以前ブログで紹介したマイケル・ムーア監督の、
2003年アカデミー賞受賞作、『ボウリング・フォー・コロンバイン』を紹介します。

1999年、アメリカ・コロラド州のコロンバイン高校で、男子生徒2人が機関銃を乱射し、

同級生や教師20数人を殺傷した後、自殺したという事件を題材に、

病んだアメリカ社会の深層を描いた作品です。


この映画は直接には銃社会を告発する作品ですが、

とてもよそ事とは思えません。

私は即座に宅間守の『大阪池田小連続殺人事件』を連想し、重ね合わせました。


貧富の格差とともに、希望の格差がますます広がるアメリカ社会で、

取り残された若者が絶望し、他人を道連れに死ぬという事件が多発しています。

以前紹介した『希望格差社会』を読んで、日本社会のアメリカ化にますます危機感を覚えました。

アメリカのような国を手本にして追随するなんて、やはり小泉さん、おかしいです。


この事件を読み解くのに使える理論は、
社会学で学ぶデュルケムの『自殺論』です(公務員試験で頻出!)。


①欲望の規制力②社会の統合力が弱まったとき、

自殺は激増します。これをアノミー的自殺といいます。


欲望が肥大化して制御しきれなくなったとき、

あまりに大きな欲求不満の苦痛に、人は耐えられなくなります。

とくに性欲が人一倍強い若者ほどそうです。


今の若者が肥大化させてしまう欲望の中に、自己実現欲があります。

自己実現をして、他者から認められたいという欲望は、

容易に想像できるとおり、性欲とも密接につながっています。

これはもちろん正のエネルギーを生むのですが、

下手をすると負のエネルギーにも転じ得ます。


「社会の統合力」は「集団への愛着度」とも置き換えられますが、

個人化が進んだ社会では、こうした安全弁も失われます。

他者とつながりを築けない若者は容易に絶望し、

自分を見捨てた他者=社会を逆恨みするようになるのです。


自殺も他殺も、反社会的行為という点では共通します。

自分の絶望の代償を、自らの命をもって贖うだけで飽き足らない業の深い人は、

自分を見捨てた社会への復讐として、尊い他人の人生まで巻き添えにするのです。


神戸児童連続殺傷事件でも、少年Aの犯行声明に、「社会への復しゅう」という下りがありました。


さて、またまた暗く重い話になってしまいましたが、

実はこの映画、すごく面白いんです。

『華氏911』を見た人は分かったでしょうが、

絶望しない明るいパワーがムーアの持ち味です。


とくに途中から、川一本隔てて福祉の充実したカナダを訪れ、

同じ銃社会でありながら、凶悪犯罪の全くない、のほほんとした雰囲気を描くあたりは、

秀逸でした。

何故こうした差が生じたのか、もう分かりますよね。


この作品、個人的には『華氏911』より好きです。

機会があったらぜひ見てください。


ジェネオン エンタテインメント
ボウリング・フォー・コロンバイン
西川 潤
世界経済入門

これは受験生の間でも定評のある本だと思いますが、

234頁に、映画のことを大きく取り上げています。

経済学者の意見として、たいへん参考になりました。