おはNOONティー!
【おまけ】もあるよ!
すごーくアヤシイ話を書きます。
昨日のことですが、ある方とお電話をしました。このブログの読者様です。
ちょっといくつかの問題を抱えており、そのご相談ということもありました。
ところが・・・
私と電話でお話しする時には
「すべての問題が解決していた」w
その方は「ジーナさん、なにかしました?」と言われたのですが、私はメールの段階で愛を送っただけです。
ここで私が詐欺師なら「ええやりましたよ!私がやったんですよ!」とだまして引き込んでいくわけですがw
惜しいことにw私人を騙す段階は終わってまして、騙せねえ!
すべては網の目のようにつながっています。独立したことなどありません。本当に。
もしかしたら、私と電話でお話しするためのネタをお互いのガイドさんたちが用意してくださったのかもしれませんw(いや、もっとちゃんとした理由はあるのですが)
とにかくその方、電話中ずーっと笑ってるの!私も笑ってるの!
それが私には何よりも楽しかったです。
Hさん!ありがとうございました!
全部大丈夫だからね!
(追記:今見たらバシャールたんが同じこと言ってた!いいこと言うなあ、こいつ!
【バシャール:素晴らしい人生を】
ぜーんぶ「自分」だよ!)
それと・・・
先日の8月1日の記事
【学問を過信しない】の記事のお祭りコメント欄
ですが、なんだかわかりませんがすごくパワーを感じます。
記事本編ではなく、コメント欄にw
「ネットのページにパワーもなにもあるのかよ!」
というご批判もあるのでしょうが、あるかもよ?
ここ、ずっと開放しておきますので、パワーほしい方は書き込みに行かれてください。
私もなんか書き込もうw
よっしゃ、コピペなので本編か何か分からんが、がっちゃん、いったれ!
コピペピポー!
(NDDさーん!)
1
「片方の靴」について1(利き足側)
七日目ありがとうございます。
今日は「靴」ですね。長いのでコメントするか迷いましたが、昨日ぱふぱふ動画をダウンロードしようとして出てきた画像認証が「kick your heels」ということで、今現在自分が思ったことをそのまま書き出させていただきます。
先日、「片方の靴」に関するシーンを目撃しました。
朝のTVドラマで、ヒロインが仕事相手に会いに行き、仕事を終え、帰ろうとしたとき躓いて転んでしまいました。そして、片方のローヒールの踵が取れてしまいました。
靴の踵でなくても、こういうことって日常生活の中でちょくちょく起こりますよね。
私だったら、大抵は次のように思います。思考してしまいます。
「一足しかない、たいせつな靴が壊れた~!」
「あ~、なんて不運なんだ~」
「なぜ今このタイミングでこんなことになる?」
「あ~、この靴高かったのに~!」
「まだ買ってから少ししか履いてないのに~!」
「なぜ、こんなことになってしまったのだろう?」
「修理に手間とお金がかかる~!」
「修理したり、新しく買うのがめんどくさい~」
「これは不吉なことが起こる前兆?」
で、何が言いたいかといいますと、ヒロイン常子がとった態度と行動です。
常子は、なんの迷いもなく、もう片方の靴を脱ぎました。
次に、靴下を脱ぎました。
そして、裸足で自分の職場へ駆け出しました。
で、何が言いたいかといいますと、
私の思考を、時間軸で分解すると次のようになります。
【転んだ瞬間(今)】
「一足しかない、たいせつな靴が壊れた~!」(私は被害者だ)
「あ~、なんて不運なんだ~」(私は被害者だ)
「なぜ今このタイミングでこんなことになる?」(私は被害者だ)
【過去】
「あ~、この靴高かったのに~!」(過去の苦労)
「まだ買ってから少ししか履いてないのに~!」(減価償却の損得計算)
「なぜ、こんなことになってしまったのだろう?」(過去に原因・加害者を探す)
【未来】
「修理に手間とお金がかかる~!」(未来のコスト計算)
「修理したり、新しく買うのがめんどくさい~」(未来に支払う犠牲)
「これは不吉なことが起こる前兆?」(未来への不安)
NDD 2016-07-04 09:22:11返信する
2
「片方の靴」について2(利き足でない側)
で、何が言いたいかといいますと、
この時の常子には「過去」の思考も「未来」の思考もありません。
そして「今」の思考には、被害者意識も、否定的な見方も、一切ありません。
「今に生きる」とか、「あるがままを視る」とかって、たぶんこういうことなんだろうなあ、と思ったのでした。
常子の人柄を表す、とてもいいドラマのワンシーンだと思いました。
とは言っても、そういう見方、生き方が自分にできるんだろうか、というと、
練習すれば、きっとできるんだと思います。
「否定」にフォーカスするのをやめる。「過去」「未来」を思考するのをやめる。
「私は、被害者にはならない!」と、宣言する。
これだけで、「今どうしたいか」を感じ、自分で選択する余裕がうまれるはずです。
「おお! 靴を履かないでも目的地に着けたじゃん!」とか、
「ああ、新しい靴を買うのが楽しみだな~」とか、
「うおー! 簡単に修理する方法を思いついた!」とか、
「靴を履かないで歩くって、こんなに『軽い』感じなのか~!」とか、
「裸足で歩くって、きもちのいいもんだな~!」とか、
「無く」ても目的は達成できる(こともある)、という気づきのほかにも、
工夫するアイデアが自分の中から湧いて出て来る快感に気づいたり、
「裸足で歩くきもち良さ」という新たな体験を発見するかもしれません。
ドラクエを楽しむように、自分の日常を楽しむことも、練習すればきっとできるのだろうなと思ったのでした。
と、ここで終わるつもりでしたが、新たな疑問が湧きました。
ここで終わったら、過去を後悔したり、未来に不安を感じたり、物事を否定的に見たり、怒りを表現したり、なにかに対して批判的な意見を言う、といったことが人間にとって害悪でしかなく、そういうものが全く無くなってしまうのが善いことなのだ! っぽいことになってしまいます。
それはそれで、やはりちょっと偏っているなあと思います。
で、何が言いたいかといいますと、
よくわかりません。
NDD 2016-07-04 09:25:19返信する
9
Re:「片方の靴」について2(利き足でない側)
>NDDさん
素晴らしい考察です!すべて語りつくしておられ、私が言うことは何もありません。
時間のところで言いますと、「被害者意識」がものすごく重要な点です。被害者意識というのは、同時に「加害者」をつくるので、めんどくさくなるのです。レコードの溝に立つのです。
「自分の日常を楽しむことも、練習すればきっとできるのだろうなと思った」
これも重要なポイントです。「練習」なんですね。それは「気づき」「意識を向ける」ことから始まります。「私はいま、『いまここ』にいるかな?」と、気づき、意識を向ける練習を繰り返すのです。レコードの穴に立ちやすくなります。
イチローのグラブさばきは練習を重ねたからこそ、いつしか自然にできるようになったのですね。
最後の「過去を後悔したり、未来に不安を感じたり、物事を否定的に見たり、怒りを表現したり、なにかに対して批判的な意見を言う、といったことが人間にとって害悪でしかなく、そういうものが全く無くなってしまうのが善いことなのだ! っぽいことになってしまいます。
それはそれで、やはりちょっと偏っているなあと思います。」ですが、
これですべてよしなのです。オールOKです。なぜなら善悪はないからです。
後悔や不安、否定、怒り、批判してもOK。善悪はないから。
それはレコードの溝のようにノイズを発生させているだけで、それぞれが表現者なのです。「自分」が穴に入れば、そういう人々をも評価せず、ただ眺めるだけになります。それで1枚のレコードが成り立っています。
いつでも善悪はないのだ、1枚のレコードなのだ、という「いまここ」に戻ってくる練習です。
ありがとうございます!素晴らしいです!
♡ジーナたん♡ 2016-07-04 15:31:43返信する
【おまけ】
なかなかニティな最強画像発見。
これは・・・チャクラとトーラスとリーボールのような!
ヘミシンカーとしては、リーボールのヒントになるかもね!
【おまけ】もあるよ!
すごーくアヤシイ話を書きます。
昨日のことですが、ある方とお電話をしました。このブログの読者様です。
ちょっといくつかの問題を抱えており、そのご相談ということもありました。
ところが・・・
私と電話でお話しする時には
「すべての問題が解決していた」w
その方は「ジーナさん、なにかしました?」と言われたのですが、私はメールの段階で愛を送っただけです。
ここで私が詐欺師なら「ええやりましたよ!私がやったんですよ!」とだまして引き込んでいくわけですがw
惜しいことにw私人を騙す段階は終わってまして、騙せねえ!
すべては網の目のようにつながっています。独立したことなどありません。本当に。
もしかしたら、私と電話でお話しするためのネタをお互いのガイドさんたちが用意してくださったのかもしれませんw(いや、もっとちゃんとした理由はあるのですが)
とにかくその方、電話中ずーっと笑ってるの!私も笑ってるの!
それが私には何よりも楽しかったです。
Hさん!ありがとうございました!
全部大丈夫だからね!
(追記:今見たらバシャールたんが同じこと言ってた!いいこと言うなあ、こいつ!
【バシャール:素晴らしい人生を】
ぜーんぶ「自分」だよ!)
それと・・・
先日の8月1日の記事
【学問を過信しない】の記事のお祭りコメント欄
ですが、なんだかわかりませんがすごくパワーを感じます。
記事本編ではなく、コメント欄にw
「ネットのページにパワーもなにもあるのかよ!」
というご批判もあるのでしょうが、あるかもよ?
ここ、ずっと開放しておきますので、パワーほしい方は書き込みに行かれてください。
私もなんか書き込もうw
よっしゃ、コピペなので本編か何か分からんが、がっちゃん、いったれ!
コピペピポー!
(NDDさーん!)
1
「片方の靴」について1(利き足側)
七日目ありがとうございます。
今日は「靴」ですね。長いのでコメントするか迷いましたが、昨日ぱふぱふ動画をダウンロードしようとして出てきた画像認証が「kick your heels」ということで、今現在自分が思ったことをそのまま書き出させていただきます。
先日、「片方の靴」に関するシーンを目撃しました。
朝のTVドラマで、ヒロインが仕事相手に会いに行き、仕事を終え、帰ろうとしたとき躓いて転んでしまいました。そして、片方のローヒールの踵が取れてしまいました。
靴の踵でなくても、こういうことって日常生活の中でちょくちょく起こりますよね。
私だったら、大抵は次のように思います。思考してしまいます。
「一足しかない、たいせつな靴が壊れた~!」
「あ~、なんて不運なんだ~」
「なぜ今このタイミングでこんなことになる?」
「あ~、この靴高かったのに~!」
「まだ買ってから少ししか履いてないのに~!」
「なぜ、こんなことになってしまったのだろう?」
「修理に手間とお金がかかる~!」
「修理したり、新しく買うのがめんどくさい~」
「これは不吉なことが起こる前兆?」
で、何が言いたいかといいますと、ヒロイン常子がとった態度と行動です。
常子は、なんの迷いもなく、もう片方の靴を脱ぎました。
次に、靴下を脱ぎました。
そして、裸足で自分の職場へ駆け出しました。
で、何が言いたいかといいますと、
私の思考を、時間軸で分解すると次のようになります。
【転んだ瞬間(今)】
「一足しかない、たいせつな靴が壊れた~!」(私は被害者だ)
「あ~、なんて不運なんだ~」(私は被害者だ)
「なぜ今このタイミングでこんなことになる?」(私は被害者だ)
【過去】
「あ~、この靴高かったのに~!」(過去の苦労)
「まだ買ってから少ししか履いてないのに~!」(減価償却の損得計算)
「なぜ、こんなことになってしまったのだろう?」(過去に原因・加害者を探す)
【未来】
「修理に手間とお金がかかる~!」(未来のコスト計算)
「修理したり、新しく買うのがめんどくさい~」(未来に支払う犠牲)
「これは不吉なことが起こる前兆?」(未来への不安)
NDD 2016-07-04 09:22:11返信する
2
「片方の靴」について2(利き足でない側)
で、何が言いたいかといいますと、
この時の常子には「過去」の思考も「未来」の思考もありません。
そして「今」の思考には、被害者意識も、否定的な見方も、一切ありません。
「今に生きる」とか、「あるがままを視る」とかって、たぶんこういうことなんだろうなあ、と思ったのでした。
常子の人柄を表す、とてもいいドラマのワンシーンだと思いました。
とは言っても、そういう見方、生き方が自分にできるんだろうか、というと、
練習すれば、きっとできるんだと思います。
「否定」にフォーカスするのをやめる。「過去」「未来」を思考するのをやめる。
「私は、被害者にはならない!」と、宣言する。
これだけで、「今どうしたいか」を感じ、自分で選択する余裕がうまれるはずです。
「おお! 靴を履かないでも目的地に着けたじゃん!」とか、
「ああ、新しい靴を買うのが楽しみだな~」とか、
「うおー! 簡単に修理する方法を思いついた!」とか、
「靴を履かないで歩くって、こんなに『軽い』感じなのか~!」とか、
「裸足で歩くって、きもちのいいもんだな~!」とか、
「無く」ても目的は達成できる(こともある)、という気づきのほかにも、
工夫するアイデアが自分の中から湧いて出て来る快感に気づいたり、
「裸足で歩くきもち良さ」という新たな体験を発見するかもしれません。
ドラクエを楽しむように、自分の日常を楽しむことも、練習すればきっとできるのだろうなと思ったのでした。
と、ここで終わるつもりでしたが、新たな疑問が湧きました。
ここで終わったら、過去を後悔したり、未来に不安を感じたり、物事を否定的に見たり、怒りを表現したり、なにかに対して批判的な意見を言う、といったことが人間にとって害悪でしかなく、そういうものが全く無くなってしまうのが善いことなのだ! っぽいことになってしまいます。
それはそれで、やはりちょっと偏っているなあと思います。
で、何が言いたいかといいますと、
よくわかりません。
NDD 2016-07-04 09:25:19返信する
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Re:「片方の靴」について2(利き足でない側)
>NDDさん
素晴らしい考察です!すべて語りつくしておられ、私が言うことは何もありません。
時間のところで言いますと、「被害者意識」がものすごく重要な点です。被害者意識というのは、同時に「加害者」をつくるので、めんどくさくなるのです。レコードの溝に立つのです。
「自分の日常を楽しむことも、練習すればきっとできるのだろうなと思った」
これも重要なポイントです。「練習」なんですね。それは「気づき」「意識を向ける」ことから始まります。「私はいま、『いまここ』にいるかな?」と、気づき、意識を向ける練習を繰り返すのです。レコードの穴に立ちやすくなります。
イチローのグラブさばきは練習を重ねたからこそ、いつしか自然にできるようになったのですね。
最後の「過去を後悔したり、未来に不安を感じたり、物事を否定的に見たり、怒りを表現したり、なにかに対して批判的な意見を言う、といったことが人間にとって害悪でしかなく、そういうものが全く無くなってしまうのが善いことなのだ! っぽいことになってしまいます。
それはそれで、やはりちょっと偏っているなあと思います。」ですが、
これですべてよしなのです。オールOKです。なぜなら善悪はないからです。
後悔や不安、否定、怒り、批判してもOK。善悪はないから。
それはレコードの溝のようにノイズを発生させているだけで、それぞれが表現者なのです。「自分」が穴に入れば、そういう人々をも評価せず、ただ眺めるだけになります。それで1枚のレコードが成り立っています。
いつでも善悪はないのだ、1枚のレコードなのだ、という「いまここ」に戻ってくる練習です。
ありがとうございます!素晴らしいです!
♡ジーナたん♡ 2016-07-04 15:31:43返信する
【おまけ】
なかなかニティな最強画像発見。
これは・・・チャクラとトーラスとリーボールのような!
ヘミシンカーとしては、リーボールのヒントになるかもね!