福島旅行記5 蔵のまち喜多方を歩く | 晴れのち曇り時々Ameブロ

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晴れのち曇り時々Ameブロ-田園風景と飯豊山

郡山から磐越西線に乗り、左に猪苗代湖、右に磐梯山を眺めながら走ること1時間、着いたのは会津若松駅。
そこからさらに揺られること約20分、江戸から昭和初期に建てられた蔵が数多く残る商人の町があります。
会津の奥座敷ともいうべき町「喜多方」。
今回は、そんな風情ある街並みを4つのテーマに沿って歩いてみたいと思います。

晴れのち曇り時々Ameブロ-喜多方ラーメン「坂内食堂」

上の写真は、麺好きの人たちには有名なお店、喜多方市内にある「坂内食堂」です。
喜多方といえばラーメンの町、その起源は大正末期から昭和初期、中国から渡って来た一人の青年が、チャルメラを吹きながら屋台を引き、市内各所を売り歩いたことが始まりだそうです。
今では、全国ブランドにまでなりましたが、その美味しさの秘訣は飯豊連峰から流れ出る“伏流水”と、江戸時代から続く“醸造業”にあると言えます。
そのようなことも絡めながら、まずは中心街に多く残る老舗の蔵元を訪ねてみることにしました。


- 老舗の蔵元を訪ねる -

晴れのち曇り時々Ameブロ-喜多の華酒造場

それでは、これから街並を散策して行きたいと思いますが、酒どころ福島県といえば喜多方を外しては語れません。
市内各所には、江戸の昔より代々受け継がれる造り酒屋が数多く存在しますので、まずはその幾つかを紹介していきたいと思います。

晴れのち曇り時々Ameブロ-喜多の華酒造場

喜多方駅から一番近い場所にあるのが、こちらの「喜多の華酒造場」です。
大正8年のこと、味噌・醤油の醸造元星醸造より分家、星正宗という銘柄から創業を始めました。
途中、戦争により一時廃業を余儀なくされましたが、戦後になり“喜多の華”の銘柄で酒造りを再開し現在に至っています。
建物は、大正時代の典型的な酒蔵と店蔵です。
水と地元の米にこだわり、蔵の見学は常時可、店内では利き酒もできるようでした。

晴れのち曇り時々Ameブロ-飯豊山からの伏流水

喜多の華酒造場の斜向かいには「俵屋旅館」があり、玄関の脇には飯豊連峰からの伏流水を自由に飲むことができる水汲み場がありました。
旅館ならではの、ちょっとした心遣いですね。(^_^)

晴れのち曇り時々Ameブロ-大和川酒造北方風土館

喜多の華酒造場から5分程歩くと、「大和川酒造北方風土館」に着きます。
創業は寛政2年(1790年)、飯豊山の伏流水と自田や契約農家の無農薬・減農薬の米にこだわり、現在まで九代に渡り伝統を守り続けています。

晴れのち曇り時々Ameブロ-大和川酒造北方風土館

こちらは、地元ではかなり大きな蔵元で、現在酒造りは飯豊の蔵へ移っていますが、喜多方の蔵は北方風土館として団体客の見学も受け入れているようでした。
江戸蔵・大正蔵・昭和蔵の見学や、隣接した店舗内では、自社ブランド品の販売や利き酒もできます。
因みに、大和川酒造は全国新酒鑑評会に於いて、2年連続で“金賞”を受賞。

晴れのち曇り時々Ameブロ-大和川酒造北方風土館

敷地内には、蔵を改装した待合室もあったりして。
軒先から落ちる雨の雫を眺めながら、ゆっくり時間を過ごすことができました。
気軽に入れて開放的で、なかなか良い感じの蔵元でしたよ。

晴れのち曇り時々Ameブロ-清川酒造

大和川酒造から徒歩5分、中心街ふれあい通り沿いにある老舗の酒蔵が、こちらの「清川酒造」です。
創業は寛永8年(1631年)、夏子の酒のモデルになった蔵元のようで、全国でも珍しい女性の杜氏による酒造りで注目されていましたが、今現在は酒造り自体は辞めてしまっているようです。
しかしながら、江戸から明治にかけて建てられた蔵は見学することができ、店舗では在庫の古酒や他の蔵元で造られた地酒の販売がされていました。

晴れのち曇り時々Ameブロ-吉の川酒造

さらに、ふれあい通りを5分程歩くと、創業明治8年の「吉の川酒造」が見えてきます。
敷地内には、6棟の蔵が今も現役で活躍しているのですが、見学するためには事前の問合せが必要。
飯豊山の伏流水と地元米に拘り、創業以来門外不出を貫いている蔵元です。
それ故、地元にしか卸さず地元でしか買うことができない日本酒なので、お酒好きの方はぜひ探してみてください。
全国品評会に於いても、何度も受賞をしている蔵元だそうです。

晴れのち曇り時々Ameブロ-小原酒造

そして、最後に紹介する酒蔵が、おたづき蔵通り沿いにある「小原酒造」です。
創業は享保2年(1717年)で、現在は10代目が酒造りを行っています。
こちらは、クラシック音楽を聴かせて発酵させるという、少し変わった手法で全国的に注目されていて、全国新酒鑑評会に於いても、毎年“金賞”を受賞しています。
日本初の「音楽酒」、喜多方に訪れた際には是非おひとつ♪
先に紹介した大和川酒造は団体客が多かったのに対し、こちらは個人客の出入りが目立ちました。

晴れのち曇り時々Ameブロ-若喜商店

さて、喜多方の蔵元は日本酒だけではありません。
醤油・味噌の醸造も、江戸の昔から盛んに行われてきました。
そこで、まず訪れたのが、宝暦5年(1755年)に創業の「若喜商店」です。
現在は11代目、創業から200年以上も味噌・醤油造りに携わり、当時は米沢や福島まで荷馬車を使って運んでいたとのこと。
大正時代には、原料やモロミを移動するため、敷地内に線路を引いたことから“線路のある家”として、地元では親しまれていました。

現在も広大な敷地には、蔵座敷・倉庫蔵・道具蔵の8棟が残されています。
その中でも、店舗とレンガ蔵は国の登録有形文化財に指定されているので、まずはそちらから見ていきましょう。
上の写真は、昭和6年に食料品店として建てられた店舗で、天井の漆喰が特徴的な洋風建築になっています。

晴れのち曇り時々Ameブロ-若喜商店の自家製味噌・醤油

店内に入ると、こちらで造られた醤油や味噌が販売されています。
ちょっと、試しに醤油を味見させてもらいました。
生醤油は、「あ、これが蔵で造られた醤油か・・・」という言葉がピッタリな、正統的な味がしました。
モロミがぎゅっ!と濃縮されたような、カツン!とした感じの味です。
程度の良いお刺身に、ちょっとだけ付けて食べると、これは良いかもしれない。

それともう一品、ダシ醤油というのを味見させてもらったのですが、これは個人的に凄く好きです。
生醤油に、鰹と昆布の合せ出汁を加えたものなのですが、生醤油とは異なり、とてもマイルドで上品な味がしました。
あまり程度の良くない刺身に、このダシ醤油をたっぷり付けて食べると、途端に程度の良い刺身に変わってしまうような、そんな感じの味です。
料理下手な人が、このダシ醤油を使った瞬間、料理上手に変貌してしまうような・・・そんな感じかもしれない。
“本物の醤油”に出会えますので、訪れた際にはぜひ味見をしてみてください。
店内では、自家製醤油や味噌以外にも、地酒の販売もされていました。
例の地元にしか卸さない「吉の川酒造」のお酒もありましたよ。

晴れのち曇り時々Ameブロ-若喜商店レンガ蔵

そして店舗に隣接してあるのが、明治38年に建造された市内最古のレンガ蔵です。
七代目が隠居後の楽しみとして建てたもので、1階と2階で造りが異なっています。
1階は「縞柿の間」、縞柿というのは柿の木の一種で、孔雀の羽のような美しい木目模様が特徴、大切なお客を迎える客間として使われていました。
天井や鴨居、柱や座卓に至るまで、すべて縞柿で統一されています。
縞柿も、かつては多く採れたようなのですが、ゴルフクラブ等に使われたことから年々採れなくなり、今では貴重な木材となってしまいました。
これだけの縞柿を使った建物は、全国的にも非常に珍しく、訪れた専門家の中には国宝級に匹敵すると賞賛する人もいたそうです。
2階は「欅の間」で、そちらは未公開、1階のみ店舗側からガラス越しに垣間見ることができます。

晴れのち曇り時々Ameブロ-若喜商店レンガ蔵

外観は、バルコニー風玄関の擬洋風建築で洒落た造りになっています。
喜多方に蔵が多いのは、醸造業に適していたことや、明治13年に起きた大火の教訓から火災に強いということもあり、蔵が多く建てられるようになりました。
また、レンガ蔵が多く建てられるようになったのは、鉄道が明治37年に開通したことにより、レンガ工場が市内にできたからだそうです。
後は、地元の人たちにとって、蔵を40代までに建てることが男としての誇りでもあり、夢でもあったようです。
そのようなこともあり、他の地域に比べて内装が豪華な座敷蔵が多いのも喜多方の特徴といえます。

晴れのち曇り時々Ameブロ-若喜商店の味噌・醤油蔵

レンガ蔵の隣は、味噌・醤油の醸造所。
オフシーズンには「若喜昭和館」として利用され、昭和の懐かしい展示品や駄菓子の販売もされていました。
店舗で売られていた自家製の醤油は、ここで造られているんですね。
こちらの建物は、大正時代に建てられたものだそうです。

晴れのち曇り時々Ameブロ-若喜昭和館

中に入るとこんな感じ。さすがに天井が高い!
子供が好きな駄菓子が沢山売られていて、ご主人が醸造所の歴史や建物について丁寧に説明してくれました。
叶うかどうかわかりませんが、いつか子供を授かることができたら連れて来たいな。
地元の人たちが、皆で町興しに取り組んでいる姿は、ちょっと感動させられました。
若喜商店の他にも、市内には味噌・醤油の醸造所が多く存在します。
これから、その幾つかを紹介してみたいと思います。

晴れのち曇り時々Ameブロ-中の越後屋

こちらは、中心街ふれあい通り沿いにある「中の越後屋」です。
明治初期から自家製の味噌や醤油を造り続けています。
現在も、東京や大阪などの首都圏をはじめ、北海道にまで出荷されているとのこと。
白漆喰の蔵は、明治15年前後に建てられたもので、味噌や醤油の醸造蔵など6つの蔵が敷地内に存在しています。

晴れのち曇り時々Ameブロ-金忠

もう一箇所、おたづき蔵通り沿いに店舗を構える「金忠」を紹介させてもらいます。
創業は天保年間、180年余り喜多方で味噌・醤油を造り続けている老舗の蔵元で、砂壁造りの蔵(喫茶)と、漆喰造りの蔵(店舗)が隣り合わせに軒を並べています。

晴れのち曇り時々Ameブロ-金忠

店内では、自家製の醤油や味噌の他に、煎餅を始め手作りクッキーやかりんとう、キャラメルまで売られていました。
お味噌屋さんの作るキャラメルって、どんな味がするのだろう?
次回出掛けた時には、必ず買って帰りたいと思います。
壁に掛けられた大きな味噌樽が、とても印象に残りました。

ここまで、老舗の蔵元を沢山紹介してきましたが、実は私お酒はいけない口でして、今回もまったく飲んでいません。
ひとくち飲めば、其々の蔵元による味の違いや美味しさもわかったと思うのですが、朝から小原庄助さんばりに赤い顔をしながら町を歩き回りたくなかったので、今回は素直に止めておきました。(笑
会津の民謡「会津磐梯山」の一節に、小原庄助さんの話が登場するのも、酒どころ福島あってのことですね。
喜多方には、歴史ある素晴らしい蔵元が揃っていますので、日本酒の好きな方には是非お薦めします。


- 今も残る旧家を訪ねる -

晴れのち曇り時々Ameブロ-甲斐本家蔵座敷

前章では、日本酒や味噌・醤油の蔵元を観て歩きましたが、この章では市内各所に今も残る旧家を訪ねてみることにしました。
上の写真は、地元の名家「甲斐本家蔵座敷」です。
大正時代に建てられた、黒漆喰の店蔵と51畳の蔵座敷は、国の有形登録文化財に指定されています。
昔は、味噌・醤油の醸造を行っていたようで、その名残の煙突を外観からも見て取ることができますよね。
以前は、邸内を見学できたのですが、現在は公開が中止されています。

晴れのち曇り時々Ameブロ-嶋新商店

こちらは、ふれあい通り沿いにある「嶋新商店」。
先ほど紹介した、味噌・醤油の蔵元「中の越後屋」のすぐ隣です。
明治時代に建てられた総欅造りの蔵で、現在はイベント等にも利用されています。

晴れのち曇り時々Ameブロ-嶋新商店

側壁はモダンな赤レンガ造り、隣は味噌・醤油の蔵元「中の越後屋」。
この一角は、会津葦名氏からの流れ、岩田家の屋敷だったようです。

晴れのち曇り時々Ameブロ-山中煎餅本舗

次に訪れたのは、「山中煎餅本舗」です。
創業は明治33年、炭火による手焼き煎餅を売るお店。
せっかくなので、店内で売られていた「コシヒカリたまり煎餅」「喜多方たまり煎餅」「喜多方ラーメン煎餅」の3種類を味見させてもらいました。
中でも、コシヒカリたまり煎餅が抜きん出て美味しかった!
通常は、うるち米を使うのですが、コシヒカリを使っているので、お米の味がしっかりしました。
使っている醤油は、先に紹介した味噌・醤油の蔵元「金忠」仕込の丸大豆醤油。
一枚一枚職人さんの焼いている手焼き煎餅は、やっぱり美味しいですね!

晴れのち曇り時々Ameブロ-山中煎餅本舗

店内では、煎餅の手焼き体験も行われていました。
醤油も何も付けない状態で焼いて食べるのですが、炭の香りがして、これはこれで美味しかったな。
焼きながら、「近頃の子供たちは味覚が悪くなってきて、昔ながらの素焼きの煎餅を食べないと駄目なんだよ。」と、こちらのお母さんとグルメ談話に花が咲き、久しぶりに楽しい時間を過ごすことができました。
地元の醤油を使った無添加・無着色の手焼き煎餅、行かれた際には是非ひとつ!

晴れのち曇り時々Ameブロ-金田洋品店

山中煎餅店の目と鼻の先、ハイカラな外観が目を惹く建物が「金田洋品店」です。
明治44年建造、地元産のレンガを使用した店蔵で、煉瓦組積造+木骨煉瓦造というユニークな工法が用いられています。
この家、個人的になんか好きだな。
洋品店というのが、またイイですよね!

晴れのち曇り時々Ameブロ-島慶園

喜多方では、かつてお茶の栽培も盛んに行われていました。
その名残を今に伝えているのが、昭和5年建造の店蔵「島慶園」です。
漆喰二階建て、座売りの空間や高い天井が、老舗独特の風格を醸し出しています。
店内では、抹茶の自家製ソフトクリームも売られていました。
こちらの建物も、国の有形登録文化財に指定されています。

晴れのち曇り時々Ameブロ-大森家店蔵

旧家めぐりも、中心街「ふれあい通り」から「おたづき蔵通り」に移動します。
まず最初に訪れたのは、上の写真「大森家店蔵」。
江戸後期の店蔵で、当時は乾物商を営なまれていたとのこと。
白漆喰の壁と格子の引き戸が、江戸時代の商家さんといった雰囲気がしました。

晴れのち曇り時々Ameブロ-馬車の駅

大森家店蔵のすぐ隣が、明治中期に建てられた店蔵「馬車の駅」です。
地場産品と地酒の販売が行われていて、広い駐車場を完備していることから団体客の利用が目立ちました。
店舗と隣接する蔵には、沢山の地酒が貯蔵されていて、利き酒もできるようです。

晴れのち曇り時々Ameブロ-和飲蔵

おたづき蔵通りをしばらく歩くと、「和飲蔵」という看板が目に留まりました。
道沿いに面してあったのは、よく見かける普通の酒屋さん。
奥を覗くと、ちょっとお洒落な蔵を見つけたので行ってみることにしました。
写真を撮っていると、酒屋のご主人が「よかったら中も見てって」と喜作に声を掛けてくれたので、ちょっとお邪魔してみると・・・

晴れのち曇り時々Ameブロ-和飲蔵のワインセーラー

世界各国から集められた沢山のワインが!W(゜□゜)W
こちらは、明治初期に建てられた呉服屋の座敷蔵で、今の持ち主がワインセーラー付の店舗として数年前に改装しました。
内装に木材が使われているのは、埃から商品も防ぐため、蔵の持つ様々な特製がワインの貯蔵にも適していたようです。
ワインセーラーは二重扉になっていて、温度管理もしっかりされていることから、中に入ると冷っとした感じが伝わってきました。

晴れのち曇り時々Ameブロ-夢屋

今回訪ねた旧家は、ほんの一部です。
市内には、まだまだ多くの蔵が残されていますので、散策マップ片手に1日のんびり歩いてみるのも良いかもしれません。
路地裏にも、小さな蔵が沢山隠れていますよ。(^_^)
なにしろ、喜多方市内には路地裏や郊外も含めると、四千棟余の蔵が今も残されているそうなので。。。


- 地元の味をあじわう -

喜多方といえば、やっぱりラーメンですよね。
駅の観光案内所には、食べ歩きマップなるものが用意されていて、実に40軒以上のラーメン店が掲載されています。
わたくし、ラーメンは得意ではないので、地元の人に教えてもらうことにしました。
教えてもらった店名をあげてみると、「源来軒」「なまえ」「坂内食堂」「松食堂」「あべ」「上海」「まるや」といった感じです。
坂内食堂は、“肉そば”で全国的に有名になりましたが、とくに坂内食堂だけがというわけではないようです。
地元の人たちは、其々にお気に入りの店を幾つか持っていて、気分であちらこちらの店を食べ歩いているようでした。
ということで、今回はその人の一押し「まるや」に行ってみることにしました。

晴れのち曇り時々Ameブロ-喜多方ラーメン「まるや」

駅から少し離れた場所にあるのが、こちらの「老麺まるや」です。
店構えは、なかなか良いですね。
店内に入ると、やっぱり地元の人が多かったかな。

晴れのち曇り時々Ameブロ-まるやのチャーシュー麺

さっそく頼んだのは、こちらのチャーシュー麺です。
スープの色が澄んでいて綺麗ですね。
麺は太麺、雑味が無く醤油ベースの柔らかい味がしました。
これは、使っている水と醤油が良いんでしょうね。
ラーメン好きじゃない私が食べても、とても美味しかったです。
老舗の醸造元が多い町なので、きっと味噌ラーメンも美味しいと思います。

晴れのち曇り時々Ameブロ-田楽喫茶「豆○」

そこで、2日目のお昼は、先ほども紹介した味噌と醤油の醸造元「金忠」の直営店、田楽喫茶「豆○」でお昼を食べることにしました。
頼んだのは、みそ田楽まんぷくセット。
みそ田楽6本に、味噌汁と山椒漬が付いてきて、かなりのボリュームでした。
さすがに醸造元、味噌に深みがあり、旨味がギュ!と濃縮されていて美味しかった。
ただ、6本食べると4本目ぐらいから辛さがきつくなってくるので、食べる本数によって塗る味噌の量も調整したほうが良いかもしれませんね。
最初のコミュニケーションで、「今日はどちらからいらっしゃいましたか?」というように聞き出して、関西方面から来た場合には塗る量を少なめにする配慮も必要かも?
ここのお味噌なら、少なくても十分に良さは伝わるはず。
逆に1・2本食べるのであれば、この量でちょうど良いと思います。


- お洒落な喫茶店や伝統工芸品 -

晴れのち曇り時々Ameブロ-和菓子の老舗「田原屋」

さあ、ここからは、わたくしの真骨頂ですね!(笑
まずは、和菓子の老舗「田原屋」からスタートしたいと思います。
漆喰の店蔵は、昭和23年に建てられたもので、当初は割烹料理店を営んでいましたが、平成15年に田原屋が引継ぎ現在に至っています。
田原屋は、大正時代創業の老舗和菓子店、1個10円の一口まんじゅうが人気です。
といことで、さっそく・・・

晴れのち曇り時々Ameブロ-宇治金時のカキ氷

一口まんじゅうではなく、カキ氷を頼みました。(笑
夏季限定みたいです。
頼んだのは宇治金時のカキ氷、さすがに和菓子屋さんということもあり、使っている小豆が凄く美味しかった!
ただ、あんこが下に隠れていることから、そこに達するまでにかなり時間が掛かってしまい、それまでは氷だけをひたすら食べてる感じなので、少しあんこを減らしても、黒蜜かシロップを上から垂らしたほうが良いと思います。
帰りに笹団子を買って帰りましたが、やっぱり小豆が美味しかったです。

晴れのち曇り時々Ameブロ-蔵見世

甘味繋がりということで、次に紹介するのは中心街に構える「蔵見世」。
明治中期の蔵を“魅せる店”として、街中の情報発信拠点として活用しています。
喫茶兼まちなか観光案内所といったところでしょうか?
甘味の他に、みそ田楽なども置いてありました。

晴れのち曇り時々Ameブロ-人気のクリームあんみつ

ということで、頼んだのは人気NO1のクリームあんみつ。
クリームあんみつは・・・普通のクリームあんみつでした。
すみません、わたくしミシュラン並みに厳しい人なのですが、ただ言いっ放しのようなことはしません。
このクリームあんみつ、先に紹介した田原屋さんのあんこを使えば、途端に上質なクリームあんみつに変貌するはずです。
ぜひ、参考にしてみてください!
「地元で連携していく」ということは、町興しには大切なことです。

晴れのち曇り時々Ameブロ-喫茶くら

そろそろコーヒーが飲みたくなり、入ったのがこちらの「喫茶くら」です。
元は綿屋の店蔵でしたが、昭和54年に改修をして、今は喫茶店として営業を続けています。
店内は、明治時代の商家というよりかは、どこか欧州の古い街並みに訪れたような、そんな雰囲気が漂っていました。

晴れのち曇り時々Ameブロ-喫茶くらの「炭火ブレンドコーヒー」

頼んだのは炭火ブレンドコーヒー、上品な苦味がお店の雰囲気とも合い、なかなか良かったですよ。
この隅の席、小さな窓から入る日差しが心地よく、とても気に入りました。
ここは、わたくしの指定席なので、誰も座らないでくださいね!(笑

晴れのち曇り時々Ameブロ-珈琲専門店「煉瓦」

駅の目の前、蔦の絡まる赤レンガの喫茶店が、こちらの珈琲専門店「煉瓦」です。
明治37年、喜多方駅の営業開始に際して、地元豪商の甲斐本家が他所への進出の拠点として、明治43年に建てられた米蔵です。
当時、駅周辺に多く建てられた煉瓦蔵のひとつで、昭和51年に改修し喫茶店としてオープンしました。
店内は、古き良きアメリカのカフェバーみたいな雰囲気です。
モダンな感じのおじいちゃんと、美人なお母さんと娘さん、家族三代で営まれているようでした。

晴れのち曇り時々Ameブロ-喫茶店煉瓦の「ダッチコーヒー」

今回頼んだのは、こちらの「ダッチコーヒー」というやつ。
オランダ生まれの水出しコーヒーで、苦味が無く、豆から抽出したというよりかは、実から抽出したという感じ。
初めて飲む味で、これはこれで美味しかったです。
電車待ちをしながら、ゆっくりと時間を過ごしたい雰囲気がする喫茶店でした。
本人は忙しいので、いつもゆっくりしていませんが・・・(^_^;)

晴れのち曇り時々Ameブロ-漆工芸「木之本」

会津といえば、江戸の昔より漆工芸が盛んなところでもあります。
喜多方にも漆器の製造元が数多くあり、その中でも今回は「木之本」にお邪魔させてもらいました。

晴れのち曇り時々Ameブロ-木之本の店内

店内には、綺麗に絵付けされた漆の器や箸が所狭しと並べられていて、桐製品などの販売もされています。
木之本オリジナルの風鈴やウチワ、携帯ストラップやキーホルダーのような小物も売られていました。

晴れのち曇り時々Ameブロ-桐の粉人形

その中でも目に留まったのが、桐の粉人形(横田人形)と呼ばれているもの。
お店の2階は、ギャラリーになっていて、絵付け体験も行われています。

晴れのち曇り時々Ameブロ-桐の粉人形

猫ちゃんが、生きているみたいで可愛かった。
ちょっと不思議な人形(猫形?)ですよね。
店員さんが、お茶を入れてくれる心遣いが嬉しかったです。

晴れのち曇り時々Ameブロ-会津焼「閑月窯」

そして、最後に紹介するのが、地元喜多方の窯元、会津焼「閑月窯」です。
作品を手がけているのは、本郷焼「閑山窯」の次男として生まれた手代木進先生。
次男ということもあったので、本家を出て独立し、この地に窯を開きました。

晴れのち曇り時々Ameブロ-閑月窯ギャラリー

モットーは、“使い勝手がよく、飾って眺めても楽しめる器”とのこと。
ギャラリーには、伝統に裏打ちされた陶器や磁器が数多く展示されていました。
とくに、こちらの白磁は杉の釉薬を使っていることから、太陽光に当てると薄っすらと青味がかるのが特徴です。
深みのある青磁の大皿も、なかなか素晴らしかった!

晴れのち曇り時々Ameブロ-購入したティーポット

その中で、わたくしが今回購入したのは、こちらのティーポット♪
入った際に、最初に目が合いました。
こちらは、釉薬ではなく、土に工夫をして色を出しています。
使っているうちに、色が段々と深くなり、手触りもすべすべになってくるとのこと。
まさに、眺めても楽しく、使っても楽しみが増えるというやつですね。
急須とかティーポットって、作るのに手間が掛かるらしいですよ。

晴れのち曇り時々Ameブロ-閑月窯ギャラリー

対応してくださった奥様の話も楽しく、すっかり1時間近くもゆっくりしてしまいました。
私自身、焼物には詳しくないのですが、やっぱり焼物はイイですよね!
場所は、喜多方の中心街にあります。

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ちょっと思い出話を・・・
喜多方は今回が初めてでしたが、会津は二度目で、子供の頃スキーで猪苗代へは訪れた記憶があります。
猪苗代スキー場の近くの万雪というホテルだったかな?
そこの息子さんが、いかにもガキ大将っぽい男の子で、滞在中に遊んでくれたことをよく憶えています。
会津に限らず、福島の県民性というのは、喜作で人懐こい人たちが多いです。
大人になり、再び福島各地をめぐっていますが、時が流れてもその部分は変わっていないんだなという印象を受けました。
人情と風情、美食に伝統工芸品、“蔵のまち喜多方”ぜひ皆さんにもお薦めしたいと思います。

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- 見えない絆のプロジェクト -

福島の方言で、“こらっせ”というのは「来てくださいね!」という意味だそうです。
喜多方といえば、「らーめんの町」として全国的に知られていますが、それを最初に広めたのは、蔵の写真を撮るために訪れていた多くのカメラマンだったそうです。
今、福島県は原発事故により、かつてない風評被害に苦しんでいます。
この喜多方も例外ではなく、以前の賑わいは見る影もありませんでした。

そこで、全国の写ガール(女性カメラマン)さんたちにお願いがあるのですが、我々の先輩カメラマン、皆さんたちからみるとお爺ちゃんの世代になるのかな?その方々が遥か昔にやったことを、皆さんにもう一度やっていただきたいのです。
今度は、被災地の福島県を救うために。
写真というと、個人が趣味で楽しむというイメージが思い浮かびますが、使い方によっては多くの人や町を助けることもできるのですよ。
やり方は、撮った写真をブログ記事等にアップしていただければ結構です。
これは、全国の写真愛好家による見えない絆で結ばれたプロジェクト。
今、福島に必要なのは、女性ならではの卓越した直観力、感性、情報、優しさです。
ぜひ、多くの皆様に参加していただければと思います。

また、女性向けカメラ雑誌の出版社様にお願いがあるのですが、被災地支援の一環として、可能であれば女性カメラマン限定の会津・喜多方をめぐる撮影ツアーなどを企画していただけると大変ありがたいです。
女性限定にしたのは、女性どうしという安心感やそこから交流が広がればという意図からです。
ぜひ、ご検討のほど宜しくお願い申し上げます。m(__)m
江戸から昭和初期にかけて建てられた歴史的建造物、磐越西線を走るSL・蒸気機関車、猫がのんびり歩く裏路地、蔵の町喜多方はフォトグラファーの目には美しくも魅力的に映りました。


晴れのち曇り時々Ameブロ-若喜商店レンガ蔵




【関連リンク】
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喜多方観光協会
大和川酒造(日本酒)
小原酒造(日本酒)
若喜商店(味噌・醤油)
金忠(味噌・醤油)
山中煎餅本舗
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