再燃?アイドルかメタルか | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

BS朝日の番組で、インタビューの最後に、現在の日本の音楽シーンについて問われた高橋幸宏は、ちょっと居心地悪そうに、「桜の季節には桜を歌うっていう風潮があるでしょ」といい、「AKBから始まる流れもあるし、BABYMETALみたいなのもある」と確かに言った。

ぼくが勝手に受け取ったのは、“売れようとしてステレオタイプに陥るアーティストが多いんじゃないの”、“素人をアイドルとして育てる文化があるけど、BABYMETALのように世界に打って出る凄いのも出てきているよね”というようなニュアンスだ。ちゃんと見ているなあ、という感じ。

2016年度一学期のワールドツアーで、知名度が格段にアップしたBABYMETALだが、ここへ来てまた、「アイドルなのか、メタルバンド=アーティストなのか」という論争が再燃している。

奇妙なのは、今年になってからは、海外を含むメタルファンが「BABYMETALはメタルバンドだ。アイドル色をなくして、もっとメタル寄りになれ」と言いはじめ、ファンベースにいるアイドルファンを「ドルオタ」「キモオタ」とかいって嫌悪していることだ。去年までの逆だ。

アイドルファンの方はあまりはっきり言わないが、去年までのように「BABYMETALはアイドルじゃない」ではなく、元々はさくら学院だったことを誇りに思っている感が強い。「我々は、さくら学院時代から応援してきたんだ」というプライドですね。確かに初めてMステに出たときの肩書は「史上初のメタルアイドル」でしたもんね。

はっきり言っておく。

BABYMETALは、アイドルでもなくメタルでもなく、アイドルでもありメタルでもある、Only Oneの存在である。どちらの要素も持っているのだ。そんなことは2014年のNHK「BABYMETAL現象」でSU-が宣言しているではないか。

BABYMETALはメタルの追求をやめることはないし、アイドルであることをやめることもない。

ただ、この場合のアイドルとは何か、メタルバンド=アーティストとは何かという定義が、どうも人によってずれている気がしてならない。

そこでぼくなりのアイドルの定義、アーティストの定義をまとめておきたい。

またちょっと過激かもしれないよ。

AKB48グループのような、素人っぽさを強調してテレビ商品化した「アイドル」というのは、ここ十年ほどの、日本国内だけの特殊な状況である。秋元康は裸の王様であり、そのプロデュース手法を金科玉条のように考えている一部の業界人やアイドルファンは、視野狭窄に陥っているだけだ。

1970年代、日本の女性アイドルとは、女性ポップス歌手のことだった。本当に音痴な浅田美代子から、そこそこ上手い天地真理(音大出)、南沙織、アグネス・チャン、本当に歌唱力がある小柳ルミ子、森昌子、岩崎宏美までバリエーションがあった。カワイイ素人っぽさや天然ボケがいいというファンもいたし、努力家で歌や踊りがうまいから好きだというファンもいた。だが、男女問わず、アイドル=ポップス歌手は、あくまで歌を歌うためにテレビに出るのであって、コントやバラエティに出るのはゲスト(客演)としてだけだった。堺正章、郷ひろみ、野口五郎、キャンディーズ、松田聖子らは、歌もコントもどちらも器用にこなしたから便利だったのである。

本来、下積み時代の厳しい稽古を経て、才能を開花させ、選抜されたものだけがステージやテレビに出られるのがショウビジネスの世界的常識だ。

だが、その常識を覆し、訓練‐選抜過程をドキュメンタリーとして見せてしまうという特殊なプロデュースをしたのが秋元康だ。彼のおかげで、歌が下手、踊りも下手、トークもできない、でも頑張ってます、とか、可愛い容姿だがやる気のないような「塩対応」のメンバーまでもが人気を博するという、半素人「アイドル」のスタイルが出来上がってしまったのである。それは1960~70年代からの女性ポップス歌手=正統清純派アイドルの伝統からは、まったく逸脱しているのである。

実は日本のテレビには、「素人いじり」の伝統がある。

コント55号(飛びます飛びます=キツネキツネ)の活動休止後、萩本欣一が始めた、ラジオ番組の延長で、素人の投稿をもとに、素人の演者をいじって笑いをとる「欽ちゃんのドーンといってみよう」(フジテレビ系列1975年~1986年)がそれだ。手練れのコメディアンが、素人を巧みにいじり、素人が人気者になっていくというスタイルは、ドキュメンタリーのようで、実にテレビ向きだった。「欣ドン」は高視聴率番組になった。

その手法をアイドルに適用したのが秋元康である。秋元は1983年からフジテレビで始まった、女子大生をパーソナリティとして起用する深夜番組「オールナイトフジ」の構成作家に加わり、そのフォーマットのまま、「オールナイトフジ女子高生スペシャル」として1985年に始まった「夕やけニャンニャン」のメイン構成作家となった。恒例コーナーの「アイドルを探せ」では、自薦他薦の女子高生などの素人を、5日連続の視聴者参加型オーディションで選び、合格者には番号をつけ、おニャン子クラブとしてデビューさせた。番組は1987年に打ち切りとなり、50名以上いたおニャン子クラブメンバーのうち、今でもタレントとして生き残っているのは、国生さゆり、工藤静香ら数名にすぎない。一人は秋元と結婚した。その後秋元は人気者になったとんねるず関連番組の構成作家、作詞家として盛名を轟かせる。

バブル期から1990年代の芸能界は、小室哲哉ファミリー、SPEED、安室奈美恵、浜崎あゆみ、倖田來未ら、Avexのプロモーションによる、レイヴ系、R&B系の「アーティスト」が多数生まれた。アイドル歌手としては、男性はジャニーズ事務所所属のグループが台頭したが、1970年代フォーマットの清純派アイドル=芸能事務所所属の女性ポップス歌手は、影が薄くなった。

そんな中、1997年8月20日収録、9月7日放送のテレビ東京「浅草橋ヤング洋品店(ASAYAN)」の中で、番組企画として、中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、福田明日香の5人からなる半素人アイドルグループが結成された。翌週、名前が「ASA」YAN出身アイドルなので「モーニング」娘となること(モーニングセットのようにお得だからという説も)、シャランQのつんく♂をプロデューサーとして、インディーズCDを手売りで5万枚売ったらメジャーデビューさせることなどが発表された。この、半素人がメジャーデビューするまでのドキュメンタリーは高視聴率を稼ぎ、モーニング娘(最初は。がなかった)は人気者になった。そして二期生として、保田圭、矢口真里、市井紗耶香が加入するが、翌年、結成メンバーの福田明日香が「卒業」してしまう。すると、その数か月後、入れ替わるように後藤真希が加入。こうしてメンバーが「卒業」したり「加入」したりしてグループが継続していくのがモーニング娘。のスタイルとなった。

これは、つんく♂が考えたものではない。実は、音楽評論家の福田一郎が、プエルトリコのアイドルグループMenudo(メヌード)を参考にしたらどうか、とサジェスチョンしたのだという。

Menudoとは、パプリカを効かせたスペイン風の「煮込み」みたいな料理で、大鍋の中の具材がなくなったら、スープはそのままに、次々と新しい具材を入れていく。

途上国のアイドルグループは、フィリピンのSEX BOMB GIRLSくらいしか知らないが、テレビ局の専属なので、ライバル局の引き抜きがあったり、青年実業家に見染められて身請けされる代わりに親戚の子が入ったりすることがよくある。それを日本のアイドルに適用してしまったのがモー娘なのだ。それで現在のメンバーは12期目となっている。

初期のモーニング娘。の勢いはすごかった。メジャーデビュー以来、シングル、アルバムとも、オリコンウイークリーは常に一桁。デビュー翌年にはNHK紅白歌合戦に出場、7枚目のシングル「LOVEマシーン」はミリオンセラーとなったし、松浦亜弥とか、プッチモニとか、派生ユニットも大ヒットを飛ばしまくった。

こうした中、元祖「素人いじり」の秋元康が再始動する。2005年、秋葉原のドン・キホーテの最上階に常打ち劇場を作り、売れないアイドルたちを「今会えるアイドル」として再編成するプロジェクトに着手したのだ。これがAKB48である。以後の歴史はみなさんの方が詳しいと思うので省略。そのあとのももクロの歴史も前に書いたので省略。これによって「アイドルの成長を、親のように見守る」という日本のアイドルファン心理が形成された。

ぼくが言いたいのは、こういうアイドルの作り方は、もはやジャパニーズスタイルと言っていいほど定着しているけれど、実は特殊なのだということである。

ジャニーズをみればわかる。少年たちをスカウトするが、レッスンを重ね、一定水準に達しなければ、ユニットのメンバーには入れず、TVにも出さない。それが普通なのであり、デビュー前の素人にレギュラー番組を持たせるという秋元康とAKBグループのプロデュース手法こそ、異常なのだということだ。

ファンを「父兄」と呼ばせるさくら学院も、露骨に「アイドルの成長を親のように見守る」ファン心理を利用したプロデュース方法をとっている。BABYMETALはそれを「世界的メタルバンドへの成長物語」に応用している。だから、一概に否定できない。

だが、それが「成長」=プロのポップス歌手としての技量向上を目指すものならいいが、大人たちが儲けるための「テレビ商品」として使い捨てるのは反則だ、と言っているのだ。つまり、ぼくのアイドルの定義とは、昔ながらの女性ポップス歌手というもので、今主流の「半素人」のことではない。

 

一方の「アーティスト」についてはどうか。

1960年代後半~70年代から、今でいうアーティストは、TV界の埒外であり、反体制・反歌謡曲という旗印を掲げていた。だが、実際には全共闘世代に神格化された岡林信康から、政治性のないよしだたくろう(当時はひらがな表記)、泉谷しげる、ユーミン(松任谷由実)、おしゃれなティンパン・アレーやアイドルとして売られたこともあるCharまで、やはりバリエーションがあった。そのうち、“下手だがカッコイイ”情念のアーティストに属するのがよしだたくろう、泉谷しげるあたりであり、“上手くてカッコイイ”に属するのがユーミン、ティンパン・アレー、Charあたりだろう。中島みゆきや長渕剛は、情念からスタートして音楽性を高めていったように思う。つまり、今と比べて、バリエーションが豊かで、誰を好きになるかも千差万別だった。

ぼくはギター少年だったから、外道、めんたんぴん、カルメン・マキ&OZ、四人囃子と洋楽HRに走ったけどね。バンド=アーティストと、アイドル=歌謡曲の違いは、やっぱり自分で作っている芸術性の高い音楽か、歌だけの歌手で、TVに出てきゃあきゃあ言わせる商業性の強い音楽かという違いだと思う。しかし、ごひいきのバンドやアーティストがTVに出るといったら大騒ぎで見た。当時からNHKはときどきそういうロックバンドが出る番組をやっていた。「BABYMETAL現象」「BABYMETAL革命」は、その伝統なのであります。

1979年~1980年代初頭のテクノブームは、70年代のHRの文脈にない音楽だったから衝撃的で、武道館までDEVOを見に行ったりもした。その一翼を担った世界のYMOの高橋幸宏のインタビューを、もう一回見てみよう。

確かにカラオケに行くと、桜の季節に合わせた卒業ソングは、アイドルからアーティストまで、異常に多い。つまり、いっぱしの顔をしているが、新しい音楽を作るという気概が感じられず、セールスばかり考えて “マーケットイン”の手法で楽曲を作るアーティストが多くなっているのではないか。

またAKBから始まる流れ、とは、ズバリ秋元康の手法を指しているだろう。

例の“バラエティを制する者は芸能界を制する”というテーゼにみられるように、今の芸能界、TV界のアイドルは、カワイイ素人っぽさや天然ボケだけがもてはやされている。

そんな中、BABYMETALの名前を出したのはなぜか。

アーティストといいながら売れセンの楽曲ばっかりの風潮を叱り、素人同然が主流のアイドル界にありながら、アイドルとメタルの融合という全く新しい音楽を作って世界で勝負しているBABYMETALを高く評価した、ということではないか。

言ってみればメタルゴッドに続き、テクノゴッドからもお墨付きをいただいたということだ。ま、YMOのプロモーションをやっていたピーター・バラカンの手前、言いにくいだろうけど。バラカンよ、いい加減自己批判せえよ。フジロック行ったろ。

アイドルであろうが、アーティストであろうがどうでもいいのだ。

YMOだって、結成時にセールス戦略を考えた。だが、その大前提として、世界で勝負する新しい音楽を作るという気概と力量があった。それは、時代に恵まれたからではない。

その証拠に、今現在、アイドルでありながら、ちゃんと歌とダンスとパフォーマンスを磨き、世界を熱狂させているBABYMETALという存在がいるではないか、ということだと思うのだ。

もう、いい加減に、素人をテレビに出すことを自己目的化し、売れなくなったら使い捨てにする秋元康=AKB48グループのプロモーションの方が異常なのだということに気づくべきだ。

歌やダンスは下手でも、かわいくて親しみやすくて頑張ってて天然。そういうアイドルがいてもいいし、そういうアイドルを好きになるのは自由だ。だが、それだけが正しい「アイドル」だなどという“洗脳”から覚めるべきだ。

音楽なんだから上手い方がカッコイイに決まっている。芸能人なんだから、歌唱力、ダンス、演技力、気の利いたことをしゃべる頭脳、すなわち才能をもった者だけが選ばれ、厳しい鍛錬や経験を経て、陽の当たる場所に上るべきだ。それこそ正統なアイドル=アーティストなのだ。

後出しじゃんけんのようで気持ちが悪いが、BABYMETALはちゃんとそれらをやってきた。こういうまともなアイドル=アーティストが出てきたから、余計、秋元康のプロデュース手法の異常性が天下にさらされているのだ。

もう、BABYMETALを「アイドルか、メタルか」などと論議するのはやめよう。BABYMETALは正統アイドルであり、新しいメタルでもあるOnly Oneの存在だ。きっぱりとこの立場に立ちきることが、ぼくたち自身の中に潜む凝り固まった価値観への、ぼくたち自身のメタル・レジスタンスなのだ。

ぼくたちはThe One、アイドルとメタルの融合=Only Oneを追求するBABYMETALのメイトだ。

目線を上げよう。