みなさん、こんにちは。

憲法改正を必要と考える人と、容認層が増えつつあり、無関心層は世の流れに従います。


さらに96条の文字が新聞紙面に出るたびに、憲法改正は人々の注目を引き、関心が高まっていることは確か。


売国陣営は関心が高まること自体にかなりの危機感を持っていて、実現が難しい経済問題で自民党政権の足を引っ張り、議論の方向性を曲げ、その理念をくじこうとしています。


経済がうまくいくかどうかはわかりません。
ただ、内閣の顔ぶれや与党の姿勢を見る限り、世界の現況に即した憲法の改正については、今をおいて他に無いような気がします。


しかし実際に、憲法改正までにはまだ時間がかかります。


明日発生するかもしれない軍事的危機に、またすでに間接侵略されてマスコミが機能しない社会的危険に対し、実際には当面の間、現行の憲法と法律を駆使して対処するしかありません。




かつて警察官服務規程には「勤務中みだりに酒を飲まないこと」と言う一文がありました。


これを、「みだりに飲んではいけない」と言う解釈で、当時酒が欠かせない地元住民とのお付き合いをまあるく乗り切った警察官、特に地方の駐在さんたちの法解釈は、暴力革命運動全盛期にも、公私ともに地域と警察のつながりを断つことなく、地域情報連絡網を根付かせて、犯罪を抑止し治安維持につなげたのです。

(今は地元との付き合いもスタイルが変わったので、酒は厳禁)

これも法解釈の一つの手なのです。

そこで、お固い憲法にピッタリの、お堅い元刑事流柔らか法解釈で憲法前文を見てみましょう。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を
 深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、わ
 れらの安全と生存を保持しようと決意した。
 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去し
 ようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生
 存する権利を有することを確認する。」


日本が「われらの安全と生存」をゆだねるのは、「平和を愛する諸国民」です。


中国人民はこの憲法前文にある「平和を愛する諸国民」か?


彼らの「公正と信義に信頼」できるでしょうか?


あの国は「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」のか?(笑)


チベットやウイグルなどの少数民族が「ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を」求めてるじゃありませんか?


つまり中国は、交戦権を否定する現行憲法を適応すべき対象国にさえなっていないのです。


憲法制定の趣旨を示す前文が日本国憲法として各条文と一体である限り、少なくとも平和を愛さない国との防衛戦争のための軍備や戦力や交戦権は「違憲」ではなく「憲外」。

さらに25条1項の生存権に関し、同条第2項は国にこれを全ての部面において実現する努力を課しています。

第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

何故これが防衛に当てはまるのかと言うと、核ミサイルが飛んできたら、憲法に保障された国民の「健康で文化的な最低限度の生活」も、護憲派が大切にするこの憲法もろとも吹っ飛んでしまうからです。

これを防ぎ、防衛力保持と行使に根拠を与えるためには、現在日本に露骨に敵意を見せる国々が「平和を愛する諸国民」の国ではないことを明確にする判断基準が必要です。


具体的に言うなら


① 日本に到達可能なミサイルを日本に向けている

② 日本政府が根拠を認めない資料もしくは根拠のない資料によって反日教育を行っている

③ 日本の領土に関し、武力を示して領有を主張している


という三つのうちどれかに該当するなら、それは「平和を愛する諸国民」の国ではないとする「敵国条項」を作るべきで、この明確な根拠による、入国制限や軍事経済を含めたあらゆる戦争予防と工作防止が必要でしょう。


そして真に我が国の現行憲法が「平和憲法」であるならば、日本は「戦争をしない国」であるだけではなく、「戦争をさせない国」である責務があるはず。

世界は日本にそれを期待しているのですが、


・・・平和維持の責務を回避して「平和憲法」だぁあ?(笑)



反日国家出身者だけをことさら優遇するような政策が実現している現状のままでは、親日国家の国民の心が民間レベルから離れていきますよ。


どの国の誰が見ても、自国に置き換えれば文句の言えない明確な基準を作り、国を特定せずに情況を特定できる法的防衛ラインと、「これを越えれば斬る」という毅然とした構えが必要です。

それが現代の弱肉強食国際社会に即した国際化する日本の、平和の作り方でしょう。