「精神疾患も波 」の補足
前回の「家庭や教育の世界では、そう言った世界は否定されてしまう」の補足だ。
親や教師は「そう言った世界がどんなに大変か?」「もっと現実的になれ」等と判ったように言うが、言ってる本人(親や教師)も体験した事は無い。
確かに大変だろうし、例え売れたとしても長続きするかどうかは判らない。
でもやって見る価値はあると思うし、やる事に意義がある。
思う存分やって見て、駄目なら就職すればよいし、その世界に入らなければ判らない別の分野もある。
その経験はすぐには生かされないかもしれないが、決して無駄にはならないだろう。
小学生の時に書かされる「将来の夢」、そこに「歌手」と書いたりすると「もっと現実を見ろ」と言う教師もいる。
小学生の時に言われなくても、高校卒業の時などには必ず言われる。
高校の進路指導もおかしな物だ。
本人の意思が反映される事は少ないと思う。
私の娘も今年卒業したが、私も進路指導の時に大きな疑問を感じた。
成功するとかしないとかは別にして、娘はゲームのデザイン系に進みたがっていて、学校も決めていた。
(それでも妥協案でしかなかった)
しかし、担任の教師は付属の学校を奨める。
その理由が、そんな世界は大変だから・・・
私は進路指導の前に何故その学校を選んだのかを娘とに聞いた。
その一番の理由は、絵が好きだから、そして自分の書く絵に足りない物がありそれを学びたい。
それは「デッサン力」で、その学校はその他にもグラフィックデザインなども教えてくれる。
娘は学ぶ目的を持っていた。
私は学ぶ目的の無い学問ほどつまらない物は無いと思っている。
娘の友人も、自分の進みたい所から進路を変えさせられていた。
何か間違っているような気がする。
そして、入学説明や入学式の校長の話を思い出した。
進学率が何%、就職率が何%・・・
全ての卒業生の進路は決まっています・・・・
就職率が何%と言ったって、定着率は100%じゃないだろ。
定着率が100%なら、世の中に転職はない。
つまり、そんな数字に意味は無い。
そんな数字を作る為の進路指導なのだろうか?担任は属の学校の営業マンか?と考えてしまう。
そして、そんな進路指導を無視して、自分で選んだ道で成功すると、名誉ある卒業生として扱われる。
虫のいい話だ。
そう言えば、私の通っていた大学の「名誉ある卒業生」に名を連ねている著名人の大半は中退者であり、卒業生は少ない。
進路相談や進路指導で規制の枠の中に押し込めようとする風潮が閉塞感を生むのではないだろうか?
そして「とりあえず大学」と言った、目的の無い進学の為の勉強や指導が「自分(自我)」の形成を阻害しているのではないだろうか?
何か間違っているような気がするのは私だけなのだろうか?
娘の担任が、付属の学校を進めた理由の一つにワープロや簿記などの資格などの理由もある。
娘が通っていた学校が、ビジネススクールで、在学中に簿記検定やワープロ検定など色々な検定資格を取ったのだが、その資格を活かせる方向に奨める訳だ。
しかし、得意な事と好きな事は違う。
得意だからと言って好きな事とは限らない。
人間、好きな事をする為の努力や苦労はさほど苦にならないが、好きでもない事の努力や苦労は結構ストレスが溜まる。
そして、人の幸せとはお金に苦労しない事とか、安定した生活を送る事ではなく、人生に満足出来るかだと思う。