第三章 アイドル卒業(1) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

2013年3月31日、中元すず香はさくら学院を「卒業」した。
東京国際フォーラムに集まった1,500人の「父兄」の前で答辞を読む彼女は、「ヘドバンギャー!!」での気迫に満ちた表情とはまるで別人の、どこにでもいる中学3年生である。
「…BABYMETALの活動が決まっている今、卒業しても寂しくないのではとよく聞かれますが、私にとってさくら学院の歌は特別です。新曲ができるたびに一番にレコーディングブースに入り、一番に音入れをしていました。ひとつひとつの歌に思い出がありどの歌も大好きです。…もっとみんなといっしょに、さくら学院の歌を、歌っていたいです。」と語りながら、涙をこらえた。
歌の“エース”として、3年間在籍した彼女にとって、さくら学院は芸能活動の本籍地であり、本当の学校のように思えるのだろう。
この日のライブをもって「重音部」としてのBABYMETALは活動を終了した。
同日、公式サイトから、「BABYMETALは、今後、本格的に活動を開始し、バンドを帯同した“FULL METAL BAND LIVE TOUR 2013”を行う」ことが発表された。
BABYMETALは、中元の「卒業」とともに、“メタルアイドルダンスユニット”を「卒業」し、“アイドルがフロントマンのメタルバンド”へと変貌すべく、大きく舵を切ったのである。
当初、さくら学院内の「部活」=アイドルグループの派生ユニットに過ぎなかったBABYMETALだが、プロデューサーのKOBAMETALこと小林啓氏は、いつ、生バンドをつける決断をしたのだろうか。
さくら学院では、毎年1回、抜き打ちで「生徒」たちの常識を試す「年度末テスト」を行う。学年は関係なく、20点満点の同一問題だ。採点結果は、すぐに発表されるので、教室は阿鼻叫喚の巷となる。上級生が下級生より得点・順位が低いこともざらで、珍解答は全員の前で公表される。
中元すず香は、珍解答の常連であった。「力うどんには、何が入っているでしょう」という問いに「職人が力づくで練ったうどん」と答えたり、掃除用具の「ハタキ」を「ハリーさん」と答えたりしていた。SU-METALとしてステージに立つときは鬼気迫る表情をみせ、「生徒会長」としては力強いリーダーシップを発揮する彼女だが、教室では、ちょっとトンチンカンなところのある、キュートな女子中学生の一面を見せていたのである。
2012年度、「CD、DVD、BDの“D”とは、何という言葉の略でしょう」という常識問題に、中元すず香は「デロリアン」と書いた。デロリアンとは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくるスポーツカー型のタイムマシンのことだ。中元はこの時までに、さくら学院でアルバム2枚、BABYMETALとしてはキバオブアキバとのスプリットシングル、インディーズデビューシングル「ヘドバンギャー!!」の2枚をリリースしている。
なのに、コンパクト“ディスク”のことを「デロリアン」だと思っていたのだ。「Dという字を見てたら、なんかデロリアンっていう言葉が(頭の中に)パッと入ってきて…」と彼女は言い訳した。
本章では、天才SU-METALに敬意を表してタイムマシン「デロリアン」に乗って、少し時間をさかのぼり、「藪の中」風に、プロモーションサイドから2012年の動きを追ってみることにしよう。
2012年4月8日、BABYMETALは渋谷AXで行われた「第2回アイドル横丁祭り」に出演していた。
秋葉原を本店として、全国に店舗展開するアイドルグッズ専門店「アイドル横丁」のイベントで、出演者は他に、SUPER☆GIRLS、でんぱ組.inc、℃-uteなど、AKB48をキャッチアップする実力派アイドルグループが集まった。BABYMETALは当時、SU-が14歳、YUIとMOAが12歳で、出演者の中では最年少だった。
出番は四番目。ニコニコ生動画で放送された映像を見ると、フランスのニューエイジバンドeRaの「Ameno」をSEに使い、青い照明の中で登場した瞬間から、会場の空気を一変させる。ゴシック風の衣装で登場した三人のバックには、骸骨の扮装をした当てぶりの“バックバンド”がいた。初生出演となるBABY BONE、通称「骨バンド」である。
アイドルとは思えない爆音で始まった「ド・キ・ド・キ☆モーニング」、MCなしで続く「いいね!」で披露されたダンスパフォーマンスの運動量やキレは、他のアイドルグループとはまったくレベルが違っていた。
ニコ生の映像はここで切れてしまうが、最後の曲は「イジメ、ダメ、ゼッタイ」であった。この曲がメジャーデビュー曲としてリリースされるのは2013年1月9日だが、曲自体は2011年7月23日の「さくら学院2011年度転入式~New Departure」で初披露されていた。メジャーデビューに向けて、露出を控えていたのだ。
さて、このイベントは、「生バンドスペシャル」と号して、ハウスバンドが用意され、いくつかのグループが生バンド、生歌のパフォーマンスを披露した。にもかかわらず、BABYMETALは、骨バンドの当てぶりによるカラオケ音源、SU-は歌ってはいるが、PAから流れるのは録音された歌、つまり口パク(リップシンク)であった。
これは、その二日前にタワーレコード渋谷店で行われた「15分一本勝負!」(初単独ライブ)でも同じ、いわば“アイドル仕様”だ。
その代り、ダンスパフォーマンスのクオリティは群を抜いていた。
当時、アイドルファンの世界では、“巨大勢力”であるAKB48と比べて、℃-uteやSUPER☆GIRLSの方が、容姿、歌唱力、ダンスのシンクロ率において実力は上だという意見があった。また、ももクロの運動量は、“アイドル離れ”しており、それを理由として応援しているというファンも多かった。
だが、この時のBABYMETALの容姿のキュートさとダンスパフォーマンスは、こうした評価を一変させるものだった。この映像を見てBABYMETALに鞍替えしてしまったというアイドルファンは少なくない。
その一方、「真ん中の子、可憐Girl’sにいた子だろう。横の二人も可愛いし、パフォーマンスはすごいけれど、アイドルの曲じゃないな。色物をやらされているメンバーがかわいそう」という声もあった。
中元すず香の歌唱力は、歌の上手なメンバーが多いさくら学院の中でも頭一つ抜けていた。せっかくの「生バンドスペシャル」なのに、なぜ、「骨バンド」を登場させ、SU-の歌唱よりダンスパフォーマンスを優先したのか。
BABYMETALの楽曲がハード過ぎて、主催者の用意した即席ハウスバンドには無理だったという理由もあるだろう。だからわざわざ当てぶりの「骨バンド」を出して生バンドの演出をしたのだ。
だが、それよりもっと大きな理由は、小林氏がBABYMETALを“アイドルダンスユニット”として売り出そうとしていたからだと思う。
「キツネサイン」「骨バンド」など、あえて笑われることを恐れず、話題を振りまくのは、XJAPANが1980年代に「天才たけしの元気が出るテレビ」に出たのと同じ、知名度をあげるためだ。
異色の“メタルアイドル”=メタルのパロディと思われてもいい。だが、小林氏の本音は、メタル+“アイドルダンスユニット”であった。アミューズ所属のプロデューサーとして、テクノ+“アイドルダンスユニット”であるPerfumeを手本にBABYMETALプロジェクトを立ち上げたのだから、ある意味当然だろう。
BABYMETALの楽曲は“メタル風味のアイドルソング”ではない。様々なメタルバンドのサウンドをコラージュして、メタルファンにも楽しめるクオリティに仕上げた。一曲の中にさまざまな要素があり、MIKIKO仕込みのダンスパフォーマンスも、Perfumeと同じように、クオリティの高いドラマ性を持っている。
基本設定である「キツネサイン」や「○○METALデス」もやらせているし、インディーズデビュー作には「ヘドバン養成コルセット」も準備している。「骨バンド」も登場させたし、話題性は十分だ。アイドルの“常識”は、基本口パクだ。無理することはない。「アイドル横丁祭り」では、おどろおどろしい演出・楽曲・骨バンドの“設定”と可愛い容姿とキレのあるダンスパフォーマンスのギャップで、アイドルファンにメタル+“アイドルダンスユニット”BABYMETALの実力を見せつけてやろう。
当時の小林氏の心中を勝手に推測すればこうなる。
コミカルな“メタルアイドル”=パロディに見えても、実力のある“アイドルダンスユニット”なのだ。“巨大勢力”が支配するアイドル界で、それがどう評価されるのか、目に見える結果が欲しかった。