自称集団ストーカー被害者とか自称ガスライティング被害者 の書く文面には、その人の社会性が現れている。


そうした文面を見る前に、社会性と言う物をざっとおさらいしておこう。


社会性は、協力と分け合いで成り立っている。

その協力と分け合いは、信頼で成り立っており、信頼は親子の愛着を他人に応用させてい成り立っている。

親子間で愛着が正常に育たなかった子供は、信頼に応用すべき愛着を持たないため社会性を持てない。


人を信じられる人は、騙される事もあるが、騙された経験を持つので騙され難くなり、人を信じない人は騙される事はないかもしれないが、騙される経験を持たないため騙されやすくなる。


その結果、人を信じる人は、利益をもたらす者と、利益を奪う物を見分ける事が出来るようになり利益を得る。

しかし、人を信じない人は利益をもたらす人も信用しない為、利益を得難くなる。


昔から、「失敗は成功のもと」と言い、失敗なくして成功は無い。

騙されるのも失敗の一つ。


そして、社会性に欠かせない物が、コミュニケーション能力である。



とりあえず、前回の続きなので、前回参考にしたサイトで見て行こう。


まず、あのコメント だが、勝手に読んで勝手に疑って、勝手に妄想している人がいる。

こうした所にも、共通パターンが読み取れる。


被害を受けているのではなく、自分で探して勝手に疑い、勝手に妄想を膨らませて犯人像を作り上げ、自分に関連させている。

それは「集団ストーカーの根拠としてUPされているyoutube映像の検証 」で取り上げている人達にも共通している。



「何でも疑いの目を持って見る」と言う所は、自称被害者に共通している。

それは、社会性の基盤が失われている事を意味している。


その社会性の基盤が失われた理由が、元々持っていなかったのか、何かの原因で失われたのかは、人それぞれだろう。


しかし、それは心の病の症状ではなく、心の病を発症させる原因の一つと考えられる。


私は色々と、心に病を持つ人に接してきたが、鬱病にしろ、統合失調症にしろ、根本的には他人に対する信頼を失っていない人もいる。

そうした人は、単にストレス耐性が弱いだけの人が多く、被害妄想は持っていても集団ストーカー妄想までは至っていない場合が多い。


逆に、発病していない人でも集団ストーカー妄想を持っている人もいて、その人達は他人に対する信頼を持っていない人が多かった。

そうした人達は、他人を信じない人を信じる傾向がある。

その為、何でも疑いを持つ自称被害者のHPにのめり込む。


社会性に於ける「人を信じられない人」のパターンにそのまま合致する。



さて、ここで前回にもふれた「猫ストーカー 」に少し触れていこうと思う。

この「猫」と言うのが一つのポイントだ。


自称被害者には、猫を飼っている人と猫が苦手な人がいる。

まあ、それは自称被害者でなくても同じなのだが、これは結構面白いポイントではある。


さて、犬と猫では何が違うのだろうか?

その代表的な物が、表情である。


犬には表情があるが、猫には表情が無い。

それは表情筋の数が違いからである。


この表情の違いが、猫派と犬派に分かれる所でもある。

猫の無表情は、人の顔色を伺って行動する人にはストレスにもなれば、逆に癒しにもなる。


例えば、仕事先で上司の顔色を伺っている人であれば、猫の無表情は気を使わなくて済む存在となり、癒しになるが、人の顔色を伺って自分の行動を決めている人にとっては猫の無表情はストレス以外の何者でもない。



猫が嫌いな人からよく聞く言葉は「何を考えているか分からない」と言う言葉をよく聞く。

実は私もかつては同じだった。


犬は生まれた時から一緒にいたが、猫は中学の時に2年程だったか飼って以来、最近までは飼っていなかった。

前の猫が迷い込んで来て、初めて自分で猫を飼い始めた頃は、猫の気持ちが分からず、頭がパニックを起こしていた。


しかし、常に一緒にいると猫の微表情やしぐさから、猫の感情が理解できるようになって来た。


だから、猫の無表情でストレスを感じる人の気持ちも分かる。

そして思う。


もしこの人が猫を飼い、猫に愛着を持つことが出来たなら、猫にストーカーされると言うだろうか?

裏を返せば、人間に対する愛着が無いとも取れる。


このブログは斜め読みしかしていないが、それでも色々な事がわかる。

例えば、「脱衣所のストーカーたち 」 にある一文。


「私が藤原紀香さんなら、回りのファンに微笑んでゆっくりと脱ぐこともできるかもしれないけれど・・・」


この一文には、憧れとコンプレックスが感じられ、それを裏打ちするように「何年も前から身体的特徴、つまり欠点をからかい、ほのめかしをされたり」とも書かれている。


恐らく、これがこの人の監視妄想の原点なのだろう。

そこから見えて来るこの人の病気は「他者視線恐怖症」である。


自分の身体的劣等感や自信の無さにより、他人から変に思われているのではないか、嫌われているのではないかと感じてしまい、それが妄想を生んでいるのだろう。


それを裏付ける様に、自分の方向に視線を向けたり、レンズを向けたりする人を犯人扱いする傾向が見られる。


また、「脱衣所のストーカーたち 」の後半に、こんな事が書かれている。


「体中の電気刺激は消えることはない」


もしこの人のコンプレックスが肥満であった場合、この電気刺激は「末梢神経障害」の疑いが出て来る。

肥満の場合、糖尿病も懸念される。



この人は、結構孤独な人である可能性も高い。


冒頭の方に、「まだ攻撃がかなりひどい時も、一人で国内外へ旅行している。」と書かれている。


それは、家族以外で一緒に旅行に行く友人がいないと言う事だろう。


『夫が、「誰もいなかっただろ?」と聞いた。「混んでいた。たとえ4時に行っても、私が行くといつも混んでるのよ」と答えると、夫はうるさい、と言って怒った。』


とも書かれている。

これは家族からも浮いている事を示している。


孤独は鬱を生む。

欝は自己嫌悪や自殺衝動が出る。

この人のブログには、そうした自己嫌悪や自殺願望のような物を感じる。


つまり、鬱も併発している可能性もあるが双極性かもしれない。

と思っていたら「「集団ストーカーたちも同様に管理、監視されている・目的は自在に動かせる住民のネットワークを構築すること 」に、「私はうつ病だから声をかけないほうがいいと噂されたことを後になって知った。」と書かれていた。


結局鬱病なのね。


続く





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