逆に、同じ日本の統治下にあった国でも朝鮮のような「権利」が与えられなかったケースもある。

台湾である。

朝鮮が「併合」(日本と一体になること)であったのに対し、台湾は「植民地」だったので、朝鮮人ほどの権利は台湾人には与えられなかった。

創氏改名の「権利」を日本から与えられず、創氏改名に「許可」が必要だった台湾人の目線を見てみよう。

■ 黄文雄

現在の韓国人の姓名は、すでに祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。台湾で日本時代に行われた「許可制」による改名運動に比べたら、むしろ韓国人にとっては「特権」であって、非常にゆるやかなやり方だ。
ましてや「日帝」は万民平等等の原則に基づいた新戸籍制度を創設して、戸籍さえ許されなかった人口の半数近くを占める奴婢に姓氏を与えた。

さらに、「皇民化」=近代国民運動によって日本語やハングル文字を普及させただけでなく、李朝時代以来、両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・ハングル混じりの文章を体系化させ、伝統文化の研究と再興を推進したというのが、紛れもない史実だ。

「生命を奪われた」というのも、じつは史実に反している。
近代化による産業発達によって優生学的な社会改革が行われたことで、有史以来の飢餓と疫病を克服することができ、植物依存の生態系までも変えることができた。
そのため、米の生産量が一千万石から二千万石以上に倍増し、韓国の人口も倍増(1906年の980万人が1938年には2400万人に急増)した。このことを、生命を奪ったとは言わないだろう。
日本は優生学的にも人口学的にも、韓人の生命の質と量を飛躍的に向上させたのだ。

客観的に見れば、「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には「七恩」と言うべきだろう。

韓国人に「七恩」を施したから「七世報恩」(七代までも恩返しせよ)とまで、日本人がいちいち口にする必要はないが、少なくとも韓人に対して、自国史についてのより「正しい歴史認識」を日本は求めなければならない。

(『「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国』P142-143より)


※日帝三十六年の七奪(チルタル)
 韓国人が日本を糾弾するための攻撃材料を覚えやすく7つに分類したもの。
 日帝が「韓国から主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源を奪った」と主張するもので、韓国の教科書にも載っているが、“現実は”以下の通り。

・主権を奪った? → 日韓併合条約第1条で韓国皇帝が自分で天皇陛下に献上した。
・国王を奪った? → 日韓併合条約第3条で王公族として日本の皇族に準じる待遇を受けた。
・人命を奪った? → 飢餓、病死者が減り、食料生産が増え、むしろ人口が増えた。
・国語を奪った? → 日本人の税金で学校が作られ、底辺階級にまでハングルが普及した。
・姓氏を奪った? → 元名を残す自由もあり、新規に家族名を創らせ、底辺階級にも戸籍を与えた。
・土地を奪った? → 韓国政府が管理していた国有地が当然日本政府の国有地になった。
・資源を奪った? → 何もなかった。ゆえに日本が数万本も植林し、農業や産業を育てた。


また、日本が朝鮮人や台湾人の姓名や国語を奪ったとはいえないことを「中国の華化運動」や「フランスの国民運動」などの同化政策と比較して説明している。

たとえば中国(清)による漢化政策などは、台湾人から姓名を奪い漢姓(中国人っぽい名前)を下賜(上から与える)しただけでなく族譜(中国人としてのルーツのようなもの)まで押し付け、それを拒否するものには5倍以上の租庸(税金)をとって漢化(中国人化)を促したという。

日本は中国のようなことまでしなかったため、敗戦前の年代ですら日本の旧陸軍士官学校の卒業生名簿の半島出身者の名前は、日本名併記もあるが、半数近くは朝鮮名のままだったのである。

ちなみに「現在でも」中国は台湾に対してかなり強引な同化政策をとっている。

今の台湾は中国人が多く入植してきているが「台湾は、台湾人のもの」である。
だが中国は「台湾は中国の一部である」と一方的に規定し、もし台湾が独立を宣言した場合には
ミサイルを撃ち込むことを“合法”とする『反国家分裂法』を制定し、実際に軍艦などを
たびたび台湾近海に近接させるなど露骨な恫喝を行ってる。

本当の意味で苛烈な同化政策というのはこのようにやるのである。


しかし朝鮮は台湾以上に日本から権利や恩恵を与えられ、国土やインフラの開発などは日本本土の日本人の税金で賄われるという都合のいい環境だったにも関わらず現代韓国人は「日本に統治されたこと」を恨んで全ての行為を否定するばかりで与えられたものや功績を全く理解しようともしていないのである。

統治された、と言っても当時日本人だった者が日本政府に統治されるのは当然なのだが。


ちなみに先に引用した李光洙や黄文雄の著書の文中でも触れられたように実は朝鮮人というのは日本の併合以前にも何度も自ら名前を変えている。

そもそも古代朝鮮人は「阿直岐」「興首」「階伯」など、現在とは全く違う名前を使っていたのだが、まず、高麗時代に現在のものに近い中国式の名前に改名している。

その後、モンゴルが大陸の覇者になると高麗王朝は国王を筆頭に次々にモンゴル風の名前に改名してしまう。

それだけに止まらず、明が元を破り中華王国の主になった時には朝鮮人は「再び」中国式の名前に改名しているのである。

そして日本が朝鮮半島を併合統治すれば8割が日本名へ改名することとなる。
そして終戦後、朝鮮半島が日本の領土でなくなった時、また中国式に改名する。

このように歴史的にも名前の継続性に無頓着な民族であるにも関わらず「創氏改名で名前を奪われた!」と日本に対してだけ鼻息を荒くする一方で、現代の韓国人が違和感なく中国式の名前を使っているというのも不思議なものである。

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続き ⇒ 創氏改名(4)