本物の「うつ病」の患者さんと会った | 生きているだけで十分 宍倉清則のいまのキモチ

本物の「うつ病」の患者さんと会った

ここんとこ、2日間、1回しか更新していない。今月は3日も更新していない日があった。いまいち意欲がなかったのだろう。

 

なんでもいいから、書きたいときは猛烈に書きたいときがある。「躁(そう)」と「鬱(うつ)」が激しい。自分でもわかる。

 

 

私は激しく気分が落ち込むことを「うつ病」だと思っていた。でも、楽しいことがあれば、気分はよくなる。

 

 

先日、本物のうつ病の患者さんと話す機会があった。その人に言わせると、私はぜんぜん軽いし「気分がよくなるのなら、まだ病気までいってないと思います」。

 

 

気が合う人と会ったり、楽しいことがあっても、いっこうに変わらないのが病気のレベルなのだという。そうなると、薬に頼るしかない。

 

 

もちろん薬に頼るのはよくないのかもしれないが、そのレベルまでいっちゃうと、本当に危ない。つまり、自殺だ。

 

 

まだ客観的に自分のことを見れている私の場合は病気までいっていない、とのこと。ただ、恐ろしいのは客観的に見れなくなる「境い目」があるそうで、そうなると、手遅れ。その前に病院に行かないと、危ない。

 

 

いまは「心療内科」がある。でも、この歴史は結構、新しくて、96年。なんというタイミングか、私が自分を見うしなった年にできたのだ。だから、そのときは「心療内科」という言葉も知らなかったし、どの病院に行けばいいのか、わからない。これがいちばんの問題だった。

 

 

それまでは行くとしたら「精神科」。はっきり言って、これは行きづらい。我々の世代だったら「キ○ガイ病院」と呼ばれたぐらいだから。

 

 

でも、いまは心療内科がたくさんあります。心配しなくて大丈夫。われながら、すごいこと、書いていますね。自分に言い聞かせているんです。あと、少しでも皆さんの参考になれば。

 

 

ただ、プロレスが以前のように好きでなくなったことは確か。「プロレスうつ病」です。だから、自分の気持ちに正直になって、見たいものだけを見る。

 

 

さあ、録画しておいた「輝きたいの」を見ようっと。