先日、ディスカバリーチャンネルで「人間の発育」と言う番組を見た。
このブログは、私が見てきた事や体験してきた事を分析して書いているのだが、あの番組はその事を実験で証明している様な内容で、非常に面白かった。
結局7時間分録画してしまった。
このブログで、知識と経験のアンバランスと言う事を何度も書いているのだが、その番組の「歩くまで」と言う特集の中で行われていた実験は、人間の脳の発育を知る上でとても参考になる。
生まれたての赤ちゃんは、自分で体勢を変える事が出来ない。
それから寝返りを覚え、お座り、ハイハイ、つかまり歩きを経て二足歩行に至るのだが、行動範囲が増えればそれだけ危険度は増す。
その番組は、赤ちゃんがどのようにして危険を認識して行くかと言う実験だった。
お座りが出来る赤ちゃんは頭が重くバランスが悪いので、離れた所にあるおもちゃに手を伸ばせば倒れてしまう。
何度も手を伸ばして倒れる事を繰り返して「倒れない距離感」を覚える。
さあここからが実験だ。
真ん中で二つに分かれる台の上に赤ちゃんを乗せて実験するのだが、隙間を開けた台の端に赤ちゃんを座らせて、最初は手の届く距離におもちゃを置くと、赤ちゃんはそのおもちゃを取ろうとする。
その台の距離を広げて手が届かず隙間に落ちてしまうような距離になると、赤ちゃんはそのおもちゃを取ろうとしない。
つまり、体勢を崩して溝に落ちる危険な距離を認識していると言う事である。
次に、倒れる距離を認識して、ハイハイが出来るようになった赤ちゃんで、小さな溝を作り、ハイハイをさせる実験をする。
すると、その溝にはまってしまう。
その溝の幅を大きくして、その溝を最初に見せてからハイハイをさせてもその溝に落ちてしまう。
しかし、その溝に落ちる経験を経た赤ちゃんは、その溝の手前で考え出してそれ以上進もうとはしない。
その溝の危険性は、お座りの時に認識しているのだが、ハイハイの時にはその認識を最初から覚え直さなくてはならない。
ハイハイで、溝の危険を認識していた赤ちゃんでも、つかまり歩きの段階で同じ実験をすると、溝に落ちてしまう。
つかまり歩きに入ったら、また新たに溝に落ちる体験をしないと溝の危険を認識する事は出来ない。
ここで、一つ人間の特性のような物が見て取れる。
お座りの時に認識していた溝をハイハイの時に見せても、その溝がお座りの時と同じ危険と予め認識できず、ハイハイで危険を認識した溝も、つかまり歩きの時には危険を認識出来ない。
つまり、人間は見たり聞いたりしただけでは、危険(物事)を認識出来ないと言う事だ。
同じ危険でも、目線の高さの違いで、見える角度が変わると危険認識を最初から覚え直さなくてはならないと言う事だ。
何度も詐欺に合う人がいるが、こう言った危険認識が出来ない人なのかもしれない。
喧嘩をして怪我をすると言う行為も、喧嘩をして痛みを知ると言う重要な体験、走って転んで膝を擦り剥く事も重要な体験。
「言って聞かせる」と言う事は、そう言った体験を積んだ大人の発想であり、自分で体験した事のない子供に言って聞かせただけでは実感させる事が出来ないという事だろう。
親は危ないからと言って過保護になりやすいのだが、それは子供の健全な成長を阻害しているとも言える。
そして、この時期の距離感の把握(危険の認識)が発達しないと、次のステップである「自己認識 」に支障をきたすと思われる。