愛するジャン君へ | ジャンママのフレブル日記

ジャンママのフレブル日記

フレブルのボブは2016年8/3午後10:50に桃太郎は2018年9/2に2020年12/19に音姫が天国に旅立ってしまいました。今は飼育放棄のシーズーの亜矢音と鎌倉で海と山との自然に囲まれて暮らすジャンママ。そして、間質性肺炎 膠原病・リウマチ・皮膚筋炎・シェーグレン闘病記!

ジャン ジャン



(昨年の日記・9月23日)

今日はジャンが亡くなって2年がたちました。
ジャンのお話をします。

あの子は私の誇りです!!

ジャンは1歳半のときに私のところに来ました。
飼い主の家庭の事情でした。
離婚し、旦那さんが引き取るはずのジャンでしたが、
旦那さんの両親が
「そんな犬、早く保健所つれてきなさいよ」
の一言で、奥さんが引き取りました。
奥さんはお母さんが末期の癌、子供2人を引き取り、
とても犬を変える状況にありませんでした。
そこで、私のところに電話があり、飼ってくれないか!
といわれ、即OKで、すぐに引き取りました。
旦那さんには少しでも吠えたり怖くて唸ったりすれば、
足で壁にぶつけられるぐらいの勢いで、蹴られていたそうです。

その子を育てるのは1歳半にもなったジャンは大変でした。

でもそれでも私にとっては大事な子。
譲り受けたことへの責任もあったし。

そのころ私は鎌倉で独り暮らしをしていました。
毎日帰りも遅いのに、一人暮らしの私をじっと家で待って
くれていたジャンは、私には天使に見えました。
どんなに疲れていても、それがうそのように吹っ飛ぶ・・。
この子は私の宝物・・・。そう思って飼っていました。

でも、やはり私に対しての依存が大きかったのでしょう。
今の旦那が現れて、
自分の地位がどこにあるのかわからず、旦那にはむかい、
唸り声で脅すこともありました。
私にも怒りがあったのでしょう。
怒ったりすると、唸り、震え、涙をためて・・・。
どうしていいかわからず、あるドッグトレーナーに電話で
きいてみたら、
「ブン殴るのが一番いい」といわれました。
?????と思いましたが、私は思い切り殴ったことが
ありました。
そのとき、噛みつかれ、手を6針縫いました。
そのとき、
「殴るなんてなんてひどいことをしたんだろう」
と悔やみました。
そしてもう二度と手をあげないことにしよう・・・。
と心に誓いました。

それでもジャンは、私、一人でいるときはいつもくっつ
いて離れなくて どんなときでもそこにいても
「ジャン」と呼べば、私のところにすっ飛んでくる子でした。

私はある仕事で、心の病気になり、仕事を休むことになり、
2年近く、会社を休みました。
その間、ずっとそばにいてくれたのはジャンでした。
私が不安で夜眠れないと、同じベッドで私の顔をぺろぺろ
舐めてくれたり、すりよってきたり。
私の眠るまで、枕元にいてくれたりもしました。
そのとき、私は犬の飼えるマンションの世田谷に引っ越し
ていました。

旦那がそのころ会った人です。
世田谷のマンションの値段はかなり私の休職中のもらえる
金額の大きな比重を占めました。
そこで、旦那が、2年前の6月にこの家がリフォーム完成を
期に、こっちにおいで!と言ってくれました。
家賃もかからずに犬と生活できるということと、彼なりの
プロポーズだったのだと思います。

もちろんすぐにOKしました。

ジャンをつれて、鎌倉に帰ってきて、2ヶ月を過ぎたころです。

忘れもしない9月7日の夜です。

お散歩も大好きなジャンが帰ってくると、腰がガクッと落ちる
ようになり、その後、歩行が困難になりました。
その日、病院に連れて行き、診察の結果、ヘルニアである
ことがわかり、少しの間、注射をうつことになり、次の日も
病院に行きました。

帰ってきて、ご飯を食べていると、ジャンが痙攣を起こして
いて、失禁・震え・口から泡を吐いている状態が1分ぐらい
続きました。

最初、病院での注射のせいだと思いましたが、すぐに病院に
車で運び、何を注射したのかなどすべて聞きました。
ほかの病院にも電話し、その状態でその薬をうってもそういう
症状が起こるのか?
など聞きまくりました。
あるいみその病院を疑ったということです。

どの病院でも
「適切な判断です」
「あそこの先生は動物病院の先生の先生ですよ。
 安心して任せてだいじょうぶです」
とまでいわれ、その病院にすべてを託しました。

でも、その晩、大きな発作を起こし、夜中に電話がなり、
「今すぐ来てください」といわれてすぐに行きました。


もうジャンは意識も無く、呼吸も止まっていました。
人工呼吸器で呼吸をしている状態・・・唖然としました・・・、
あんなに元気だったのに・・・。

一時間ほどしたころ、先生が、
「こちらにお入りになってください」
とジャンのいる診察室に通されました。
「話しかけてあげてください」といわれ、
「ジャン」と何度も呼びました。

すると奇跡が起こりました。自発呼吸をしはじめたのです!
「もしかすると、だいじょうぶかもしれないな!」
どんどん、呼吸ができるようになり、先生も徹夜してみて
くれるとの事だったので、家に帰されました。

そこから一週間したころでしょうか。
ジャンの意識が戻りました。

そして、見る見る回復し、家に連れてかえっていいですよ!
といわれ、一度家に帰ってきました。

最初の2日間はとても元気でまるで子供の戻ったように
甘え、そして遊び、とても楽しく過ごしました。
でもその後また小さな発作を起こしました。
テンカンでいう神経運動発作という小さな発作です。
その後2日家ですごし、4日目の朝、大きな発作を起こし、
そのまま意識が戻らず、4日後、23日と24日になる
深夜12時に亡くなりました。 ちょうど今ぐらいの時間になるかな・・・。

電話が鳴ったときには覚悟はできていました。
でも、悲しみは大きかったです。

病院に駆けつけ、まだ暖かいジャンの体をさわり、
涙も止まらず、どうしていいのかわからない状態でした。

でも、あの子はお別れを言いに一度戻ってきたのです。
そんなやさしい子なんです。

先生によると、脳に腫瘍があったのでしょう・・・
との事でした。
それがテンカン発作を引き起こしていた原因ではないか。
ということでした。

お彼岸の中日になくなったジャンはそれがその子の寿命
だったのだと思います。
きっと私が鎌倉でこれから幸せに暮らしていけると核心した
のだと思います。

そして安心して天国に逝ったのです。

だから、あの子にはつらいおもいばかりさせてしまったけれど、
でも私に大きな愛をくれた・・・。いっぱいいっぱい。
だから私の犬の旦那さんです。

遺骨は埋葬せず、家にあります。
私のお墓に入れてくれるように旦那にも頼んであります。
ずっと一緒にいたいと思います。
あの子、幸せだったかな・・・。
そう思ってくれて旅だってくれたのを祈り、毎日、お線香と
お花を欠かさずにいます。

今日はおはぎと、大好きだった野菜のボイル、ジャンのお棺入れた
白のカーネーション「千目紅」というお花を買ってジャンに
お供えしました。

ジャン、千目紅の花言葉、知ってる?
「変わらぬ愛」「朽ちぬ心」「永遠の恋」
っていうんだよ。
ねえちゃんの心のようだね!

                            
故 ジャン(6歳3ヶ月)