こんばんはー。
本日中に続きを書いてしまおう~。と、
お布団に入り込む前に、パソコンの前に座ってしまった
上海から岩野です。
朱実先生のお部屋を、綱渡り状態で探し当てた私、、、。
先生は、「あ、岩野さん」と言いながら、
ご自分の座っていた椅子を勧めてくれた。
「いえいえ、大丈夫」ということで、勝手に先生のベッドに
座ってしまった図々しい私。
その後、日本でのお話をされる先生。
「せ、先生、、。汗が大丈夫ですか」
あけみ先生「大丈夫、大丈夫」
と言いながら、お話を続けるのでありました。
可愛いお孫さんとのツーショットから、日本でのお友達との
お写真など、お話を交えながら説明してくれる先生。
そのお話の中に、「五行歌」をご自分で考えだされ、
五行歌の主催者でいらっしゃる草壁先生にお目にかかったという
お話をされました。
「五行歌」私は、もちろん初めて聞きました。
そして、調べてみました。
五行歌とは、日本のこれまでの詩型から、
新しく考えられた自由で、書きやすく、また完成しやすい
短い詩の形です。「五行歌の会」HPより
草壁焔太(くさかべ/えんた)先生
朱実先生に、ブログでご紹介しますね、ということで、
写真を写真撮り。桜の写真とダブルでーす。
そして、悠木すみれさんという草壁先生の秘書であり、
五行歌を出版されていらっしゃる方が、上海短歌会をご存知だった
というお話もしてくださいました。
私のブログで見てくださったとのこと。
嬉しいな~。
上海短歌会は2008年12月に発足し、細々ながら今も続いております。
次回は43回目となります。今年は50回目の開催を目指しておりますの~。
朱実先生との出逢いも「上海短歌会」です。
学生運動で台湾から脱出し日本へ、そして日本の大学で漢詩等の
教鞭をとられ、後半葉岐阜大学の名誉教授。
岐阜では、漢俳の会もされていた。
その後、上海へ。山田洋次監督の映画を翻訳し中国に広め、
朱実先生自身もエキストラで寅さんに出演しているのです(笑)。
日中国交正常化では、周恩来さんと田中角栄さんの通訳をされた、
当時を知る貴重なお方であります。
そして、私が探し当てた18階は、
「离休干部病房」
“1949年以前に革命に参加した幹部で離職された方たちの病棟”
という意味のフロアだったらしいのです。OH! CHINA!
これは、エレベータまで、先生が送ってくださったときに
私に教えてくれたことです。
そんな先生に、私は「姉御」と呼ばれている、、、。光栄です(;^_^A。
もうひとつ、説明してくれたもの。
こちらは、退院された方々が、看護婦さんたちに送った
御礼の旗とのこと。
「ナイチンゲールのように、優しくしてもらい、ありがとう」
というような意味合いの言葉があったり、様々です。
この赤い旗が、本当に中国ならではですね。
入院中なのに、「次の短歌会はいつですか」と聞く先生。
「25日くらいかな~」
との私の返事に、
「15日くらいに退院なので、その頃は参加できると思います。」
と言ってくださいました。
ちょっと心配なんですが、楽しみにしてくださるというお気持ち、
本当に嬉しいですね。
何だか、不思議な使命感が湧いてきました。
「1人でも、やりたいって方がいる限り、続けますね。」
これは、いつも会員の皆様に言っている言葉です。
今月も、上海短歌会を決行しなければ~。
と思いながら、病院を後にした私でした。
本日中に続きを書いてしまおう~。と、
お布団に入り込む前に、パソコンの前に座ってしまった
上海から岩野です。
朱実先生のお部屋を、綱渡り状態で探し当てた私、、、。
先生は、「あ、岩野さん」と言いながら、
ご自分の座っていた椅子を勧めてくれた。
「いえいえ、大丈夫」ということで、勝手に先生のベッドに
座ってしまった図々しい私。
その後、日本でのお話をされる先生。
「せ、先生、、。汗が大丈夫ですか」
あけみ先生「大丈夫、大丈夫」
と言いながら、お話を続けるのでありました。
可愛いお孫さんとのツーショットから、日本でのお友達との
お写真など、お話を交えながら説明してくれる先生。
そのお話の中に、「五行歌」をご自分で考えだされ、
五行歌の主催者でいらっしゃる草壁先生にお目にかかったという
お話をされました。
「五行歌」私は、もちろん初めて聞きました。
そして、調べてみました。
五行歌とは、日本のこれまでの詩型から、
新しく考えられた自由で、書きやすく、また完成しやすい
短い詩の形です。「五行歌の会」HPより
草壁焔太(くさかべ/えんた)先生
朱実先生に、ブログでご紹介しますね、ということで、
写真を写真撮り。桜の写真とダブルでーす。
そして、悠木すみれさんという草壁先生の秘書であり、
五行歌を出版されていらっしゃる方が、上海短歌会をご存知だった
というお話もしてくださいました。
私のブログで見てくださったとのこと。
嬉しいな~。
上海短歌会は2008年12月に発足し、細々ながら今も続いております。
次回は43回目となります。今年は50回目の開催を目指しておりますの~。
朱実先生との出逢いも「上海短歌会」です。
学生運動で台湾から脱出し日本へ、そして日本の大学で漢詩等の
教鞭をとられ、後半葉岐阜大学の名誉教授。
岐阜では、漢俳の会もされていた。
その後、上海へ。山田洋次監督の映画を翻訳し中国に広め、
朱実先生自身もエキストラで寅さんに出演しているのです(笑)。
日中国交正常化では、周恩来さんと田中角栄さんの通訳をされた、
当時を知る貴重なお方であります。
そして、私が探し当てた18階は、
「离休干部病房」
“1949年以前に革命に参加した幹部で離職された方たちの病棟”
という意味のフロアだったらしいのです。OH! CHINA!
これは、エレベータまで、先生が送ってくださったときに
私に教えてくれたことです。
そんな先生に、私は「姉御」と呼ばれている、、、。光栄です(;^_^A。
もうひとつ、説明してくれたもの。
こちらは、退院された方々が、看護婦さんたちに送った
御礼の旗とのこと。
「ナイチンゲールのように、優しくしてもらい、ありがとう」
というような意味合いの言葉があったり、様々です。
この赤い旗が、本当に中国ならではですね。
入院中なのに、「次の短歌会はいつですか」と聞く先生。
「25日くらいかな~」
との私の返事に、
「15日くらいに退院なので、その頃は参加できると思います。」
と言ってくださいました。
ちょっと心配なんですが、楽しみにしてくださるというお気持ち、
本当に嬉しいですね。
何だか、不思議な使命感が湧いてきました。
「1人でも、やりたいって方がいる限り、続けますね。」
これは、いつも会員の皆様に言っている言葉です。
今月も、上海短歌会を決行しなければ~。
と思いながら、病院を後にした私でした。