昨日、西宮の越木岩神社からイワクラ学会に協力要請があったため、柳原副会長と行ってきました。
越木岩神社は、磐座をご神体としている有名な古社で、飯森宮司さんには、いろいろとご教授をいただいています。
越木岩神社については、拙著のホームページを見てください。
『越木岩神社の甑岩』

この神社の隣にマンション建設の計画があり、この建設によって、神社を見下ろす建物が出現することのみならず、隣の敷地内に残る磐座の破壊、伊勢遥拝所の視線の遮断などが行われようとしています。
この隣の土地は地域の共同所有であった宮山でしたが、約50年前、夙川学院からの要望に応えて、この地域の文化振興のためになるならと売却したようです。
神社としては当初は売却に反対しましたが、最終的に夙川学院と施工者が磐座の保存と社叢・遥拝所に配慮し校舎建設するという条件で売却に了承したようです。
実際に、夙川短期大学は、神社側に配慮した建て方をしていました。この度、この敷地がマンション業者に転売されました。 神社側としては、配慮してもらいたいと要請をしていますが、聞き入れられる可能性はほとんどありません。

これに対し、飯森宮司さんから、イワクラ学会に対し、越木岩神社と隣の敷地内の磐座の重要性についての意見書を書いて欲しいという要請がありました。 意見書については、私の方で書くことになっていますが、嘆願書活動も計画していますので、その際は、みなさんのご協力をお願いいたします。

【破壊される東翼の磐座】

署名活動を開始しました。ご協力をお願いします。
  
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私論ではありますが、越木岩神社の磐座は、現在の北座磐座(男根)を中心として東と西の両翼に磐座群が形成されていたと考えています。 西翼の磐座は地震で崩れてしまっていますが、隣の敷地には東翼の磐座が残存しています。 現在の甑岩(女陰)は中心軸から西にずれていますが、やはり南の磐座にあたるのではないかと思います。

【甑岩 この磐座は残りますが、背景にマンションが見えるようになるかもしれません】


【甑岩の北側の方位石】

この
甑岩の北側は祭壇形状になっていて、北を指す岩(方位石)も設置されています。これらの磐座は、北を拝する祭祀形態であったと考えられます。
北座の磐座から真北に線を引いた隣の敷地内には2つの巨岩が並んで残存しています。これは磐座の一部が破壊されたものと考えられます。この南北線をさらに伸ばして川を挟んだ向こう側に、鳥の姿をした特徴的な石組みがあります。私は、この敷地内の巨岩は、この鳥の磐座を崇める祭壇であったのではないかと考えています。

【鳥の磐座】

さらにこの南北線を北山公園に伸ばすと、北山公園内の陽石と太陽石と呼ばれるイワクラに到達します。 江頭務氏は、太陽石と陽石と越木岩神社が一直線に並ぶことから奥津磐座、中津磐座、辺津磐座を形成するのではないかという説を提唱されていますが、私は、これに鳥の磐座を加えてこの説を補強したいと思います。(磐座配置図は暫定的なものです、再度、数値的な検証をしたいと思っています。)


今、マンション建設により、越木岩神社の磐座群と北山公園内の太陽石を結ぶ重要なレイラインが分断され、東翼の磐座が破壊されようとしています。 (古代史探索家 平津豊)

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