プロレス評論家の大御所、菊池孝さんがお亡くなりになられました
絶句…するしかありません。
先ほど、菊池孝さんが亡くなられた、という知らせが入りました。プロレス評論家の大御所、最年長。誕生日が9月なので、享年79歳でした。
私が最後にお会いしたのは7月2日。そのときのことは1000回記念の8月16日と17日の2回、書きました。
お会いしに行った目的は週プロを辞めたご挨拶だったので、もし、私が週プロを辞めていなかったら、お会いしていなかったと思います。
1000回のときのブログではあえて書かなかったのですが、菊池さんは10年以上、糖尿病のため、人口透析を続けていました。だから「1週間の半分はそれだから、1週間の半分しか生きていないようなカンジなんだよ」と、おっしゃっていました。
詳しい話の内容は忘れましたが「オレはこんなに生きるはずじゃなかった。自分でも80まで生きるなんて、まったく思ってなかったよ。馬場ちゃんが早くに亡くなって『菊池さん、オレの分も長く生きてくれ』って、ハッパをかけられたのかもしれないな」という話もされていました。
でも、お会いしたときは馬場さんDVD(第4巻)の原稿を書いていたし、急にどうこうなるというカンジはしませんでした。
前にも書きましたが「私、東京を離れるかもしれないので、もしかしたら、お会いするのはこれが最後になるかもしれません」と言っちゃったんです。本当に最後になってしまいました…。
東京を離れることはまだ決まっていないのですが、私が考えていた場所は偶然にも菊池さんが若いころ、長く過ごしたところで「あそこはいいよ!」と話がはずんだものでした。
あれだけお酒が好きだったので、久々に飲みに行きたいと思ったのですが「もう、ビール1杯がやっとなんだよ。せっかくだけど、とても出歩くことはできないんだ」って。だから、よっぽど悪いんだなとは思いました。それでも、タバコは吸っていましたね。
「(ウォーリー山口)雄介はどうしているの?」と気にかけていて、ウォーリーとは「オレたちは死ぬまでタバコを吸い続けような」と誓い合ったそうです。ウォーリーに会わせたかったなあ。一緒に行けば、よかったかなあ。
聞くと、10日前ぐらいに血を吐いて、容態が悪くなったそうです。5月に竹内宏介さんが亡くなり、菊池さんまで亡くなるなんて…。
5月5日の竹内さんの告別式のとき、感動的なスピーチをされたのが菊池さんだったのですが、そのとき行く前に最寄りの駅で具合が悪くなり、迎えが走った、と聞きました。
気持ちが落ち着いたら、また書きます。私がプロレス業界で出会った多くの方たちの中で、いちばん尊敬する方でした。謹んでご冥福をお祈り致します。
菊池さん、大変、お世話になりました。本当にありがとうございました。でも、いま、自分はあまりにも寂しいです…。
下の写真は2年前の2010年にクエストから発売されたDVDボックス「国際プロレス クロニクル」(上・下巻&外伝もあり)で解説を務めたときの映像です。マイティ井上さんと一緒でした。
その下は5年前の07年にポニーキャニオンから発売されたDVDボックス「不滅の国際プロレス」から。菊池さんと竹内さんがそろって出演している、大変、貴重な映像です。中央は門馬さんです。