自サバ(=自称:サバサバしている人)という言葉が市民権を得ているように思うが、これとほとんど同義ではないかと思っているのが「私、自己肯定感高いんでぇ~」である。

一言で返すなら「知らんがな」なのだが、なぜ彼らはわざわざ「自己肯定感が高い」ことを誇示してくるのであろうか。

自己啓発系の人たちが言うことが間違って伝わったあげく、その間違って伝わったものを教義とする教祖が現れ、その教祖にせっせと貢ぐカモもとい信者が増えたことによるものではないかと思っている。

幸せになりたい→自己肯定感を高く保ちましょう→何をやってもあなたに価値がある、むしろ何もしなくても存在するだけで価値がある→私ってばすごい人!

ざっくり言えばこのような図式かなと思うのだが、たいていこういった教義にハマる人というのは幼少期に厳しく育てられていて、親の顔色を窺っていたという気の毒な大人たちである。褒められて育っていないから、こういう理論が破綻している「あなたはそのままで素晴らしい」的なことにまんまとのめり込み、毎日鏡を見て無理矢理笑顔を作りながら「私は素晴らしい」と呪文を唱えるというホラー映像をリアルにお届けするような信者が一時期量産されていたのではないか。

そして、教祖たちがこぞって角川あたりと手を組んで本を出版して一般の書店にも並んだ結果、不幸にもそれを見かけてしまった人がその教義にハマり、さらに似非自己肯定感高い人種が蔓延していったのであろう。

結果的に「私、自己肯定感高いんでぇ~」が出来上がるのだ。

 

本当に自己肯定感が高い人はそもそも自己肯定感などという単語を出さないことに、なぜ気づかないのだろうか。それは宗教的とは言え狭い世界の中でしか生きておらず、自分が世界の全てを知っているかのような傲慢な姿勢があるからだろう。だからこんなしょうもない教義にハマるのである。

逆に、この自己肯定感が低い人はそれを気にするのでこの言葉が事あるごとに口をついて出てくるし、世の中類友なので自分の周りにも自己肯定感が低い人が集まり、そんな人たちを見ながら「環境が悪いんだ」などと考えるのである。だから、宗教にハマる。すると同じような考え方をしている人と出会って刺激をもらえるから「私たちはトクベツ」という意識が芽生える。

よしんばそのようなサークルに入らなかったとしても「自分はトクベツ」という意識には変わりない。これも自己肯定感の低さのなせる業で、自分が特別だと思わねば体面を保てないんである。そういうことに気づけない辺りがだから「認知の歪み」だと言っているのだ。

 

自分のことに100%客観的になることは出来ないから誰しもこの歪みはあるにせよ、自己肯定感がどうのこうのと言う人たちはとりわけ歪みがひどい。魚眼レンズよりひどい。

 

本当に「トクベツ」な人は慎ましやかで腰が低く、誰にでもにこやかで横柄さはない。そして謙虚で相手への敬意を持つから、年代問わず相手にはとりあえず最初は敬語、というスタンスの人が多い。何を以て特別と言うかは難しいが、ひとまず知名度という点で線引きをしている。そういう人はおしなべて行動力がすごいから、言い訳をすることもないし「私、自己肯定感高いんでぇ~」などと言っている暇もないから、そんなことは彼らの頭の中にはないのではないか。

 

思うに、こうした人たち…自サバもそうだが、結局人や世間を知らなすぎるのだ。そしてその「知らない」ということを知らないからこそ「私って」などと言えるのだ。普通は恥ずかしくて言えるものではない。人のことを見ようとしない、世間を知ろうとしない、それでいて自分はその中では「できるほう」だと思っているのだから、自己肯定感が高いのではなく単なる傲慢である。

自分が見ている世界が全てだと思い込んでいるから、「私は出来る!」と宣ってはばからないし、それを恥ずかしい事とも思わないのだ。実際には周りから見れば負け犬の遠吠えよりみじめである。単なる犬の遠吠えである。

 

 

まぁ、私もこうして偉そうに言っているのだから同じようなものなのだが、そういうわけで錬成された人格の人を見ると襟を正す思いだし、まだまだ精進せねばならないと感じる。

 

 

 

 

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