洋式帆船を造った三浦按針(みうらあんじん) | 伊豆高原 遊リゾートのちーさん

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なぎさ公園には伊東市在住の重岡健治さんのモニュメントが

たくさんあります。

海からの風が心地良い所です。


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洋式帆船を造った三浦按針(みうらあんじん)

                     編者 宮内卯守


松川の川口、伊東港に近い臨海公園に三浦安針(ウイリアム・

アダムス)の碑がある。


徳川家康の命を受けた、ウイリアム・アダムスが、日本で最初の

洋式帆船を造ったということを記念する石碑である。


アダムスは1564年、イギリスのケント州シリンガムに生まれ、船大工

として21年間年期を入れた後、英海軍に入った。


船に乗って世界をまわり、いろいろ、見てやろう、知ってやろう、

やってみようという考え方のようである。

日本に来た時は、航海長として乗っていたオランダ船、クーフデ号が

遭難し、九州に流れついたためであった。


数学、幾何にくわしく、西洋型帆船の建造は年期入りの本職であるため

時の権力者徳川家康に大切にされた。


幕府の外交顧問として召抱かれ、江戸日本橋近くの按針町に屋敷と、

相模国三浦郡逸見村に250石を与えられた。


三浦の姓は、与えられた土地の名。

按針というのは、羅針盤の意味で、航海士あるいは水先案内人の意味

を示すものだという。


日本に帰化した最初の英国人として話題を呼んだ。

江戸伝馬町の奉行某の娘を妻として迎えたというが詳細は

よくわかっていない。

もっとも、本国には妻も子もいたということである。


世界中をかけまわってきた航海士だったので各国語が話せたといい、

熟練した通訳としてヨーロッパ諸国、特にオランダ、イギリスとの通商

に力があったが、家康が死んだ年から4年後の元和6年(1620年)

九州の平戸で病死した。


伊東の按針碑の碑文は英国人ロバートソン中将の按針讃、そのとなり

にある詩碑は、詩人エドモンド・ブランデンのものである。


伊東市では、毎年8月10日按針祭を盛大に行っている。

                         (私達の郷土「伊東」)


                                 製作 重岡健治

サン・ヴェナ・ベンツーラ号
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三浦按針像
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8月10日の按針祭では盛大に花火大会が行われます。


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