収録が終わった。


慣れない収録だったので「間」が掴めずあまり話せなかった。


収録と言う場には独特の「間」が有った。


何と言うか、MCの人の話と話の間に一瞬の「間」が出来る。

その一瞬の「間」は、MCの人が次の話しのネタを考えている「間」。


次の話を考えている「間」と、話の切れ目の「間」の区別が付け難かった。


その為、話に入り込むタイミングが非常に掴み難かった。



収録で話をするテーマは「盗聴や盗撮」なのだが、私の頭の中では「今この人は、ネタを考えてる」とか「この間は話が終わった間かな」と思ったら、ネタ考えてる間だったり、ネタ考えてる間だと思えば、区切りの間だったり、話すタイミングが遅れると、話が途切れないように、また誰かの話が始まってしまったり、それを表情と口調と視線で読取ろうとしていたら、頭の中から盗聴の話は消えて行った。


あれは、慣れないと難しい。


こうした収録の場だと言うのに、頭の中は分析モードになってトークモードに切り替わらない自分がいた。

分析モードは相談者から相談を受けている時のモードなので、視線や微表情や言葉や口調から相手の心理や思考を読取ろうとしてしまう。


このモードから抜け出そうとしても、なかなか抜け出せなかった。


一種の職業病だ。


その為「あ、今、この人話の繋ぎを考えてる」とか「あ、今この人何でここで入って来んの?」と考えてるとか、「あこの人、ここで入って来なけりゃまた話を考えなきゃって思ってる」とか、「あ、正面の人、ここで入ってやれよって思ってるし、自分がホローしなけりゃ話が途切れると思って切り込んでる」とか、そんな事が頭の中を駆け巡っていた。


しかし、そうした「間」を見事に把握して、テンポ良く話が出来る芸能人に感心するばかりで終わってしまった。


それはそれでとても良い勉強になったし、良い経験だった。


今までTVに出た事は数回あるが、全て報道系。

そして今回はバラエティー番組。


同じTVでもかなり違う。

報道系番組は、質問された事に答えて行くだけなので「間」を掴む必要は無い。

しかし、バラエティーは自分から切り込まなくてはいけないし、その為には話の流れを読まなければならない。

しかも否定NGもあるので、知識の中から肯定要素だけを探すのにも時間が掛かる。


防衛策を話そうとしても、次の人のネタに被る所は言わないように気遣ったり、共演者がカンペの指示に気付いていないかもしれないと感じたら、画面に映らないように隣の人の手をつついて気付かせようとしたり、妙な気を使ってしまった。


共演者の話題に補足しようとすると、否定に繋がりかねないので話せないのも厄介だった。

その技術は何年に何処で開発されて、その技術が何年に世に知られる事になって、何故知られる事になったかなど、詳しい事を話せば否定になってしまう。


対策の話しになっても、すでに対策の必要がなくなっているのに、対策する必要は無いとは言えない。


そうした所は不本意だった。






集団ストーカー―盗聴発見業者が見た真実 (晋遊舎ブラック新書 1)/古牧 和都