2007年、京都国立博物館(非巡回)で開催された狩野永徳展

出口付近に、2010年に開催予定の展覧会が告知されていました。

それが、この長谷川等伯展。
美・食・遊 雑記帳

実は京都の狩野永徳展に行く前日、私は智積院(祥雲寺跡)に宿泊していた

こともあり、その時は巡り会わせを強く感じました。

待つこと約2年。つまり狩野永徳展を観終えた瞬間から、待ち焦がれていました。


「絵師の正体を見た。」

この副題の意味を、この展覧会を通してなんとなくわかった気がします。


能登から立身出世を夢見て上洛し、その後金碧画の作風に至るまで、

狩野一門、特に永徳をライバルとして闘い、その絶頂を豊臣秀吉の嫡男

鶴松の菩提寺である祥雲寺の壁画に見るわけですが、そのきっかけと

なったのは、おそらく一時、豊臣秀吉の厚い信任を得た千利休との

出会いだったのでは?と千利休の肖像画を見て、なんとなくそう思った。


京で千利休に到達し、千利休から豊臣秀吉の人となりを知り、その後鶴松の死を聞く。

訃報を聞いたときには、既に金箔を多用した金碧画の技法やその表現

にトライしていた、あるいは確立していたのではないだろうか。

その結果、秀吉の好みを熟知している等伯の前には、あの狩野一門でさえ

太刀打ちすることもできなかったのではないだろうか。


展覧会では、久蔵の死について触れられていなかったような気がするが、

その後の作風の変化が、等伯の画風を更に高みへと押し上げる。

それが水墨画。久蔵の死の影響なのか、高僧にまつわる故事や、

隠師を主題にした作品を多く描いている。主題も、まるで

その時々の心情を表しているかのよう。


今回の展覧会の構成を経て、最後に松林図屏風を観てみると

等伯が歩んできた人生の酸いも甘いも、苦しさも葛藤も、

すべてが凝縮されているかのよう。’悟り’’開眼’という言葉が過ぎる。

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冷たい雨が静かに降り続く中、上野公園では一足早い桜が咲いています。
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なぜか早咲きの桜には、特別な何かを感じます。


長谷川等伯 「没後400年」
会場: 東京国立博物館
スケジュール: 2010年02月23日 ~ 2010年03月22日
住所: 〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9
電話: 03-5777-8600