紙芝居の世界(1) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

今日はちょっと小難しいことを書く。

Rising Sun Rock Festival 2016のBABYMETALについて、「聴き飽きているはずのIDZとRORなのに、実際に現場で聴いてなんぼだということを、つくづく思い知らされたよ」とツイートした方がいた。これについて、ぼくは「インターネットで動画や情報が簡単に手に入る時代に、ライブは正真正銘の“体験”なのだ」と書いた。

確かに、デロリアンを買って自宅のAV機器で視聴するというのもリアルな行為だし、PCやスマホで動画を見、情報を得ることも、指先だけだけど、主体的な行為ではある。だが、それはあくまでも個人の消費者としての行動にとどまっている。

しかし、このブログもそうだが、同じアイドルもしくはアーティストを好きな人々のファンベースが世界的規模で実在し、その一構成員としてTwitterやフェイスブックでリアルタイムの情報を共有しつつ、ライブに集まり、またその様子をペリスコやYouTubeにアップして、参加できなかった人を思い、ファンベースに貢献していくというのは、あらゆるものがデジタル情報化され、商品として消費される現代において、血の通った肉体性をもった人間が、共同体=コミュニティへと自らを投企し、参加し、合一化していく行為=コミュニオンになっていると思うのだ。

ただ、忘れてならないのは、ぼくらは主体的に行動しているように錯覚しているが、実はアミューズとKOBAMETALのプロモーションに呼応した消費行動の一部を担っているのだ、という自覚を持ち続けることだ。

フランスの哲学者J.P.サルトルは、人工物と違って目的(本質)を持たずに生まれ、“自由の刑”に処せられている人間は、歴史的状況に拘束され(アンガジェ)、否応なく一つの立場を選び、主体性をもって政治的・社会的な運動に参加する(アンガージュマン)ことで、現実存在としての自己の本質を確認するのだと言った。

ドイツの哲学者ハイデガーは、そのような人間の在り方-自分の存在意義を創造しながら、未来の可能性に向かって生きていくことを「投企」と呼んだ。

現象学で知られるフランスの哲学者メルロ・ポンティは、こうした文脈において、コミュニティとは、特定の立場を選んだ人々の集まりのことであり、主体的にそれに参加し、交流し、与えあい、分かち合っていくことをコミュニオン、その手段をコミュニケーションと呼んだ。

もともとコミュニオンという言葉は、キリスト教において聖餐式(キリストの体であるパンを食べるミサの最重要シークエンス)を意味する。

BABYMETALのプロモーションには、宗教的要素がふんだんに引用されている。例えばApocalypse(黙示録)、Apocrypha(秘儀)、聖誕祭、Fox God(キツネ様)、メタルゴッド、召喚、Doomsday 、神バンド、神降臨!、魔法陣、黒ミサ、赤ミサ、白ミサ、などなど。

メタルバンドによくあるギミックとして笑ったり、感心したりしていればいいのだが、「キツネ様の奇跡」など、マジで信じそうになるのには困ったものだ。

以前タケさんがコメントで、「当初foxgodの紙芝居や世は仮の姿、とか馬鹿馬鹿しい設定と思っていたのが今は、なるほど!ありかもと思ってしまっている自分がこわい^^;」とおっしゃっていたことと考えあわせると、ここらで「紙芝居」について、ちゃんと考えておかなければと思った。

2012年10月6日、BABYMETAL初の1,000人超えのハコ、渋谷O-Eastで行われた単独ライブ、Legend ”I” が、「紙芝居」の始まりである。

要約するとこんな感じ。

「この世界は、A-KIBAを本拠地とする巨大組織“アイドル”にメディア、政治、経済など、あらゆるものが支配されている。アイドルソング以外の音楽は禁じられ、メタルも例外ではなかった。窮地に陥ったメタラーたちは、「メタルの神」に祈った。「メタルの神」であるキツネ様は、祈りを聞き届け、SU-、YUI、MOAの三人の少女を召喚し、新しいメタルを意味するBABYMETALと名づけた。三人の使命は「アイドル界のダークヒロイン」として降臨し、再びこの世にメタルをもたらし、メタルで世界を一つにする戦い、すなわちメタルレジスタンスに臨むことである。」

そして「諸君、メタルレジスタンスの幕開けだ!」という宣言とともに「BABYMETAL DEATH」フルバージョンからライブは始まる。

ライブの中盤、再び「紙芝居」で、YUIとMOAが、巨大勢力“アイドル”の陰謀で、禁断の“チェケラッチョコ”を食べてしまい、「メタルじゃなくね?」と「アンチメタルなアティチュード」で、BLACK BABYMETALに変身し、「おねだり大作戦」を初披露。さくら学院「父兄」の多い観客席は、「あたし、パパのお嫁さんになるんだ!」に「ウォー!」と大歓声を上げる。

すると再び「紙芝居」。「SU-METALはBLACK BABYMETALに“メタルの心”を取り戻させるために立ちあが」り、「紅月‐アカツキ‐」を歌う。

終盤、単独ライブにふさわしく、デビュー曲「ド・キ・ド・キ☆モーニング」を披露した後、三人は「See You!」と言って舞台をはけてしまう。しかし、再び「紙芝居」が、「メタルレジスタンスは長期戦に突入した。BABYMETALに更なる力を与えるため、メタルの神キツネ様は、ギターの神、ベースの神、ドラムの神を降臨させる。」と告げ、初代神バンドが登場。生演奏の「ヘドバンギャー!!」からの「イジメ、ダメ、ゼッタイ」で大感動のフィニッシュとなる。

当時、SU-は14歳の中学3年生、YUIとMOAは13歳の中学1年生、さくら学院在籍中である。

今DVDを見ると、YUIとMOAはSU-の肩までしかなく、客席には赤いサイリウムを持ったファンが多い。しかし、このブログのアーカイブ「第一章」で書いたが、信じがたいことに、SU-の歌、YUI、MOAのダンスパフォーマンスの完成度は、2014年以降とほぼ変わらない。

それはともかく、この時点での「紙芝居」は、アイドル界を独占していたAKB48グループを明らかに意識し、“メタルアイドル”としてのBABYMETALのプロモーション上の立ち位置を提示する目的がはっきりしていた。意図は理解できるものの、相当嘘くさい。

翌2013年2月1日のLegend “Z”では、巨大勢力にとらわれたSU-METALを救うためにBLACK BABYMETALが「郷に入っては郷に従え」と、敵の本拠地であるA-KIBAにのり込むシークエンスもあった。余談だがこの時の「紙芝居」に描かれたYUIとMOAの後ろ姿は、幼い体つきにツインテール、靴が異様に大きなお人形さんのようなシルエットで、めちゃめちゃ可愛い。これが、ついこの間のダウンロードUKのバックステージからの写真とそっくりなのだ。

このライブでは終盤、神バンドが登場し、「ヘドバンギャー!!」でSU-が階段を上りドラを鳴らした後、暗転。「紙芝居」で、BABYMETALの「命の時間」のカウンターがゼロになったことが示される。が、やがてスクリーンから「We are…?」という声が聞こえ始め、それに観客が「BABYMETAL!」とレスポンスしていくと、ついには「命の時間」のカウンターが逆戻りし、1stアルバムの冒頭にある、あの神秘的なコーラスとともにキツネ様の姿が浮かび上がる。そして今ではすっかり定番化したシンバル4つ打ちから、ものすごい音圧で「BABYMETAL DEATH」が始まると、再登場した三人は、死からの再生という意味を込めて白装束をまとっていた。

この「紙芝居」には、中元すず香のさくら学院卒業とともに解散する設定だった「重音部」BABYMETALが、ファンの熱い支持とともに存続していくための“堅信式”(Confirmation)という意味合いがあったと思う。もちろん、存続を決めたのはKOBAMETALであり、三人(特に最後まで悩んだ菊地最愛)であるが、「紙芝居」のストーリーからは、「神バンド帯同させるけん、ファンのお前らも、もう一蓮托生じゃけんね」(似非広島弁御容赦)というメッセージが読み取れる。

「紙芝居」は最後に「BABYMETALの戦いは続く。そう、破滅に向かって…」と告げる。

「破滅に向かって」というのは、1992年、XJAPANの東京ドーム3Days公演のサブタイトルである。当時、誰も気づかなかったが、これを持ち出したのは、ギミックとしてのコケおどしではなく、ライブバンドとして成長し、いつか東京ドームでライブをやるという宣言だったのだ。

2016年4月2日。BABYMETALは、XJAPANを追い越して、イギリスSSEウェンブリーアリーナで日本人初の単独ライブを行った。6月9日、「Kerrang!」AwardsのBest Live Band賞を受賞。そして9月19日‐20日。東京ドーム公演が実現する。

(つづく)