過度な勉強は精神疾患に繋がると 書きましたが、さてどんな勉強がいけないのでしょうか?
それは、目的意識の無い勉強や強制的な勉強、そして勝ち負けにこだわる勉強です。
まあ一言で言ってしまえば、ストレスのかかる勉強ですね。
例えば、得意の科目を勉強している時には「満足感や充実」した気持ちになります。
これは、セロトニンも出ていると言う事で、ストレスを感じない勉強と言える訳です。
しかし、苦手な科目は充実感などは無く、すぐにでも止めたい気持ちを我慢して勉強している訳です。
つまり「苦手な科目の克服」とはストレス状態にあると言える訳です。
ストレス状態にあるという事は、コルチゾールが出ている状態で、コルチゾールが短期記憶を司る 海馬に影響を与えると言う観点からすれば悪循環ですよね。
つまり、あまり頭に入らないと言う事です。


まず目的意識の無い勉強で注意しなくてはいけないのが、子供の希望は本当に子供の希望なのか?と言う事です。
それは親が押し付けた「親の価値観」では無いのか?と言う事です。
医者の息子が医者になる必要はありませんし、医者の息子に医者としての適正があるとは限りません。
医者の息子が親の姿を見て、自分から医者になりたいと思って勉強するのなら良いでしょうが「お前は医者になれ」と親の希望を植えつける様では、子供の希望とは言えません。


ただ単に、良い大学へ行けと言うのも、何の為に勉強するのか?と言う目的がありません。
親の価値観と言う物が、何事にも左右するのですが、今の子供達に将来の夢を聞いた時に、低年齢になるほど夢を語りますが、年を重ねる毎に自分が何になりたいのかも判らずにいたりします。


将来の夢を持たない子供の場合、親の価値観が大きく影響しているのです。


最近では「勝ち組」「負け組み」と言う意識でしょうかね?
本来人生には「勝ち組」も「負け組」もありません。
人生、山あり谷ありで、良い時も有れば悪い時も有るのです。
私も、その日の食べ物もすら買えない時期も有りましたし、月収が軽く100万円を超える時期も有りました。
勉強の成績にしても同じです。
成績が良い時も有れば、悪い時もある、一生懸命やった結果が悪ければ、それはそれで良いのです。
その努力を褒める事が有っても、叱るべき事ではないのです。
そこに、すでに「何の為の勉強か?」と言う勉強する本来の意味が無くなっているのです。
勉強は、学校での成績を競う為の物ではありません。
自分自身の教養を高める為にするのです。


得意な科目はさほど勉強しなくても良い点が取れますし、苦手な科目は一生懸命勉強しても中々良い点が取れません。
得意な科目は勉強していても楽しいですし、自発的に「もっと知りたい」と言う意欲が出ますが、苦手な科目は知りたいという意欲が出ませんし苦痛を感じます。
適性に合った勉強は頭に入りやすく、適性に合わない勉強は中々頭に残りません。
これが「適性」と言う物です。

有名な事件で歯科大に3度落ちて、妹を殺害してしまった事件。
3度落ちると言う事は、適性が無かったと言う事です。
患者の立場から言えば、適性が無い人に診て貰いたくありません。


テレビによく出ている若い弁護士さんは、法学部でもないのに2度で司法試験をパスし、一流大学の法学部の人が何回も司法試験に落ちている。
それが「適性」なのです。
大学入試には法律問題は出ませんから、良い大学の法学部へ入ったからと言って、適性が有る訳ではないのです。


それは仕事も同じで、適性の合った仕事には「生きがい」や「充実感」を感じ、一層の精進をしますが、適性の合わない仕事にはストレスを感じます。
また、適性の合った勉強や仕事で壁に当った時には、何とかして乗り越えようとしますが、適性の合わない物では壁に当った時に挫折します。


親の価値観では「馬鹿げた事」と思えるような子供の夢でも、とりあえずやらせて見る事が大切なのだと思います。
とりあえずやって見て、駄目なら諦める。
でも、好きな事にまい進していた時間や経験は、決して無駄にはなりません。
まあ親から見れば無駄な時間に思えるかもしれませんが、好きな事にまい進していた時間や経験は、必ず人生の何処かで役に立つ物です。

子供の為と思い、無理に勉強をさせて、殺されてしまったり、事件を起こしたり、頭がおかしくなっては何にもなりません。

そして、親が成績の良し悪しを気にするのは、親の面子ではないでしょうか?

つまり、親の価値観。



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