これだけは決めていた。コメント欄は設けない | 生きているだけで十分 宍倉清則のいまのキモチ

これだけは決めていた。コメント欄は設けない

ジミー(鈴木清隆)よ…オレのブログなんて、見てくれているんだね。ありがとう。茨城さんから「そっちのこと、出てるよ」と言われて、久々に見ました。「誹謗中傷に負けないで」って、そもそもコメント欄がないから、負けるも何もない。そんな「勝負」したくもないし。


このブログをやる前、1つだけ、決めていることがありました。コメント欄は設けない。ジミーのブログではよく文句のコメントがあるよね。オレ、そういうことをする人の「気持ち」がわかりません。イヤなら、見なければいいじゃん。私はイヤなものは見ない主義なので。


テレビのバラエティー番組なんて、ほとんど見ない。ダウンタウンとか、島田紳助、ナイナイっていうの? なぜ彼らを有難がっているのか、ぜんぜんわからない。地上波はニュースと、よっぽど興味のあるドラマしか見ない。


タレントのブログのコメントだったら「かわいい」「応援してます」「頑張ってください」とかでしょ。そんな激励、オレにはいらないし。


あと、コメント欄を設けているのに「コメント0(ゼロ)」というのは、なんか人気がないみたいで、寂しい。たまあにはいいコメントがあるのかもしれないけど、そんなものを期待してもなあ。


私がコメント欄を設けたら、炎上は必至だし、たとえば、ジミーへの文句のコメントを見ると、他人のことなのに、自分のことではないのに、気分が悪いだけ。だったら、見なければいいってハナシ。


そんなに言いたいことがあるなら、自分でブログを作って、書けばいいじゃん。他人への「荒らし」という言葉ぐらい、私でも知っていますけどね。でも、自分はそういうことをやらないから、気持ちがわからない。


ジミーもそうだと思うけど、我々って「匿名」になったことがないんだよね。プロレス専門誌の月刊時代なんて、投稿すると、名前どころか、住所も番地まで出た。だから、イヤがらせもたくさんあったし。でも、ずっと本名を出して、55歳まで生きてきた。


だからね、ネットに参加する人は全員、本名、住所を登録する制度を設ければいいんですよ。自分なんか、会社という「身元」は隠しようがないわけで。でも、ずっとそれが当たり前だと思って、やってきたし。「匿名」になって、好き放題、悪口を書いてみたいなって、そんなことも思わない。それをやっている自分がイヤだから。自己嫌悪になるだけ。


いまだったら「ディアナの旗揚げ戦のことを書いてください」という希望があるかもしれないけど、日曜・月曜は週プロのしめきりだし、もう厳しいことを書くことはめったにないと思う。「なあんだ。ガッカリだな」と思うなら、別に見なくていい。読者に媚びるつもりはまったくないので。どうぞほかのを見てください。


ディアナは本誌の記事が出てから…という、こっちの事情もあるし。もちろん、思うことはたくさんあるけど、じっくり考えないと、書けない。


コメント欄どころか、メッセージも受け付けないことにした。同じ言葉でも、メールの文字、文章は非常に冷たく感じるし。あれ、不思議ですよね。口で言ったら、なんでもないのに、メールのやり取りで人間関係が悪くなったりする。


「コメント欄を設けないで、逃げやがって!」と言われれば、ハイ、逃げました。よくあるのが「都合が悪いと、黙るのか」って。そりゃあ、都合が悪いことはいっぱいありますよ。


だから、最初から、そういう人たちはどっか、ほかにいってください。もちろん、見るのも自由だけど。書きたいネタはすでに30ぐらい、たまっているので、順次、出していきます。では少し寝て、印刷所に行きます。