られてバンコクにもどります。

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