ブログ、久々の更新です。


決して怠けていたのではなく、
年末までスケジュールがいっぱいで。


実は一昨日、
あの『爆弾低気圧』のさなかに、
新潟の宝徳大社に行ってきた。


帰ってきたのは、

一番激しかった昨日の夜。


キムタクママ(木村悠方子/まさこ)さん、
そして神戸の駒川耕司先生をお連れして、
僕の車で一緒に向かった。
(※木村さんは先月、藤乃先生指導で改名)


行きの一昨日(12/17)は比較的スムーズで、
雪は多かったが、
思ったよりも早く着いた。


「これなら、
12:30までに到着すれば、
なんとか今日は、
宮司先生にお会いできそうだ…」


その日におられることは、
事前の電話で情報を得ていた。


そして丁度12:30に到着、
宝徳大社は凄まじい猛吹雪で荒れていた。


当然ながら、
全くと言っていいほど参拝客はいなかった。


雪をかき分け、

容赦なく頬を打ち付ける横殴りの雪と戦いながら、

後ろから歩いてくる二人を残し、
小走りで本宮に私だけ向かう。


本宮に入ると、
奥の部屋に宮司先生のお姿が見えた。


いつも相談客が後を絶たないのに、
さすがこの日だけは誰もいない。


「チャンス!
二人に引き合わせる事ができる!」


これ幸いとばかり、
先生の部屋にツカツカと乗り込む。


『お参りが先!』


宮司先生の声が響いた。


…先代から、もう何度注意されただろうか(笑)、

宝徳大社では、
まず最初に祭壇の左右にローソクを上げ、
それから中央後部で挨拶のお参りをする。


神に挨拶しないで通り過ぎる事は許されない…
という事だろう。



東京都中野区の本井秀定です。


天照白菊宝徳様、、
いつも私たちをお守り頂きありがとうございます。


どうか、宝徳様のお力が
存分に発揮できる世の中になりますように。


そして、宝徳様の望まれる、
幸せで平和な世の中になりますように。


そしてこの日本が、
宝徳様と共に繁栄する国となりますように。


注:私なりの祈り方ですので、

決して真似はされないように(笑)。



そして先生は私たちに、
1時間くらいいろんな話をされてくれた。


余程のことがなければ、
これだけ時間は占領できない。


今日は一つだけお話ししよう。


「これだけの規模の神社は、
今まで僕は見たことがありませんが、
どうやって…」


下世話な質問なのに、
気持ち良く答えてくれた。


『先代(宮司のお父さん)はな、
ここに本宮を建てるのに神と約束した。
宗教で飯を食わないと。
これらは全部、
自力で建設したんだよ。』


「えっ!?
巷のお賽銭や寄付金とかではないのですか?」


『ばか!…
神は仰った。
神を利用して、
お賽銭を当てにするのではなく、
社会の中で自力で稼いで、
そのお金で建設しなさい、
それが真の神道…神の道です、とな』


「ど、ど、どうやって…」


※ちなみに私は、
6~7歳から導かれて、
ざっと50年は通っているので、
かなり古い中に入ると思う。


しかし、
火の鳥が飛ぶ神社と、
祈願のほとんどが成就する神社だと言うくらいで、
実は宝徳大社の実態をあまり知らない。。


先代では恐くて聞けなかったからである(笑)。


『先代は貧乏のどん底の中、
苦学で大学を出て、
無一文から様々な事業を行った。
東京では数千か所の借家のオーナーでもあった。』


「HONDAの原付バイクや車を買い取って、
危機を救ったと言う話や大株主だったともありますね?
本田宗一郎さんの本や何かにも書いてあったと思います。」


『そんなのは大したことではないが、
GHQ、田●角●、小●野●治、堤●二…(略)』


※海外を含め、
日本の政財界の大物との親交があったようだ。


「やはりそれは、
神の力で全て事業を成功させたのですか?」


『勿論、神の後ろ盾無しでは人間は何もできないし、
成功などあり得ない。
だがな、やるのは本人なんだよ。』


「やはり、
神からの啓示だとか…」


『それもあっただろうな、
でも何度も言うように、
やるのは自分自身の精進や行動力だ。
何もしないで神任せでは何事も成就しない。』


「失敗したことは?」


『そりゃあるさ。
金融業だけは大失敗した。』


「えっ?
それはなぜ?」


『だってお前、
お金に困ってるからお金を貸すのが金融の仕事だろ?
先代は困っている人に保証も取らず貸しまくり、
そのお金を返してもらわなかったから失敗しただけの事だ。』


※一同笑いながらうなずく


先代は厳しく恐い方だったが、
誰彼とはなく分け隔てをせず、
こんな私でも、とても優しく接してくれた。




(つづく)