光の回折と同じように、心にも回折がある。

白色光が細いスリットや回折格子を通ると分光されるように、人の心も余裕(ゆとり)が無くなった時に分光される。


色々な光の成分が集まって白く見えていても、色々な光の色が集まって白く見えているだけである。
人の心も同じ、色々な性格や想いが交じり合って普段の人柄に見えているだけである。
光が、細いスリットで分光されるように、人の心も余裕(ゆとり)が無くなる事が、精神のスリットになり性格の分光を起し、その人の本質が顔を出す。
星の光を回折格子を通して見ると、その星の成分がわかるのと同じ理屈だ。


身近で理解しやすいのが、車の運転。
普段おとなしい人が、ハンドルを握ると人が変わったりする。
それは、色々な所に注意を払わなければならない運転操作が、精神のスリット状態になっている為だ。
それは、自転車も同じ。

言わば、CPUがいくつもの同時指令を行う為に、処理スピードが遅くなるのと同じだ。

人間は、一つの事に集中していれば効率よく作業が出来るが、同時に二つ以上の事を同時に行うと注意力が散漫になり、その結果、繕っている部分まで注意力が回らなくなり心の壁に亀裂が出来る、それが精神のスリットとなって、そこから本来の性格が分光されて出てくる。


これは「性格の見抜き方 」で書いた事の原理でもある。


同じ白い光でも、その白い光を構成する色の成分は発光する物によって異なり、それらの色が一つになって白に見える。
人格も同じで、白く見える人格であっても、人格を構成する要素は人それぞれだ。
その為「どうしてこの人が?」と思う人が犯罪を犯した時に、相反する人物像が出る事になる。
その相反する人物像の違いは、余裕のある時の人物像と、余裕が無くスリットで分光された時の人物像の違いである。


人を見抜く力とは、普段から軽いスリットの時に見られる分光された性格を見逃さ無い事だ。





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