戦闘少女VS内向少年 | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日3月8日は、BABYMETAL関連では大きなイベントのなかった日DEATH。

 

4月のレッチリに続き、6月はKOЯNのサポートが決定しました。

やっぱり今年は「米国死闘篇」で、アメリカツアーを回る大物バンドのサポートをきっちりこなして「修行」するということでしょうね。

6/18(SUN) アルバカーキ, NM / Isleta Amphitheater

6/20(TUE) チュラビスタ, CA / Mattress Firm Amphitheatre

6/21(WED) イングルウッド, CA / The Forum

6/22(THU) マウンテンビュー, CA / Shoreline Amphitheater

6/25(SUN) ナンパ, ID / Ford Idaho Center

アメリカ西海岸、ニューメキシコ州、カリフォルニア州、アイダホ州の5か所。いずれも大都市の近くの中規模都市。東京だったら八王子とか、大阪だったら豊中とか、そんな感じ?

会場は、いずれも1万人越え。今回のツアーは、17公演あるうちの5公演が担当で、他はSTONE SOURなど、別のバンドがサポートするとのこと。

KOЯNは、1993年結成のラウド系バンド。ラップをメタルにとりいれたNu-メタルの代表格で、世界中のフェスでヘッドライナーを取るビッグネームです。Rの字はトイザらスと同じく、左向きが正しい。

2006年、2010年の来日公演のほか、サマソニ、ノットフェス、オズフェスでも来日。バンドの肝はジョナサン・デイヴィス(Vo)の表現力豊かなヴォーカル。イジメ、虐待のトラウマから、内向的で暗い歌詞をたたきつけるように歌うのが特徴。マンキ―(G)、ヘッド(G)の重低音7弦ギター2人、フィールディ(B)の5弦ベースにレイ・ルジアー(D)という構成は、神バンドに近いかな。

このスタイルが一世を風靡し、フォロワーが続出。勤勉なバンドでもあり、巡業中もDAW環境をもった大型バスを持ち込んで曲を作り、2年に1度のペースでアルバムをリリースしています。回遊魚と同じように「音楽を作っていないと死んでしまう」という表現者なのでしょうね。

BABYMETALとは、フェスで何度か顔合わせしているはずで、近いところでは昨年12月のレッチリマンチェスター公演の前日、同じ会場でLimp BizkitとKOЯNのライブを見ていました。このあたりから話が決まっていったのかもしれません。

METALLICAをリスペクトして「The One」のカバーをライブ演奏(アルバム「Take a look in the Mirror」に収録)するなど、KOBAMETALの志向性にも近いものがあると思われます。

輸入盤を含めてベスト盤がいくつかあり、最新アルバムは2016年10月の「The Serenity of Suffering」(Billboard 200で4位。現在まで累計11万枚のセールス)。

 

本日のお題は、戦闘少女。

東京大学大学院の田中純教授(思想史、表象文化論)は、BABYMETALについて、次のように語る。

――引用――

「BABYMETALの活動はメタルレジスタンスと称されている。こうしたいわば「反体制」のカルト志向は、なかばはギミックであることを承知のうえで、なお、カウンターカルチャーとしてのロックをすりこまれた世代の「ロック幻想」に訴えかけずにはおかないだろう」

「彼女らのイメージは、「敵」が明確である点でも、その衣装が赤と黒(とくに黒)を基調とするゴスロリ風の「鎧」を思わせる一種の戦闘服(それは制服のようにほとんど形態を変えない)である点からも、いわゆる「戦闘美少女」の極めつきのかたちと言っていいだろう」

「キツネ様によって三人の少女に降臨したメタルの使徒であるという設定は、これも言うまでもなく「狐憑き」という巫女的なシャーマニズムへの連想にもとづいている。少女たちはシャーマンなのだ」

「高度な技術をもったバックバンドによる大音量の攻撃的なサウンドを背にして、徹底的に作りこまれた虚構としてのレジスタンス戦士を、歌とダンスによってこのうえない精度で演じ切って初めてシャーマニズム的なパフォーマンスが完成する。」

「BABYMETALのパフォーマンスは、演じている自分を意識した「自己言及性」や素人臭いアマチュアリズムが聴衆に「身近さ」を感じさせるといったポストモダンな「日常性の美学」や「近さの美学」とは無縁である。」(別冊カドカワDirect04)

――引用終わり――

KOЯNのジョナサンは、内向的な自意識をメタルという音楽に触発されてぶつけ、ラップメタルという新しい表現方法を見つけた。父親からの虐待を心の奥に抱え続け、1stアルバムに収録された「Daddy」という曲は、結成20周年ライブまで、3回しか演奏できず、そのライブでは泣き崩れて完奏できなかったという。

一方、BABYMETALは戦闘少女である。

田中氏によれば、あのコスチュームは「鎧」。鍛え上げられた歌唱力とダンスで、世界と戦う。別冊カドカワDirect 04に掲載されたこの論文の要旨は、「BABYMETALを通して、かつてのロックファンが取り戻そうとしているのは、自分が失ってしまった「幼年性」である」ということなのだが、あえてこの部分だけを抽出したのは、素人アイドルを想起させる「ポストモダンな日常性の美学」ではなく、「虚構としてのレジスタンス戦士を、歌とダンスによってこのうえない精度で演じ切っ」ているBABYMETALにこそ、惹かれているのだという田中氏の感性に共感したからである。

アニマとしての戦闘少女や巫女への憧れは、「幼年性」の最たるものかもしれない。

強く、神秘的な能力を持つ全能の女性のイメージは、幼児から見た母そのものだからである。

その証拠に、戦闘少女や巫女のアイコンはジャパニメーションの定番である。具体名はあげないが、アレもコレもいろいろと思い浮かぶ。

そうした2次元のイメージが、明らかに3次元のアイドルであるBABYMETALのコスチュームに投影されている。

しかし、田中氏が正しく喝破しているように、パフォーマンスがグダグダだと、それは「陳腐」以外の何物でもなくなってしまう。具体名はあげないが、アレもコレもいろいろ思い浮かぶでしょ。

前回書いたが、「虚構」の物語性が虚実皮膜としてリアリティを帯びているのがBABYMETALの特徴のひとつ。それは、完璧なパフォーマンスによるものなのだ。

つまりは、「幼年性」の憧れである戦闘少女や巫女の、3次元における実現としてぼくらはBABYMETALを見ているということになる。

いやはや、現実にはまだ10代の少女たちにそんな重荷を負わせるのは酷だが、それはアイドル/アーティストの宿命でもある。

典型的な内向少年であるKOЯNのジョナサンが、戦闘少女のアイコンを帯びたBABYMETALを好きになってしまうのは、理の当然である。

6月の西海岸は、カラッとして暑い。ほとんど雨が降らないので、野外のステージでも大丈夫だろう。だが、そこはBABYMETAL。通り雨が降ったら、それはキツネ様降臨のせいである。