50、60(歳)になっても、1人じゃないと思ったら、年(とし)をとることも怖くない | 生きているだけで十分 宍倉清則のいまのキモチ

50、60(歳)になっても、1人じゃないと思ったら、年(とし)をとることも怖くない

今週は自分の見ていたドラマがすべて最終回となる。今日はNHKの「ビターシュガー」が最終回だった。

 

「50、60(歳)になっても、1人じゃないと思ったら、年(とし)をとることも怖くない」。そんなセリフがあった。単純な言葉かもしれないけど、自分には響いた。

 

 

忘年会に出るたびに思う。私はプロレスを好きになったから、いい仲間たちに出会えた。1人、1人、抱きしめたくなるぐらい(やめてくれってか)、いい人間がそろっている。

 

 

デザイナーさんとは年に1回、忘年会でお会いするだけ。それも挨拶だけで終わってしまうのだが、昨日は席が近くで、いろいろ話すことができた。

 

 

じっくり話すのは初めてだったのに、もう10年来の友だちのような「感覚」になっていた。やっぱり、あると思うんですよね。プロレスを見ている人に共通する「感性」というものが。

 

 

デザイナーさんは特にプロレスが好きというわけではない。でも、毎日欠かさず、サムライの「バトル☆メン」を見ているのだと言う。それは知っておけば、デザインするときのイメージなどに役立つからだそうです。頭が下がります。

 

 

私のブログも見ているらしく「宍倉さんは極真空手をやっていたんですよね。ボク、子どものころ、池袋の極真の道場の近くの公園で遊んでいたんです」。駅から公園を通って、道場に行く。その公園で遊んでいたというのだ。

 

 

話してみないと、わからない。ブログがきっかけで、そのことを知り、極真の話をいっぱいした。

 

 

50、60になっても…実際、なっているけれど、いい仲間がいるから、ぜんぜん孤独なんかじゃない。でも、やめることになったら…そこは考えるのはよそう(苦笑)。