ホームがこれだけ。
改札はもちろん駅員がいない無人駅でした。
ここからコミュニティバスで華厳寺に向かいます。
バスを降りて門前町の並木道をお寺に向かいました。
華厳寺は天台宗の寺院で谷汲山華厳寺と言います。
ご本尊は秘仏の十一面観世音菩薩です。
西国三十三所 第三十三番札所になり、西国三十三所巡礼の満願(結願)のお寺になります。
ただ、札所を廻る順番は人それぞれで、1番から順番に廻る人、あるいは33番から逆順に廻る人、そして私の様にランダムに廻る人という風に別れますので、実際に満願(結願)になるかは廻り方によります。
華厳寺の寺伝によると、延暦十七年(798)奥州会津の大口大領と言う人物が、十一面観世音を建立しようと京都の仏師に観音像を造らせた。
完成した観音像を持って奥州へ戻る途中、谷汲山で観音像は重たくなり動けなくなってしまった。
大領は観音様がこの地に留まる事を望んでいると思い、山中で修業中の豊然上人に相談してお堂を建てて観音像を安置したのが始まりと伝えられています。
仁王門です。
金剛力士像。
鎌倉時代の仏師運慶の作と言われています。
山門の左右に掛かる大わらじ。
西国三十三所満願を感謝して巡礼者が奉納した物と言われています。
境内は仁王門から本堂まで石畳の参道が伸びています。
参道の両脇には108基の石灯籠が建立されています。
そして所どころに安置される仏像。
手水舎
観音さまが持つ水瓶から水が流れています。
水瓶から流れているのは珍しいですね。
苔生した石塔。
小さなお像が苔生したのは良く見ますが、これは凄いですね〜〜
周りの木々の緑とよくマッチしています
本堂が見えて来ました。
もみじの緑が綺麗ですね。
本堂です。
本堂の中の床下は「戒壇めぐり」になっていて、真っ暗で全く何も見えない回廊の中を進み、御本尊に繋がる錠前に触れれば願いが叶うという。
それではと早速やってみた。
真っ暗で何にも見えない世界、足を踏み入れたのは初めてでした。
壁伝いに歩いたのですが、行けども行けども錠前らしき物は手に触れません
アレレなんて思っているうちに出口が来てしまい、触れず見事に失敗でした
もう1回やろうかと思いましたが、また触れないと恥ずかしいので再チャレンジはしないでそくそくと立ち去りました。
本堂の2本の柱には鯉のレリーフが。
「精進落しの鯉」と呼ばれ、巡礼を済ませた者がこの鯉に触れて、それまでの精進潔斎の生活から解放され俗界に帰る、と言う古くからの習わしだそうです。
私は常に俗界にいるので、、、
続いて満願堂に向かいます。
満願と刻まれた石像が並ぶ所を上がります。
西国三十三所を無事に満願出来たとの思いで、石段を踏みしめて行くのでしょう。
たぬきの石像。
満願堂です。
振り返ると左側に本堂が見え、その先には木々の間にお堂が垣間見えます。
御朱印を頂きました。
ご詠歌 : 世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびも きえぬなりけり
この華厳寺の御朱印は上のを含めて3つ有り(過去、現在、未来を表す)、全て頂きました。
上の御朱印は現在を表すものです。
華厳寺参拝でお世話になった揖斐川町観光プラザ。
とっても親切に対応して頂けました。
西国三十三所一覧。
1300年の歴史を持つ日本最古の観音巡礼。
南端は和歌山県那智勝浦町の1番札所の青岸渡寺、西端は兵庫県姫路市の圓教寺、北端は京都府宮津市の成相寺、東端は岐阜県揖斐川町の33番札所の華厳寺と言う2府5県に点在する33の札所(他に番外札所が3ヶ所あり)
私も平成27年6月6日に1番札所の青岸渡寺から巡礼を始め、その後は順不同ですがこの33番札所の華厳寺で無事に満願(結願)する事が出来ました。
(Amebaでは今年参拝したお寺さんを書かせて頂きました)
昨年末、腎がんの転移再発がわかりその治療の為に結願出来るか危ぶまれましたが、たまたま分子標的薬を休薬する期間が出来、その結果結願する事が出来てホッとしました。
これも観音さまの慈悲の心のお陰かなぁ。
無事に結願出来て、今回のお土産は、、、
物ではなくて、東京に戻る途中の名古屋で腎がんブロガーで 一日一日、ゆっくりと をお書きになっていらっしゃるshiro-ouさんとのお食事。
お忙しい中をお時間を割いて頂いて、お寺巡りの事とか、お互いの体調や治療のお話をさせて頂き、楽しいひと時をまたこれからの治療も頑張りましょうとお話ししてお別れしました。
こう言うお土産はとっても良いですね(=^ェ^=)
長いブログになりました。
最後までお読み下さいまして有難うございましたm(_ _)m
お寺巡りのブログ、もう少し続きます。