「ガイドとの対話」でちゅー。


みなさんは「植物」と触れ合っていますか?

「植物と触れ合う」のは、文字通り実際に触ることです。

このブログで記事にはしていませんが、ある方のガイドさんが


「植物と触れ合ってはいかが?」


というメッセージがありました。

その時は、その方にそのままお伝えしたのですが、伝えた私の方は忘れていました。(いいかげん)


後日、その方とお会いした際、

「ガイドさんに言われたとおり、植物、触っています」

と言われて思い出しました。


その方は出勤途中に公園を通るそうで、その時に「木に触る」ことを日課にされたそうです。

その結果が素晴らしく、聞いていた私が

「あ!それ俺もやろう!」

と感動した次第です。


他人のガイドさんであれ、良いものは良いと受け入れていこうと思いました。



さて、今回は30代の主婦の方です。

人生山あり谷あり。

いちおうお伝えはしましたが、さて届きましたかどうか・・・



では、どぞー!




それではクワンさん、Mさんのガイドを呼んでください。

「握って握力を鍛えるバネのついた道具」

握力増強マシンさん、Mさんはどんな方ですか?

「自分自身を鍛える芯の強さを持っている。反面、そうした強さが周囲からはわがままと受け取られることも多い。ねばり強く、反復作業を苦としない」


ありがとうございます。
Mさんに伝えたいことはありますか?


「カップめん」のビジョン。

「カップめんが横に倒れて、具や汁がこぼれている」

これはどういう意味ですか?


「台無しにしていないか?カップめんはお湯を入れた後に倒すと、もう元には戻せない。一部分がこぼれ出て、カップを縦に戻しても、もう食べられないし、食べる気さえ起きない。なぜならもはや食べても満足する量ではないし、そもそもこぼしたことに落ち込んで、食べようという気力がないからだ。台無しだ。これが台無しということだ。

つまり、この人が現在関心あることは、台無しに向かっているということなのだ。この人の関心は、カップめんの「麺を箸からこぼす」のではなく、カップめんの「カップごと倒す」ということをしている。

でも、カップめんを上から見れば○であるように、これでよいのだ。なにごとも体験である。この人に今このメッセージを伝えても、きっとやめることはないだろう。私たちも止めることはない。一応伝えてみてほしいが、無駄だろう。それはそれで○だ。

具も汁もほとんどこぼしてしまった後で、カップを縦に戻せばよいのである。大切なことは具や汁ではない。倒れたカップを自分で元に戻すことなのだから。体験して分かる」


ありがとうございます。
ほかにありますか?


「ネイティブアメリカン(インディアン)」があらわれた。

「ネイティブアメリカンは体が引き締まっていて、現在戦闘中である。戦っている相手は見えない」

「彼らの戦い方を見てみよう。ネイティブアメリカンも、命のやりとりをするような激しい戦いをする。しかし、その戦いの中にも礼儀があるのだ。

矛盾しているかもしれないが、戦いの中に憎しみではなく、感謝を見いだしているのだ。それを彼らは知っていたのだ。自分たちとは異なる部族と戦いはするが、それは恨みを残さない戦いだった。すべて天と大地への感謝とともに戦っていたのだ。

この人は対人関係において、憎しみを残さずに、感謝で終わらせることを知ってほしい。それが出来る力があるのだ。今のこの人にとって、人間関係を感謝で終わらせるということは難しいことかもしれないが、それでも伝えておく価値はある」

ありがとうございます。