室生犀星(むろうさいせい)
1889~1962年 詩人 小説家
じんなら魚
1889年、加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種
とハルという名の女性の間に私生児として生まれた。
生後まもなく、生家近くの、真言宗寺院雨宝院住職室生真乗の
内縁の妻赤井ハツに引き取られ、その妻の私生児として照道の名
で戸籍に登録された。
住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、
この際室生照道を名乗ることになった。
私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれて
すぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響
を与えた。
「お前はオカンボ(妾を意味する金沢の方言)の子だ」と揶揄された
犀星は、生みの母親についてのダブルバインド(二重束縛)を
背負っていた。
『犀星発句集』、(1943年)に見える。
ウィキペデアより
伊東とつながりを持っていた室生犀星(むろうさいせい)
伊東の民話より
昔、和田村の田んぼの中に小さな池がありました。
池の底からはぬるい湯が絶え間なく湧き出していました。
この池の近くには小川が流れ、石橋が架けられていました。
寛永(1624~1644)の頃。
池の近くに浄円寺というお寺が建てられました。
珍しい魚のすむ池は寺の名にちなんで浄の池と呼ばれるように
なりました。
伊東市にあった浄の池 ここに”じんなら魚”が棲息していました。
昭和前期 珍魚の棲息せる浄の池(天然記念物)
湯の中のじんなら魚に託して己の悲しみを詩に詠んだ
伊東の「東海館」にありました。「じんなら魚」はこんな魚でした。
見たいと思っていたのです~!
伊東の文化人 木下杢太郎とのつながりから伊東には多くの
文化人の句碑などが残されています。