先日の青春リアル(オニオントピック )で感じた事が有る。


気になったのは、パラサイト生活をしているオニオンよりも、町長を務める社会学者の鈴木謙介氏。

前からこの人の意見には、違和感と言うか、「学者」としての資質と言うか、しっくり来なかった。



気になったのは、「やっぱり絵で食って行けない時の将来展望が分からない」と言う質問からの展開。

「老後になってどう過ごす予定なのかな」との問いに、オニオンは「まず、バイトを探してみて、何にも無く困ったら生活保護制度に頼ってみて・・・」


「生活保護?!本気でやめてよね」

「生活保護って言うのはね、どんなに頑張っても経済的・社会的に弱い立場に立たされてしまう人を助ける為にある制度なんだと思う」



そんなやり取りの中、鈴木氏が答える。

その中で、教科書的な反論ば置いといて、その後の発言だ。


皆に考えてほしくてあえて聞いてみたとしてこんな質問を投げかける。

「専業主婦の人が旦那を亡くしてしまったとして、その人が生活保護を受給するのはどう思う?」


そして反論が出るとこう切り出す。


「まるでっ専業主婦がぐーたらさんであるかのように極端な書き込みをしたのはなぜかって言うと、現実問題として多くの生活保護を受けてるシングルマザーの人達が、お前の責任だ、努力が足りないだのと言われているからなんだよね。

主婦だって努力をしているはずだって言うのが、その人達をかばっているつもりでも結果的にその人達を追い込む事だってある。

町長は努力しているかどうかを生活保護の基準にするかどうかって考えそのものに反対なのね」


と続く訳だ。


この展開、確かに一理ある様にも思えるのだが、その考え方は根底に「国が豊か」でなければ成立しない。

今の日本人にとって「豊かさ」は、当たり前の事に感じているのかもしれないが、「豊かさ」は当たり前の物ではなく、先人達の努力の結果である。


その努力を怠る人が社会に蔓延すれば「豊かさ」は崩れ去る。

あの地震でも、津波一つで町は壊滅して瓦礫の山と化した。

その中で誰も努力をしなければ、復興も復旧も出来ないだろう。


努力は必ず報われる物ではない、しかし努力無き者に成功も繁栄も無い。

そして、努力が報われずとも、得られる物は必ずある。

問題は、得られた物の価値に気付けるかどうかである。


以前から感じていた鈴木氏の違和感は、恐らく「豊かさ」を基準にしているからなのだろう。


ちなみに名古屋では今晩再放送がある。







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