今回の散策は、登米市から南三陸町をまわり石巻市雄勝町を訪ねてみたいと思います。
旅のテーマーは、「観る」「食べる」「買う」
ただ、南三陸町と石巻市の雄勝地区は、東日本大震災の被災地ということもありますので、“復興支援”という意味合いも含めて巡ることにしました。
今日は、こちらの観光タクシーで!
ドライバーさんは、石巻ボランティアガイドの会員でもあります。
わたくしはタクシーを利用しましたが、マイカーで周るということも考慮に入れながら見てもらえれば幸いです。
因みに、今回巡った足跡は以下の通り。
石巻駅(発)→柳津虚空蔵尊→道の駅津山もくもくランド→南三陸町防災庁舎→南三陸さんさん商店街(昼食)→神割崎→釣石神社→大川小学校→雄勝店こ屋街→石巻駅(着)
所要時間は、のんびり周って5時間位掛かりました。
石巻駅構内のみどりの窓口では、お得な料金で被災地をめぐる観タクコースもありますので、そちらもかなりお薦めです。
それでは、これから石巻駅を出発して、まずは登米市にある柳津虚空蔵尊へ向かうことにしましょう。
石巻市街から旧北上川沿いをさかのぼること約20分、静かな里山風景の中に佇む名刹が登米市にある「柳津虚空蔵尊(やないづこくぞうそん)」です。
創建は726年と古く、奥の細道霊場・第八番札所としても知られています。
上の写真は、趣のある本堂。
境内の八重桜も、ちょうど満開の時期を向かえていました。
桜の木の下には、なで丑が鎮座しています。
撫でて帰ると、家内安全・商売繁盛などのご利益があるとのこと。
「宝くじが当たりますように!」と、一応わたくしも・・・(^_^;)
鎮守の森にある静かな寺院、木漏れ日と樹齢300年以上のご神木に囲まれて、久しぶりに心落ち着く時間を過ごすことができました。
癒しのパワースポットとしても、かなりお薦めです。
一夜の松や月見の井戸など、境内にはお寺にまつわる七不思議もあるそうですよ。
時間があるようでしたら、探してみるのも面白いかもしれません。
続いて向かったのは、柳津虚空蔵尊から車で約10分、道の駅「津山もくもくランド」です。
こちらには、地元農産物を販売する他に、宮城県産の木材を使用したクラフトショップが入っていました。
写真は、寄木細工の食器各種。
野菜サラダとかをのせたら、きっと映えるだろうな~
冒頭の写真に載っているフクロウの置物、あれ欲しかったな。
急いでいたので買えなかったのですが、やっぱり買ってくればよかった!
他には、幼児向けの玩具なども販売されています。
木製の玩具って、温もりがあってイイですよね。
子供が大きくなって使わなくなっても、思い出の品として一生とっておけますし・・・
首都圏では、なかなか見かけることも少ないと思いますので、行かれた際には是非おひとつ。
津山もくもくランド、ひとつひとつ手作りのクラフトコレクションを見ているだけでも楽しめました。
できれば、夏休み期間中とかに、子供向けの簡単な木工教室があると喜ばれるかもしれませんね。
登米市というと、初めて耳にする方も多いかと思いますが、そこには東北らしい素朴な風景が広がり、想像していた以上に良い所でした。
風情豊かな明治村や白鳥の飛来で有名な伊豆沼、木のまち登米市、次回はもっとゆっくり歩いてみたいです。
ここで登米市ともお別れ、再び国道45号線を南三陸町へ。
小さな峠を越えると、約20分で南三陸町に到着します。
復興商店街の前に防災庁舎に寄って、犠牲になった方々の祭壇に手を合わせていくことにしました。
こちらが、被災した南三陸町防災庁舎。
一人の女性職員が、わが身をかえりみずに最後まで避難を呼びかけた話は、誰もが感銘を受けたことと思います。
当日も、全国から多くの人たちが慰霊のために訪れていました。
被災各地では、被災した建造物等を後世に伝えるために残そうという動きに賛否両論あるようですが、残すにしても解体するにしても、地元の方々が決めたことなら私自身はそれで良いと思っています。
ただ、広く意見を聞きたいという声があるかもしれませんので、あくまでも一個人の意見という前提で話をさせてもらうと・・・
南三陸町防災庁舎については、残してもよいのではと考えています。
こちらで命を落とされた職員の方々は、最後まで町のために責務を全うされた人たちなので、町の復興のためならきっと賛成してくれるはずです。
姿は見えずとも思いはひとつ、亡くなられた職員や消防団員の方々と一緒に、これから町の復興を進めていくというのも、皆さんにとって良いことかもしれません。
逆に、多くの子供たちが犠牲になってしまった石巻市の大川小学校。
心ならずも亡くなってしまった子供たちと、残された遺族の方々の気持を考えれば、このまま将来に残すことは適当ではないと感じました。
後世に伝えるということでしたら、同じ場所に慰霊碑と小さな資料館を建てるべきではないでしょうか?
もし残すのであれば、大川小学校ではなく、門脇小学校を残したほうが良いと思います。
生徒全員が避難できたということも含め、津波と火災の複合的な要素は「防災」という観点に於いても、将来に残す意義は十分にあると考えます。
気仙沼の大型漁船は、船主の方とよく話し合われたほうがよいかもしれませんね。
それと、祭壇は慰霊碑に替えて、船から少し離れた場所に海側に向くよう設置したほうが良いと思います。
防災庁舎で手を合わせた後に向かったのが、南三陸町復興商店街「南三陸さんさん商店街」です。
防災庁舎から車で2~3分程、意外と近くにありました。
今年に入り、客足が激減してしまったということを聞いたので、心配になって訪れてみたのですが、連休中ということもあり観光客はかなり多かったです。
ちょどお昼になったので、名物のキラキラ丼を食べようと店の前へ行ってみると、見てのとおりの大行列!!
嬉しい反面、1時間近くも並んで、さすがに疲れてしまいました。
普段の土日には、こういうことは無いと思います。
そして、こちらがお目当てのキラキラ海鮮丼♪
ネタが新鮮で、ほっぺが落ちそう。
並んで待った甲斐がありました。
ドライバーさんと一緒に食べた海鮮丼、本当に美味しかったです。
以前にも話をさせてもらいましたが、南三陸町というのは、石巻市と気仙沼市のちょうど中間にあたりますので、こちらの復興商店街はそのまま「道の駅」に移行したほうが良いと思います。
将来、其々が個人で店舗を構えても、町内だけの需要で生計を立てるのは難しいと思いますし、道の駅でしたら観光客やツアーバス、トラックのドライバーさんも気軽に立ち寄れますので。
JR気仙沼線BRT(路線バス)の志津川駅がすでに敷地内に新設されていたので、もしかしたらそういう方向に動き始めているのでしょうかね?
道の駅といっても、他施設のように完成された一つの建物の中に限られた店舗が入るのではなく、将来を見据えて規模を広げられるように今の「屋台村+フードコート」形式を基本にして。
そのうちに、全国チェーンで展開している温泉会館でも誘致できればよいのですけど・・・
さんさん商店街から車で15分程走ると、南三陸屈指の景勝地「神割崎」に到着します。
名前の由来には幾つかの言い伝えがあり、その中でも代表的なものは、隣村同士が浜に打ち上げられた鯨の取り合いをしたことから、仲裁に入った神様が村の境界線をハッキリさせるために鯨ごと岩を割ってしまったというもの。
実際には、この辺りの岩肌が柱状節理のようにも見受けられるので、海底火山の噴火によるものではないでしょうか?
この日は、波が少し荒かったので上から眺めるだけにしましたが、普段は海面近くまで下りられ、迫力ある奇岩を目の前で堪能することができます。
周囲には、松林に囲まれた遊歩道も整備されていて、キャップ場やレストランもあるようでした。
長時間のドライブ、少し車から降りて自然の中をのんびり歩いてみるのも、逆に疲れがとれていいですよ。
因みにこの場所、現在も南三陸町と石巻市のちょうど境界線になっていたりします。
神割崎から石巻市に入り、さらに15分程走ると北上地区にある「釣石神社」に到着します。
ここは、以前から訪れたいと思っていた場所、境内にある霊石は過去の震災でもビクともしなかったことから、落ちそうで落ちない受験の神様として崇められています。
もちろん、今回の東日本大震災でもビクともしませんでした。
それどころか、押し寄せたあの大津波も、この岩の直下でピタリと止まったみたいですよ!
先ほどの神割崎と共に、ちょっとジオパーク的な側面もあり、パワースポットとしても、かなりお薦めできると思いました。
御神体の巨石を横目に急な石段(参道)を登ると、上には小さいながらも立派な本殿がありました。
創建は元和4年(1618)、江戸幕府開府が慶長8年(1603)なので、江戸時代初期ということになりますかね。
とても歴史のある神社、せっかくなので参拝をしていくことに・・・
上りと下りで道が分かれていて、ちょっとした探検気分が楽しめます。
思わず童心に返ってしまいそうな懐かしさも感じる、ありそうで無い不思議な場所。
時間は掛かりましたが、来れて良かったです!
震災前は、参道入口に自宅兼社務所があったようですが、津波で流されてしまい、現在は仮設の社務所で参拝者に対応されていました。
小さな案内板は出ていましたが、神社側に渡る橋が流出したりと、カーナビの地図とは少し変わっているかもしれないので、近くまで行ったら慎重に探してみてください。
訪れるのは、茅の輪くぐりが設置される時期(6月)が風情があって良いかもしれません。
釣石神社から雄勝の復興商店街までは、車で15分程掛かります。
その途中に、津波で多くの子供たちが犠牲になった「大川小学校」があるので、祭壇に手を合わせていくことに。
写真は遠慮させていだだきましたが、近代的な2階建ての校舎でした。
将来、同じ悲劇を繰り返さないためにも、しっかり検証をして伝えていく必要があるかと思います。
大川小学校から10分程で、津波により町の8割が壊滅的な被害を受けた雄勝地区に入ります。
南三陸町に比べ、瓦礫の山は片付けられているようにも見えますが、その先が何も進んでおらず、1年以上も前に訪れた気仙沼のような状態。
単純に、他の地域よりも復興が1年以上遅れているということでしょうか?
タクシーのドライバーさんも、「ここだけは、陸の孤島のように復興が遅れてしまっていてね・・・」と、心配そうに話している姿が全てを物語っているように感じました。
復興商店街も小規模なもので、連休中にも関わらず、客足もかなり少ないように見受けられました。
店舗に入ってみると、地場産の海産物が売られていて、飲食店で出されている海鮮丼も、他に比べて2割程安い値段。
普段、作業をされている方々のことを考えているのかもしれませんね。
雄勝の方々の良心的な人柄を、こんなところにも垣間見ることができます。
広場の片隅で練習する子供たちの太鼓の響きが、とても力強く伝わってきました。
雄勝の名産品といえば、「雄勝硯」が有名です。
全国生産高の90%を占める一大産地でもありました。
ところが、東日本大震災により壊滅的な被害を受け、今は存続の危機に直面しています。
組合の方に現状を聞いたところ・・・
① 職人の方で、津波で亡くなった人は幸いにも殆どいない
② 工場が被災してしまい、全国から入る数百個単位の注文に対応できない状態が続いている
③ 人口に対して、僅かな仮設住宅しか無いので、職人の多くが市・県外への避難を余儀なくされ、人手不足に陥っている
現在は、限られた機材と職人の手により、僅かな生産と泥の中から拾い上げられた硯の修繕にあたり、仮設店舗で細々と営業を再開しています。
新しく何かを作るということが、殆ど出来ていないような状態でした。
硯と聞くと、書道で使う道具で、普段は馴染みの薄い方も多いとは思うのですが、雄勝硯が無くなるということは、例えると有田焼が日本から無くなってしまうのと同じ位の損失。
翌日、松島の物産店で、蓋に貝殻があしらわれた高級硯を拝見したのですが、芸術品ともいえるぐらい本当に素晴らしいものでした。
仮設店舗では、修繕された硯の他に、人気の食器類やペントレー、仙台在住のデザイナーにより考案されたアクセサリーの販売もされていました。
わたくしは、ちょうどパソコン用のマウスパットが無かったものですから、今回は雄勝石で作られたマウスパットを購入!
薄い作りなので、すぐに割れてしまうのでは?と心配していたのですが、思った以上に丈夫で、逆に硬度が柔らかい分、欠けたり割れたりしにくいのかもしれません。
復元された東京駅の駅舎にも、雄勝産のスレートが使われているとのことでした。
東京駅の屋根に使われているものと、同じ素材のマウスパット。
そのうち、東京駅土産に・・・なんてことはありませんよね。(^_^;)
艶消しの黒なので、レーザーマウスの効きがとても良いです。
フェルト製と違い、石なのでいつも清潔に使え、これでしたらアレルギーの人にも安心して薦められます。
薄っすらと浮かび上がる雄勝石独特の紋様が、また風情があってイイですよね!
手に触れた時の風合いも良く、気持が落ち着きとても気に入りました。(^_^)
釣石神社も近くにありますので、「おがつ店こ屋街」ぜひ訪れてみてください。
-被災地雄勝の復興を考える-
復興の遅れ、町の存続の危機、今大きな問題に直面しているのが、この雄勝地区といえます。
雄勝町の復興には、全国生産高90%を占める「雄勝硯」と、穏やかな雄勝湾の特性を生かした「養殖業」の2大産業復活が必要不可欠。
この二つが動き始めないと、いくら有志の方々が知恵を絞って支援を試みても、なかなか良い方向には進みません。
何故こんなに復興が遅れてしまっているのか?
それは、市側と住民との間にできた深い溝。
町の人たちは、何も言っていませんでしたが、顔を見ればすぐにわかります。
震災当初、この地域が後手後手に回ってしまったことや、その後の対応も原因としてあるのでしょう。
石巻市は面積が広いので、市側にも色々な事情があったことも理解できます。
港や道路を修復する以前に、まずは市と住民との間にできてしまった溝を修復することが先決。
ご足労をお掛けするようで大変申し訳ないのですが、一度復興庁からもどなたか行かれて、三者で話し合いの場を持たれたほうが良いかもしれません。
国からも住民側に伝えなくてはならないこともあるでしょうし、お互いがどこまで譲歩できるかというのは、話し合いの中ですり合わせていくしかないと思いますので・・・
まずは、其々が膝を突き合わせて話し合うことが、復興に向けて最初にやるべきことだと考えます。
最後に、皆さんに見ていただきたい地図があります。
この地図は、石巻市内の高校生が作った「石巻おがつMAP」というものなのですが、商品を買ったときにお店の人が一緒に入れてくれたらしく、翌日帰宅してから気が付きました。
自動車に乗った可愛らしいウサギの絵と、地図に記載されているのは、仮設の役場支所、復興商店街、被災した小学校と中学校、それに小さなお蕎麦屋さん。
一見すると、パンフレット等でよく使われている略式地図のようにも見えますが、実はこの地図かなり詳細に描かれていて、要は「これしかない」ということです。
津波ですべて流されてしまい、2年以上も経つのに未だにこれしかできていないということ。
この地図から読み取れるのは、それでも行って欲しいという学生さんたちの気持と、そんな彼女たちをも心配させてしまう雄勝地区の現状。
当然、被災地の高校生なので、身内や親戚が震災で亡くなったという人も多いことでしょう。
可愛らしい地図というだけで終わらせてしまえばそれまでなのですが、この1枚の地図から“優しさ”だとか“背景”だとか、色々なものが見えてきます。
本当に色々なことが伝わってくるのですよ。
どうしたらよいのでしょうかね。
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