[第57回ひよこ塾] ダーツのラインはあるのか?見えるものなのか? [OE] | 逆手のじゃっくばうあー

逆手のじゃっくばうあー

逆手で投げるダーツ成長記
 ブログというか、要はダーツの成長過程で感じたことを思い出すための『俺様メモ』なわけです


ダーツのラインは青色です


なんつって


ダーツのラインは、
ある と言うのか
ない と言うのか

見える と言うのか
んなもん見えるわけない と言うのか


 さて、俺はなんて言うと思います?





ここから本文

(人知れず更新します ぇ)


更新遅れてすみませんです
何度も見に来て頂いてありがとうございました

多くのコメントにも感謝です




さてさて、
ダーツの上達過程に於いて、
ライン”というワードはよく耳にします

ダーツを始めたばかりの人から、
上級者やベテランの方まで、
広くこのワードは使われているようです


俺個人としても、ダーツに携わるようになって、
ライン”というワードを至るところで耳にし、
ライン”とはなんぞや?
と何度も考えたことがあります


結論から言うと、
“ライン”は、
個人やそのダーツレベルによって解釈が異なる

ということに気づきました

中級者以下の方は、
この“ライン”というワードを使いたがる傾向もあるようです
なぜこのレベルの方々に頻繁にこのワードが用いられるのか

それは、
ライン”というものの定義がはっきりとしていないために、
模索状態の方ほど色々と考え、
更には深読みをしてしまうからだと考えられます


上級者の方ほど、
このラインについて多くを語りません
それは、
実際に存在をする“何か”でもないものを、
アレコレ難しく考え時間を無駄にするよりも、
実体験に基づいた、確たる“結果”を優先するためです

実体験とは、
これまでに自分自身が試みたこと
確たるとは、
1+1=2であること
結果とは、
それが数値レベルなどに反映をされ、
再現性の高いものとなっていること


逆手のブログ、特に、ひよこ塾では、
1+1=2の考え方を基準としています
それはなぜかというと、
物事の上達過程に、曖昧な結果も受け入れるとしてしまうと、
そこに“迷い”が出てしまうからです

なので、
答え”“結果”等の最終的な“何か”を、
一つに絞り、先ずは確実にその領域に踏み込む
そして、検証をし、進路を見極める
という流れにしています


多くの向上心溢れる未熟なダーター達は、
“答えは一つではない!”
と、個性や、オリジナルティ、
または、
取捨選択”を盾に、
一つの方向へと向かえなく自らしてしまう傾向にあります

もちろん、
その突き進む“”がその人にとって正解とは限りません
なので“恐い”“危ない”そういった面もあるわけです

これらを踏まえて、どういった進路を取るのか、
その判断こそが、上達の“センス”になると考えています

馬鹿になるほどダーツに没頭を出来、
いつか気づいた時、上手くなっていた
そういった方は、生まれ持った“何か”があるのだと思います

しかし、
多くの方はそうではない
だからこそ、
馬鹿になれる“何か”が必要になる
それを導いているのが、
1+1=2
ということになります




“ライン”に戻ります



ラインは、“見える”のか“見えない”のか

自身の“”“肉眼”で見えるのか?
そう質問を変えた時、
これは、“見えない”はずです

はず”にしたのは、
もしかしたら、肉眼で見える宇宙人体質の方は居ないとは言い切れないので

少なくも、俺には見えません


ラインは、“ある”のか“ない”のか

ある”を、物体として捉えた時、
つまり、
具体的な形をもって空間に存在をしている“モノ”として考えた場合、
これは、
ない”と結論付けてよいと思うわけです

ダーツボードと、プレイヤーの間に、
その物体として捉えた何かがあってはならないのは、
ダーツのルール上でも当たり前とされているのではないでしょうか

そういった定義やルールがあるかは知りません
仮に、物体有りでもルールに問題は無いとした場合、
それはそれで多くの問題が出そうですので考えからは排除しました




なにか至極当たり前のような結論になりました
しかしこれが現実です
ダーツ上達の秘訣は、
現実を早く受け入れ、身になることを実践していくこと
です



以上になります


これに物足りなく感じた方は、

この後の、
逆手のブログ流、
つまり、俺的思考も書いておきました

共感をされるもヨシ
実践をされるもヨシ
引き出しの奥に仕舞うのも
違った見解を持つも
すべてヨシです

一番大切なのは、“結果”です



[続きに興味のある方はこちら