反知性主義とBABYMETAL | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

爆音、暴力的なモッシュ、マッチョな肉体とタトゥ、反社会的言動といった外見的要素にも関わらず、メタルファン=メタルヘッド、メタルエリートたちは、意外と高学歴であることが多い。

資本主義社会や既存宗教に批判的だということは、とりもなおさず社会や教義に関する知識が豊富だということであり、デスメタル、ブラックメタルといった“極北”であればあるほど、そのファンは日本の言葉でいえば“オタク”度が高いということは、考えてみれば当たり前かもしれない。

マーティ・フリードマンが言っているように、メタルという音楽は女の子にモテない、ダンスができない、社交的じゃない奴のルサンチマンに満ちた音楽であるが、ライブでは、頭がよく、内向的な性格の青年が、普段発散できない情念をモッシュという形でぶつけあう音楽でもあるのだろう。

2015年、日本では、反知性主義批判というものが流行った。

主にサヨク系の知識人が、支持率の高い安倍政権や、愛国的な思潮が元気な言論界に対して、批判の材料として用いた言葉であり、いわく「アメリカは反知性主義の国であり、最近の日本は、それに追随して、感情的な反知性国家に成り下がっている。」

反知性主義(Anti-intellectualism)という言葉は、オリジナルであるユダヤ系アメリカ人思想家ホフスタッター(1916-1970)の『アメリカの反知性主義』(1963年)や、日本でこの言葉が流行するきっかけとなった、国際基督教大学教授森本あんりの『アメリカを動かす反知性主義の正体』(日経ビジネスONLINE 2015年4月24日)、『反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)でも、実は否定的な言葉として用いられてはいない。

ホフスタッターにあっては、”神の専門家“であるカトリックや英国国教会の聖職者制度を拒否し、すべての人が神の声を直接聞ける能力を与えられており、万人司祭を理念とするプロテスタントによって作られたアメリカという国の思考のベースが、専門家、知的エリートへの懐疑であり、それが特権的指導者を許さない、アメリカの民主主義の良心であるとし、知識人への警鐘としている。

また、神学者である森本あんりも、アメリカのキリスト教史における第一次大覚醒の研究から、難解で理性的な説教よりも、解りやすく情緒に訴える説教の方が、社会の底辺に慈しみを注ぐ、聖書に記されたキリストの姿に近いという大衆の受容の仕方を紹介し、それがアメリカという国の特性であると論じているに過ぎない。

よく原典を当たらずに、反知性主義という“ほめ言葉”あるいはニュートラルな言葉を、愛国的風潮を批判する道具にした人々は、それを各方面で指摘されると沈黙し、2016年現在、この言葉を使って大統領候補トランプの躍進という事態を説明する知識人はほとんどいなくなった。

BABYMETALがワーナーブラザースでアニメ化されることに対して、メタルエリートの批判がすさまじい。

高学歴で少数派の彼らは、2014年、BABYMETALが自分たちの領分である欧米のメタル市場に登場したとき、「あんなのはメタルじゃない」と一斉にブーイングした。だが、ライブ会場で、圧倒的な演奏力とパフォーマンスのクオリティの高さに瞠目し、受け入れるようになっていった。

Metal Hammer、Kerrang!といった専門誌がBABYMETAL特集を組み、Metallica、ドラゴンフォースをはじめ、名だたるメタルバンドがBABYMETALを称賛し、ロブ・ゾンビにいたっては、ファンの批判に対してBABYMETALを擁護する論陣をはってくれた。こうなると、もうほとんどのメタルエリートが、BABYMETALについて批判するのをやめてしまった。BABYMETALの音楽性には我慢ならないとしても、メタルの領土=ジャンルのすそ野を拡げる意味では、悪くはない、という意見が大勢を占め、BABYMETALはSlipknotと同じく、新奇性でメジャーから認知されつつあるメタルバンド、というポジションを確立したかのようであった。

ところが、今回、ワーナーブラザースでBABYMETALがアニメになると聞いて、寝ていた虫が起きたのである。やっぱりメタルを利用して、メジャーを目指すポップグループじゃないか、と。

そのとおりだ。もともとBABYMETALはメタルバンドではない。最初から“アイドルとメタルの融合”だと言っている。ただしやるからには、楽曲、演奏、歌唱、パフォーマンスの質は、メタルバンドとしても一流のレベルであるというところが、他の「メタルを利用したアイドルグループ」との決定的な差である。

ここからは我田引水タイムです。

メタルを格闘技界に喩えると、BABYMETALは1980年代の新日本プロレスか、UWFみたいなものである。前世代のプロレス(アイドル)に対して、「過激な」「鍛え上げた」という差別化をして、シリアスな格闘技(メタル)ファンにも人気を博した。圧倒的な人気と知名度を持ちつつ、「鍛えてない」「素人がリングに上がる」と非難された前世代のプロレス、ジャイアント馬場の全日本プロレス、UWFが抜けた後の新日本プロレスに当たるのがAKBかもしれない。地下アイドルは大仁田厚か>爆

となると、SU-METALはアントニオ猪木か前田日明、YUIMETALは藤波か高田、MOAMETALは長州か藤原か>もっと爆

ところが、「本物」とされた新日本、UWFでも、実は試合前に打ち合わせのある「プロレス興行」であったことが内部告発で明らかとなる。そんなことは、最初からわかっていたのに、ファンは失望し、権威は地に落ちた。プロレス団体は四分五裂し、乱立時代になってゆく。かといってシリアスな格闘技が、一般的な人気を博したかというと、そんなことはなかった。

やっぱりこの喩えには無理があるけど、今回のアニメ化は、メタルを利用して世界のメインストリーム=メジャーなポップを目指すBABYMETALの本質が明らかになったという意味では、よかったのではないか。

アメリカという国は、良い意味で反知性主義である。リーダーに求められる資質は、高い知性や識見をもつエリートではなく、“隣にいるような”親しみやすい人間であり、みんなの意見を聞き、果断に政治的決定を行うことである。ブッシュJr.がゴアに勝ち、トランプが人気を博しているのも、選挙戦術として田舎の保守層に、より親しみやすい人間性を訴えたことによる。

ポップスターもそうだ。過激・新奇・天才的に見えて、実は「普通の女の子」であるという親しみやすい人間性を持つこと、それによって売れた者こそスターになる。マドンナもレディガガも、そうやって大スターになった。

だから、前回書いたアドルノの大衆音楽批判が、アメリカではまだ有効なのだ。今年前半のアメリカツアーで、BABYMETALは一定の評価を得た。だが、広いアメリカでは、まだまだ大衆的な認知を受けたとは言い難い。ワーナーブラザースによるアニメが全国放映されることで、ライブツアーをしていない時期でも、アメリカの大衆、特に若い世代はBABYMETALに触れ続けるだろう。これこそ、この企画の利点である。

なにせ、BABYMETALは「へヴィメタルのマジカルワールド」で戦っているのだから、アメリカを不在にしていてもいいのだ。そして2017年、年に何回か、アメリカ各地に「ポータル」を通って降臨し、圧倒的な演奏、パフォーマンスを見せる。理想的である。アニメを踏まえた「紙芝居」が目に浮かぶ。

ただこれは、「知性主義」に立つ英米日のメタルエリートには評判が悪いだろう。彼らは相変わらず、BABYMETALが「わかる人にだけわかる」ライブバンドであってほしいだろうし、小箱でのライブで熱狂したいだろう。東京ドーム「赤い夜」で背中しか見えなかったぼくの中にも、実はそう言いたい気持ちがある。

だが、そういうマニアックな存在ではなく、メインストリームのメジャーな存在になることが、BABYMETALの目標であることがはっきりした以上、ぼくは支持したい。行けるところまで行ってほしいと思う。

顔笑れ、戦えBABYMETAL。