[第60回ひよこ塾] ビジョントレーニング [OE] | 逆手のじゃっくばうあー

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逆手で投げるダーツ成長記
 ブログというか、要はダーツの成長過程で感じたことを思い出すための『俺様メモ』なわけです



ビジョントレーニング
(視覚に関する脳機能を鍛えること)

動体視力





動体視力についてわかりやすく書いてあるサイトがありました
http://www.mizuno.co.jp/card/report/no017/no17.html

2種類の動体視力について書いてあります


「動体視力」には2つの能力があります。
直線的に前方から近接する目標を確認できる能力のこと(KVA:kinetic Visual acuity)と、左右に動くものを認知する能力(DVA:dynamic visual acuity)です。





また、こちらも参考になります
http://www.afin-sports.com/kinetic/index.html

動体視力の定義

動的に変化する状況を、速く正確に見分けて判断する能力。
視野・眼球運動・認知・判断・反射神経などの能力を駆使して発揮する視機能の一つ。



脳の2種類の処理能力
脳の情報処理能力は大きく分けて言語性と非言語性(動作性)との2種類があります。例えば、記憶処理だと、前者は単語や公式などのように言語として記憶する能力で、後者は空間的な位置関係や風景などを言語にせずに感覚的に記憶する能力です。現在の学校教育では前者の処理能力に偏った学習法が指導されていますが、実は後者の処理能力も人間の日常生活や仕事、スポーツには大変重要な役割を担っており、この両方のバランスがとても重要なのです。



視覚情報の同時並行処理
目から入った視覚情報は脳で処理されます。つまり、脳の情報処理能力が高くなければ、とっさの判断や反応は速くなりません。ずばり、天才といわれる人の多くは、視覚情報の処理能力が高く、複数の視覚情報を同時並行的に処理できるのです。
例えば、野球やサッカー、テニス、バスケットボールなどで優れたスポーツ選手は、ボールを目で追いながらも、同時に周囲の状況を正確にとらえて的確に状況判断できます。スポーツに限らず車の運転や仕事でも、優れた人たちは、複数の状況を同時に見て判断し行動することができます。



私たちが生きていくうえで、自分自身が動き続ける限り、周りの風景全ては動画(動体)として目に映ります。日常生活においても、静止した状況をじっくり見るという状況はむしろ少ないわけで、特に車やバイクの運転中や歩行中、とっさの状況に反応するためには、まさに動体視力が必要です。
さて、よく仕事やスポーツの現場では、指導者が部下や選手に向かって「どこを見ているんだ、しっかり見ろ!」などと叱っています。しかし、聞いた方はその言葉だけでは、どうしたら良いのかわかりません。実は、「見る」にはそれなりの技術が必要なのです。特に目まぐるしく変化する動的な状況を見て判断するためには、見るべきポイントへの意識の集中させ方、眼球の動かし方、視野のコントロールなどをはじめ、記憶や予測など様々なものが必要です。





なぜこのような参考資料を持ち出したかというと、
ダーツに於ける“ライン
を知る上で最も必要だと考えている部分がこれらにあたるからです


次は、俺のコトバで綴ってみます


ダーツについては、
俺のレベルで大きく語るほどスキルがあるわけでもなく、
俺が書いてきた“結果”を認められる方々のみに、
そのコトバが伝わっているのだと感じています


そこで、
俺がこのダーツ上達に向かった際、
これまでに自分が経験をしてきたノウハウ、
上達に役立つ“要素”をピックアップしました


他人(一般レベルの人)よりも、
効率よく“何か”を上達するために、
何が”その大きな要因になっていたのか


それは、“”です

見る目
観察をする目
判断をする目
記憶をする目

”の役割はとても大きいということ


ダーツの上達に関して、
多くのダーツブロガーの方々は、
身体の使い方や、
その身体が思い通りに動くかどうか、
入るダーツの良いイメージの作り方、
この辺の部分を特別に取り上げ、
また、
それについて、
上達についての必要な時間の多くを費やしているようでした

しかし、
その“動き”や“考え”の根源となる部分は、
”で見た“何か”から成り立っていく
ということを忘れてはいけないはずです

なので、
先ずは“目”を理解することと考えました


ライン”についての話はいつになるの?
と、読んでいて感じている方も多いと思いますけれど、
ライン”を簡単な説明で終わらせられるものではない
ということもあり、
エントリー更新に間が空きましたので、
ここは丁寧な説明を心掛けじっくりとタイプしていきます
興味のある方はもうしばらく辛抱です



1)
器用と呼ばれて山アリ谷アリ
http://ameblo.jp/jackdarts/entry-10299016463.html


以前のエントリーです
このエントリーは、
俺にとって、ダーツの上達に大きく影響をした部分なんです
なので、
本当にダーツが上手くなりたい、
平均レベル以上のダーツは投げたい、
せめて、下手のレベルからは脱したい、
そんな方に共感をしてもらいたかったエントリーでした

しかし、
あまりというか、
ほとんどの方に興味を持ってもらえないという結果

それはそれで構わなかったんですね
なぜか?
これ、2009年7月13日のエントリー
つまり、
俺が逆手でのトライに頑張り始めの頃だったので、
他人様のことなどどうでもよかったのです

自分が“結果”を残せられればそれでヨシな状態ということです
自分に必要なこと
ダーツ上達に必要なこと
それを考えた結果のエントリー
というわけです


で、このことから何がわかるかというと、

イメージ作りの方法”です


次、2)

若かりし頃、
バイクに夢中でした

バイクといっても、
現代でいえば、motoGPのようなレース仕様のバイクです
市販レプリカのバイクを買って、
そのバイクで奥多摩や、近辺の峠に頻繁に走りに行ったものです
ここに書きました
Wayne Rainey / Marlboro
http://ameblo.jp/jackdarts/entry-10387669234.html


次、3)


一応、今も現役なはずですけれど、
もうかれこれ十年近くスノーボードのレースをしています
こんな感じです
ホワイトワールド尾瀬岩鞍スキー場[SNOWBOARDS]
http://ameblo.jp/jackdarts/entry-10484299691.html


他にも結構多くのスポーツをやってきた気がしますけれど、
これ以上引っ張るのもアレなので省略




さて、何が言いたいのかというと、
これらのスポーツでの上達の“”になったものが、
”“動体視力”の意識だったのです



1)の縦列駐車からのヒントは、
車両を目的の場所に配置をする過程に必要な、
現実にはまだ無い、その位置までへのイメージ力

車両の動きの変化に注目をする
ハンドルをどちらかに回すことで、
車両は、それに合わせ移動開始をする
車両に動きがあるということは、
付近の景色との“差”が生まれる
その“差”がどう変化をしていくのか、
それに伴ってハンドルの新たなる操作が必要になる

よく、縦列駐車が苦手、下手と言われる人々は、
その“動きの変化”に対応が出来ていない
若しくは、“その変化の意識がない”という場合が多々です
目標に対して、
ある一点の“”となる部分に気づくことが出来るようになれば、
縦列駐車も然程難しい技術とはならない
ある一点”を理解出来ていない人に共通をする部分、
それは、見るべきポイントの把握が出来ていないということ
なので、
サイドミラーを見たり、ルームミラーを見たり、
挙句、後ろを振り返って目視をしたりと動きが慌しくなってしまう

これは、
駐車場から本線に出ようとする際の、
左右の確認にも同じことがいえます
要点”を把握出来ていない人は、
右を見て、左を見て、また右を見て、
そして左を見て、また右を見て、
そう、中々本線に出ることが出来ず、
首を左右に振ることの方が多くなり、
本線に出るタイミングをいつまでも計れない
縦列駐車が難しいとしてしまう方々と同じ特徴があります
これについての解決策は簡単です
目標を一時的に決め、その目標となる車両の距離感や速度を、
いち早く把握をすること
どの車間に自分が入りたいのか、予め想定をし、
そのタイミングが左右の車線を行き来する車両とのタイミングがマッチすれば、
それは、自らの車両を安全に進めることが出来るということ
もしも、そのタイミングがズレた場合は、
改めて、その流れの把握に努める
それだけで、挙動不審なドライバーにはならないで済むということになります


2)バイクでの“”の使い方

実はこれ、
このブログを書くにあたり書きたかったことの一つでした

ここでは“バイク”としていますけれど、
これは“”でも同じことが言えます
日常との違う点としては、
スピード”と“生死”です


A君は、自動車免許を取りたくて教習所に通います
日は経ち、仮免許まで取れました
路上教習に向かいます
A君は感じました
同じ道路、同じ標識、同じ車両
でも、
教習所の中で車を走らせているのとは全く感覚が違う
恐い

見えているはずの標識や信号に目が追いつかない
周りの車両がもの凄い勢いで自分の車を抜いていく
車線変更も、車を道路脇に停止をさせるのも困難
A君に見える視界はただ一点
フロントガラスに映る正面のみだった

時は経ち、
A君もベテランドライバーの仲間入りだ
数年、十数年と車を運転してきた
今では、運転の合間にカーナビに目をやることも余裕
歩道を歩く可愛い女の子にも目をやれる
高速道路を走れば、前をゆくノロノロ運転の車を抜き去りたくなったり
今では、アクセルやブレーキの感覚にドキドキしたりはしない
曲がりたいところで曲がり、
止まりたい時に止まれる
脱輪?ああそんなミスするやつ居たなぁと遠い目をしてみる

A君は、どうしてそんな余裕の運転レベルに至ったのか

ダーツの上達を謳っている方々で、
未だ自らの目標に達せずにいる人が存在をしてしまうのはなぜなんだろうか

ダーツと車の運転では違う
そう言ってしまえばそれまでです

ダーツは難しい
車の運転は誰にでも出来る
そう結論付けますか?


バイクで峠を攻めていた時期があると書きました
今思うと、いや、普通の感覚であると、
いやいや、道路交通法というものがあってです
本来あってはならない行為
若い頃には一部、そういった過ちを犯す層が居ます
その当時の俺です
反省という意味で書いておきました

峠をバイクや車、そういった乗り物で攻める
どこに魅力を感じて行為に及ぶと思いますか?

バイクでは、
TZR250という今ではもう売ることの出来なくなった2ストロークの二輪
車では、FC3Sという、所謂、RX-7でした
これらで峠を走るという行為は、
日常では味わえない刺激、
アドレナリン全開で体中が麻痺した状態になります
日常に甘んじている限りは体験の出来ないゾーンのようなものがあるんですね
※ それを推奨するものではありません

その中で、
手足のように操れるマシン(車やバイク)、
曲がりくねる道路、
その場所を、テレビなどの映像で見た、
プロのドライバーやライダー達のように、
美しく、刺激的に、かっこよく、
そう自分があるように重ねて、
がむしゃらに走りました

刺激や憧れだけを胸に、その行為に及べば、
その“結果”“”が待っている

”は自分だけに与えられるものではなく、
全く関係のない方々にまで及ぶ

毎回“覚悟”が必要でした


短い直線道路で、出来るだけアクセルを開け、
迫るコーナー(カーブ)にダイブする
車やバイクというものは、
路面とのμ(ミュー:摩擦係数)に大きく左右をされ、
その限界が来ると、タイヤはグリップを失い、
路面からは見放される

プロのドライバーやライダー達は、
この限界に挑戦をし、
そのチャレンジャー達の中でのトップを目指す
素人・一般の愚かな一部の人々は、
それに憧れ真似をしてしまう

ここで話したいことは、
その限界に挑戦をするにあたり、
ライダーやドライバーの視界に映る“景色”、
これが最も重要になる点です

つまり、
“イメージ”

直線の道路上で、いくらスピードを上げたところで、
直進ということに反しなければ、そこに大きな危険はありません
しかし、
そこから、新たな“変化”を行う場合には、
予め、強い“イメージ”をもって望まなければならない
その、イメージが“弱い”“自信のない”状態では、
待ち受けるものの最終は“”です

そこで、
ライダーやドライバーは何を意識するかという話しになります
他人よりも速く走る
他人よりも速く曲がる
そして、自分の命を守るために、
何を“意識”するのか

それは“ライン


実際には、あることのない“ライン
それを見る
見ることが出来る



3)スノーボードのレースについて書きました

ここでは、タイムアタックといったカテゴリーではなく、
複数人でのバトルを指します

もちろんこれは、バトルに限らず、
一人でトライをするタイムアタック形式のものでも当てはまる部分は多々あります


レースでは、旗門というものを、道路でいえばカーブの部分に見立て行われます
ご存知の方も多いでしょうけれど、
アルペンスキーなど国際大会のテレビ映像にあるような、
旗に当たりながら、そこをスラロームのように滑り降りていくものです

この時、ただ闇雲に旗門を目掛けて突っ込んでいくと、
理想のライン取りが出来ず、
結果、コースアウトという事態になってしまいます

ライン”というコトバが出ました

スノーボーダーやスキーヤーは、
何を“ライン”と呼んだのでしょう


ライン
それは、
理想の姿
理想のイメージ
そこに正解としてなければならないもの



単独で滑走をするタイムアタック的なものであると、
次々と現われる旗門をベストの形で自分なりのラインイメージ作りが出来る

この旗門では、この位置から進入をしなければならない
あの旗門では、次の旗門に備えて、この角度
ラス前の旗門では、脱出スピードを上げるためにロスにならない位置からの進入
等と、自分の滑りに合わせた“ライン”作りをしていく

複数人滑走である“ボーダークロス”“スキークロス”のような場合は、
単独滑走のような自由な“ライン取り”が出来なくなる

それは、
誰もがベストのラインを滑走しようとするからです
同じレベルの速い連中が、一目散にベストライン進入を試みる
そこは混戦・混乱状態となり、
結果、ベストラインから外れる者も居れば、
ベストラインを守るために戦略的に後ろに付ける場合もある


さて、
この時の戦略として、自分のイメージとして、
そのポイントをどう滑り抜けるのか
そうプラン立てをした時に、
一番大切になるのは、
ライン”をどうイメージしてくのかということになります

ラインは見えるのか

自分が、数秒、コンマ数秒“”にそこに存在をするイメージ

ベストと考えたラインを、自分が滑った場合の“結果”イメージ
それが成功のパターンであるならば、“結果”は“成功”のイメージとなり、
それが失敗のパターンであるならば、“結果”は“修正”をしなければならないものとなる


ラインイメージ作りは、
大きく分けると二つのパターンがあります

一つ目は、
そのコースのレイアウトを事前に考え作成をする静的なケース

二つ目は、
実際に滑走をしている最中に臨機応変に作成をする動的なケース

静的な場合であると、
実際にそのコースレイアウト図面を見ながらこう滑ることがベストと、
自分なりに複数のプランからのチョイスが出来る
また、
図面の実物が無くとも、“頭の中”で、そのイメージを作り出すことも出来る
これは、
滑走をしていない時全般から実際にスタートゲートに立つまで行われ、
考える時間は存分にあります

動的な場合、
これは、前述のパターンとは全く異なり、
考える”“イメージ”を作る等のことに余裕が無くなる
つまり、
瞬時にベストラインイメージを判断し、
行動に移さなければならないということになる


そこに、自分が滑っているイメージ
ほんの数秒後に居るイメージ
そこになければならない“モノ

これを、“意図的”に作り出す
これが、考え出された“イメージ”であって、
そのイメージの“流れ”を“ライン”と呼ぶ




みなさんは、
自分の身に“”“恐怖”などの危険な状態に遭遇したことはありませんか

その際、
今起こっている出来事が、
ゆっくりと、コマ送りのような状態になることはないでしょうか


この時、
”は、通常の時の流れとは別に、
独自のタイム感を持ち始めるわけです

オカルトチックではありますけれど、
これは、体感をした方であれば意外と納得の出来るものだと思います

人間は、“危険”を感じた際に、
自分の身を守るための最大限・最善の“思考”“行動”をしようとします

そこには、日常に無い、
強烈な“イメージ作り”が行われ、
危険からの回避を試みようとする


何かの“事故”に遭遇をした際、
あああああぁああぁぁーと、
何も出来ないままにその事故に合ってしまう方は、
その回避能力が足りないともいえます

イメージ作り”が出来ていなく、
その出来事に呑まれてしまった結果ということ

反対に、
その一瞬に、何かの思考・行動に移せて、
結果”はどうであれ、“もがいた”人間は、
結果”を選ぶことが出来るというわけです


人間は、
そういった“危機”的状況で、思わぬ“能力”“才能”を発揮します

それは、
”か“”のチョイスがあるから当然ですね
誰もが自分の身を守りたいわけですから




さてさて、

では、ダーツのラインも、
危機”的状況に置けば、
強いイメージとして作成が出来るのかという話になるのか


実際のところそこまで考え真剣にダーツに取り組める人は居ない

ダーツは所詮遊びであって、
そのハッピーは楽しさの中でダーツが上手くなれば良いと考える人が大半です

ダーツを失えば
ダーツをプレイする上での身体的ハンデを負って、
好きなダーツをやれなくなる
そこまでにダーツを愛した人であれば、
その“”の大切さを十分理解が出来ているはず


なぜ、“ライン”が必要なのか
なぜ、“ライン”が見えるようになるのか


それは、
それが“必要”とされるからの“結果”なのです



必要”としていない者には、
それは見えることもなければ、
いつか現われるものでもない


ダーツに於ける“ライン”とは、
”でもなければ、
”でもない

ラインは、ダーツそのもの
飛び行くダーツがラインとなる


目標地点への過程、
目標地点にどうダーツが到達をすれば良いのか
それは、動画の“コマ送り”のようにも映り、
いつでも、プレイヤーによってコントロールや修正が可能なもの

人は、ダーツの軌道を、
直線っぽく”や“放物線状”などと表現をし、
その会話の中に盛り込んでいます

しかし、
実際に、プレイヤー本人に“ライン”を見る意識があり、
ライン”がどういったものなのか理解をした者であるなら、
そのような抽象的な表現は用いられません
用いる必要がないからです
なぜなら、
己のダーツの軌道は、己にしか再現を出来ないことであり、
理想”の“ライン”は、プレイヤーの個々が作り出すものであるからです



見ようとしないものは、
一生かかっても見ることは出来ないですし、
それを手に入れることも出来ません


先ずは、
自分のダーツがどんなものであるかを理解すること
自分のダーツがどう飛んでいるのかよく見ること
自分はどうダーツを飛ばし目標に近づけたいのか考え強く意識すること



バイクや車、
スキーやスノーボード、
危険”や“”があるものは、
人間(動物)である以上、身を守るために、
必要な情報や、生き延びるための手段を身に付けて行きます

では、
ダーツも同じように考え、
危険と隣り合わせの意識を常に持て
と言っても、それは無理があります

ちなみに、
俺は、短期間という目標を立て、
その間に、ダーツのそこそこのレベルに到達をするとしました
なので、
恐らく、ダーツを楽しみながら上手くなろうとしている人達よりも、
かなりのレベルで緊張感を持って取り組んでいたと思います
1本のダーツを“見る”“見続ける”という行為は、
他の誰にも負けないほどに強く意識をしてきました
それ故の“結果
だったというのが説明として納得の出来るところではないでしょうか


問題は、
俺のように、他の上級者達のように、
強く”ダーツが上手くなりたいと考えられない層はどうするのか
その点になるのかな


そういった層に、
危険”や“”をイメージしろというのも難しい

であるなら、
既存のプラクティスである
3D”などが最も適しているといえます

3D”や“6秒”というのは、
以前に説明をしたように、
見る”という作業
感じる”という作業
それを、自分を知る、自分のダーツを知るという部分で、
最大限に発揮をしてくれます

大事なことは、
飽きない”こと

自分のダーツを理解が出来るまでトコトンやり倒す
完成などなく、
出来たと思えば、また、もっともっと進化をさせたいと思い始める
それが、弛み無い努力として、
結果”ダーツの上達へと繋がるわけです



ラインはあるのか?

間違いなく“ある”


ラインが見えるかどうか?

本当に必要とする者には“見える”≒“見えてくる”


ラインの色は“心の色”
その自分のキャンパスに色を塗ろうとしなければ、
ラインはいつまでも無色のままである





※ 以下は、俺個人のダーツ上達メモでした

 
見えているものは“なぞれる
ラインはそれ

1)白紙に、指で線を書いてみること

2)線の書いてあるところを指で“なぞる”こと

どちらが楽であるか
どちらが正確な反復性があるか

ダーツは、二次元の錯覚に陥りやすい
自分 対 ダーツボードの図式
このことから、
多くの上達停滞を生んでいるプレイヤーが存在をしてしまう

そこを脱するには、
ダーツは、“空間認識スポーツ”である
ということを、強く強く意識し理解をすること

正面、横、上、斜め、
第三者的に自分の観察をする
自分に自信が持てるようにすることが先決

未熟な段階で、
身体のことや、勝負のことについて考える必要はない


ダーツ上達の第一歩は、
自分の飛ばす“ダーツ”をよく見ること知ることだ

そこに“ライン”が生まれる