要するに、戸籍に必要な家族名を創れという制度なのだが、だからといって金や朴といった氏族名を廃止したわけではない。

氏(家族名)を新たに作ったとしても、(田中、鈴木、長谷川、など)
姓(氏族名)を仮に日本風に改名したとしても、(金→金井、高→高田、など)
姓をそのまま朝鮮名のまま使用したとしても、(朴、李、鄭、崔、黄、など)

いずれの場合でも戸籍には旧姓・氏族名も新たな名前と一緒にそのまま記載される。

ただ単に氏族名は『国が家族単位で戸籍管理する上では使わない』だけで、氏族名は、戸籍情報の中のいわば“本籍地”のような扱いになるわけである。

生活する中で何の支障もないし、普段から呼ばれる氏族名がもしあるのなら戸籍にそれを家族名として登録してもいいし、戸籍に別の家族名を登録したとしても生活上は今までの呼び名を使い続ければいいだけである。

さらに言えば、名前の無い女性や戸籍のない白丁階級(奴隷)ならまだしも、元より氏族名や個人名を持つ両班階級(貴族)であれば話はもっと簡単だ。

仮に家族名を登録するのが面倒で“届け出をしなかったとしても”、それまで使っていた姓である金や朴や李などの氏族名がそのまま自動的に氏(家族名)として戸籍に登録されたのである。

現代の韓国人のほとんどが『元両班階級の良家の出身』だと“自称”するのだからたいした変化は無かったはずなのだが、韓国人の多くが創氏改名に食ってかかるのはおかしな話だといえるだろう。

これだけ見ても日帝が朝鮮民族の名前を抹殺する意図がなかったのは明白である。
そもそも今までの朝鮮名を「日本名に無理矢理変えさせたい」のだとしたらなにも届け出の期限を「半年間」に限定する必要など無いのだが。

つまり彼らが怒りに燃えて叫ぶ「日帝が名前を奪った!」という言葉は事実誤認であり、当時の日本国民である朝鮮人にも日本風の名前を使うチャンス・権利を与えただけ。

『強制性』があったのは「新しい戸籍制度への移行」と「それまで持っていなかった家族名を“新たに持つこと”」だけだったのである。


「創氏」については以上のように“新しい戸籍システムへの移行においては強制”であったが、何も奪っていない。

残る「改名」についてはもっと簡単だ。

改名は任意、つまり自由であった。
日本風の家族名に合わせての改名、今後日本人として生きていくのに便利であろう、と「改名の許可」が出された。それだけの話である。

(カルフォルニア共和国がアメリカに併合されてアメリカ合衆国カルフォルニア州として現在も存続しているのと同様に、当時は日本の敗戦など誰も予想しなかったので、その後彼らが永遠に日本国民として生きるための配慮、という意味があった)


仮に元の朝鮮名をそのまま使わないことを選択し、家族名だけ日本風に変更したとして、たとえば「田中ヨンジュン」や「鈴木ジョンイル」では違和感があるだろうし、中国人から差別を受けるかもしれないという統治者側からの配慮であり、それでも構わないのであればその名前を使えばいいが、「太郎」や「花子」などの日本風の個人名に変えるのも“自分で申請さえすれば”自由、という制度である。


ちなみに改名が任意であった証拠を探すのは容易い。
実際に20%ほどの朝鮮人が朝鮮名のまま改名しないことを選択しているからだ。
もちろん名前を変えなかったからといって制度上の不利益はない。

たとえば白洪錫少将のように朝鮮名のままで日本軍の将軍職を務めた朝鮮人もいたし、金錫源少佐のように朝鮮名のまま活躍して金鵄勲章(当時の軍人最高勲章)を受賞した朝鮮人もいたのである。

洪思翊将軍(中将)などは指揮官になった時に部下となる日本兵の前で、「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により指揮をとる。異義のあるものは申し出よ」と訓示したという。

つまり朝鮮名のままでも完全に日本国民(日本軍人)としての権利を享受していたのである。

これは同時に、「統治される側の国民」が『国軍(日本軍)』に入隊できるだけでなく、出世して、地位を得たそれらの者が、宗主国民である日本兵を指揮する立場になることもできたという事実であり、「欧米諸国の苛烈な植民地統治」と「日本の植民地・併合統治」では制度や理念が根底から全く違うことの証明といえるだろう。


また、彼らとは逆に、自ら創氏改名することを選んだ朝鮮の有名人もいる。
韓国の民族的作家で、朝鮮近代文学の父とも言われる李光洙(イ・グヮンス)である。

彼は「香山」と創氏し、名を「光郎」と改名した。

■ 李光洙(イ・グヮンス)

「私はよくよく我が子孫と朝鮮民族の将来を考えたあげくに、こうするのが当然だという堅い信念に到達したのである。日本人との差別がなくなること以外に朝鮮人は何を望むだろうか。
したがって差別の除去のために、あらゆる努力を注ぐことが、最も重大にして緊急なこととなる。
われわれの在来の姓名は、支那を崇拝した先祖の遺物である。
永郎、述郎、官昌郎、初郎、所回(巌)、伊宗、居漆夫、黒歯このようなものが、古代のわれわれ先祖の名前であった。
徐羅伐、達久火、斉次巴衣、ホルゴ、オンネこういったものが、昔の地名であった。
そのような地名と人名を支那式に統一したのは、わずか六、七百年前のことだ。すでにわれわれは日本帝国の臣民である。
支那人と混同される姓名を持つよりも、日本人と混同される氏名を持つ方が、より自然なことだと信ずる。


「内鮮一体を国家が朝鮮人に許した。
故に、内鮮一体運動を行わなければならないのは、朝鮮人自身である。
朝鮮人が内地人と差別がなくなる以外に、何を望むことがあろうか。
したがって差別を除去するためにあらゆる努力をすることの他に、何の重大でかつ緊急なことがあるだろうか。姓名三字をなおすのも、その努力の中の一つならば、なんの未練もない。喜ぶべきことではないか。
私はこのような信念で、香山という氏を創設したのである。これから徐々にわが朝鮮人の氏名が国語で呼ばれる機会が多くなって行くだろう。
そのような時に李光洙よりも香山光郎の方がはるかに便利だ。
又満州や東京大阪等に住んでいる同胞が、日本式の名をもつことは、実生活の上で、多くの便宜をもつだろう。

 
             (毎日新報コラム『創氏と私』より)

※内地……朝鮮から見た日本本土のこと。

香山光郎こと李光洙は朝鮮の有名人だったので、
当然ながら総督府は彼の言葉を朝鮮人への宣伝に活用した。

このようにして創氏改名は朝鮮人自らの意思で行われることとなったのである。

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続き ⇒ 創氏改名(3)