1000回記念。業界でいちばん尊敬する方の部屋に20数年ぶりにお邪魔しました | 生きているだけで十分 宍倉清則のいまのキモチ

1000回記念。業界でいちばん尊敬する方の部屋に20数年ぶりにお邪魔しました


生きていることが奇跡!!宍倉清則のいまのキモチ


週刊プロレスをやめるにあたって、どうしても直接、お会いして、ご挨拶したい方がいた。プロレスの業界で私がいちばん尊敬する、大先輩のフリーライター、菊池孝さんである。


ゴング時代から始まって、ベースボール・マガジン社に入ってからは毎週のように原稿を取りに行った。「お茶、飲んでいきなよ」と言われて、部屋にお邪魔し、プロレスの貴重なお話を聞かせていただいた。


しかし、FAXというものが普及するようになり、菊池さんもFAXで原稿を送れるようになったので、取りに行く必要がなくなった。だから、おそらく、家に行かなくなって、25年ぐらいはたつと思う。


よく飲みにも連れていってもらい、カラオケも歌った。さすがにアリスは歌えないので(苦笑)、菊池さんと一緒のときは演歌で合わせた。そういうときの私の十八番は「氷雨(ひさめ)」だ。


もちろん、会場ではお会いするが、この数年、菊池さんがサムライTVに出たのは2回、記憶がある。1回は三田キャスターの誕生日祝いだったか、サプライズ・ゲストで登場し、三田さんをえらく感激させた。もう1回はサムライのカメラが菊池さんの部屋に入り、インタビューをした。


私はてっきり、5年ぐらい前で、聞き手は須山氏だったと思っていたが「いや、須山君はここに来たことがない。女の子だったよ。それに、5年前ということはないな。10年はたつと思う」。そんな前だったのか…。


菊池さんの書斎はきれいに専門誌、団体のパンフレット、単行本が並んでいたものだが、私が行ったのは25年ぐらい前のこと。「さすがにもう、入りきらない。奥の部屋に積み上げられていて、どこに何があるか、オレもよくわからない」。


私はブログをやっていることを説明し、そこに載せたいので、書斎をバックに写真を撮りたいのですが…とお願いすると「うん、いいよ、かまわないよ。でも、上だけでも着替えようか。菊池のやつ、ずいぶんみすぼらしくなったな、と思われるのもイヤだからな(笑)」。それが冒頭の写真である。まだまだ書きたいことがたくさんある。


菊池さんと私は同じ干支「さる年」である。つまり、2回り違う。私が56歳だから、24をたして、菊池さんはちょうど80歳になる。(続く)