みなさん、こんにちは。
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今日は月曜日ですので、動画でお楽しみください。
【『沖縄琉球王国武士のいでたち①』坂東忠信 AJER2016.2.1(1)】
https://www.youtube.com/watch?v=5PDgUz3vHWM&feature=youtu.be&a
② は、チャンネルAJER有料枠にてご説明しておりますが、そもそも沖縄に武士はいたのか?
ほとんどの方は沖縄の武士(武士じゃなくて武人?)というと、こんなイメージを持っているのではないでしょうか?
私も大好きな歴史マンガ「花の慶次」で描かれていた首里城の武人の姿がこれ。(残念ながらパチンコになってしまいました)
マンガはマンガで良いのですが、史実として琉球の武人はこんな格好してません。
(そもそも原作は沖縄ではなく朝鮮半島で大暴れしています)
何故かと言うと、動画でお伝えしている通り、日本刀と同じ拵(こしらえ:刀の刀装品)などが多数出土し発見されているからです。
画像のような剣は出土していません。
また沖縄武士の装いについては坂東学校にてご説明しておりますが、本州側と変わらないどころか、これを積極的に取り入れ、城内で甲冑を作っていた模様。
さらに、首里城の城郭を見ると、戦闘体験ゆえの殺す気マンマンな数々の工夫が見られますよ。
首里城は丘の地形を利用して曲線を用いた凸凹を巧みに配置した縄張りとなっています。
え? 「なぜ凸凹が多いと城は強いのか」 ですか?
日本における城の最終形態である五稜郭などを見ればわかります。
この五稜郭は北海道だけでなく、長野県にもありますが、その特徴が下のリンク先のページに分かりやすく書いてあります。
城にうまく凸凹を配置すると、死角が少なくなり、凹部に城門を作ればこれを突破しようとする寄せ手を左右から挟み撃ちにできるのです。
【龍岡城五稜郭を見てきました】
http://stelo.sakura.ne.jp/paorep/usuda-tatsuoka.htm
火器類の発達した江戸末期建築の五稜郭の場合、隣の角の先に群がる寄せ手を攻撃し突入を防ぐことが出来ますが、1300年代築城の首里城は弓や鉄砲程度ながら、丘を利用し堀をめぐらして曲線の凸凹をつけているため、寄せ手もなかなか落とせなかったはず。
そうする必要が有るほど、いくさが激しかったのです。
しかも、後には「コーイザムレー」(買い侍)、つまり士分売買で武士になり搾取側に回る者が多かったとのこと。
このため、これを支える税負担が農民側を圧迫、武器を取り上げられた農民が素手や身近な武器で戦うために、唐手(⇒後に空手)が発達したわけです。
話し合いで解決していたら、沖縄には首里城も空手もなく、武具も出土しません(笑)
「戦争もなく豊かな自然に囲まれた楽園・琉球王朝に、島津家や明治政府が来て、島の平和が奪われた・・・」
・・・かのような神話を創作中の9条教団基地外部隊どもよ。
革命に失敗した反社会GGY & BBA & ホームレスどもと、偽善のブロック遊びしているヒマがあったら、県民のために、沖縄の力と均衡の歴史と現在の情勢を、真剣に考えろ。
全国からお送りいただいたブロックは没収されておりますので、いずれ基地統合縮小建設で城郭づくりに役立つことでしょう(笑)
・・・あっと、ポチ忘れにご注意を(^_^;)
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